灰色に濁った雨が、アスファルトを激しく叩きつけていた。
アサヒは傘を深く差し、白線の内側だけを見つめて歩いていた。
高校の制服の第一ボタンまできっちり締め、カバンには模試の成績優秀者通知が入っている。
周囲からは「完璧な優等生」と呼ばれ、母親からは「次も1位をキープしなさい」と言われる毎日。
けれど、アサヒの心は、この雨の街と同じくらい冷たく、何の色も持っていなかった。
他人に興味はない。
他人も、自分に干渉しないでほしい。
そうやって、世界のすべてから一線を引いて生きてきた。
🦋『……おい』
くぐもった声が聞こえたのは、家路の途中にある、人通りのない薄暗い路地裏を通り過ぎようとした瞬間だった。
通り過ぎるはずだった。
いつもなら、絶対に無視するはずだった。
しかし、水溜まりに反射したスマートフォンの微かな光と、そこに転がっている「見慣れた制服」が、アサヒの足を止めさせた。
ゴミ箱の陰、濡れたコンクリートに背中を預けて座り込んでいる男がいた。
長い足を投げ出し、制服のシャツははだけ、トレードマークの派手なシルバーチェーンが雨に濡れて鈍く光っている。
ハルトだった。
学校では誰もが恐れ、関わろうとしない問題児。
いつもジェヒョクやジョンウといった悪友たちを引き連れて、教室の後ろで大声で笑っている、アサヒとは正反対の世界にいる男。
🤖『……ハルト?』
思わず名前を呟いたアサヒに、ハルトはゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、アサヒは息を呑んだ。
ハルトの端正な顔は、ひどく腫れ上がっていた。
切れた唇から鮮血が滴り、雨水と混ざって首筋を伝っている。
前髪の隙間から覗く鋭い瞳は、いつも学校で見せる尊大なものとは違い、まるで捨てられた猛獣のように怯え、絶望に濁っていた。
🦋『……見んなよ』
ハルトは掠れた声で威嚇するように言った。
しかし、その身体は小刻みに震えている。
寒さのせいだけではない。
何かに酷く怯えているような、痛々しい震えだった。
🤖『何があったの、それ』
普段なら絶対に他人の領域に踏み込まないアサヒが、なぜか一歩、路地裏へと足を踏み入れていた。
差し掛けた傘が、ハルトの上に落ちる雨を遮る。
🦋『関係ねえだろ。優等生様には、関係ねえよ……っ』
立ち上がろうとしたハルトが、痛みに顔を歪めて脇腹を押さえた。
制服の隙間から見えた肌には、新旧入り混じった、痛々しい紫色のあざがいくつも刻まれている。
🤖(喧嘩……じゃない。これは、もっと一方的な――)
アサヒの脳裏に、ハルトの家庭環境についての嫌な噂がよぎった。
父親がまともじゃない、という、誰もが触れないようにしている噂。
🦋『触るな!』
差し伸べようとしたアサヒの手を、ハルトは激しく振り払った。
ハルトの瞳に、惨めさと怒りが火花を散らす。
🦋『同情すんなよ。お前みたいな、何もかも持ってる奴に……俺の何がわかるんだよ』
ハルトの叫びは、雨の音にかき消されそうだった。
いつもなら、「じゃあ勝手にすれば」と冷たく言い放って立ち去るところだった。
しかし、アサヒの身体は動かなかった。
ハルトの剥き出しの痛みが、アサヒの凍りついた心を強烈に揺さぶっていた。
アサヒは何も言わず、ただ静かにハルトの前に膝をついた。
自分の制服が泥水で汚れるのも構わずに。
🤖『わかんないよ』
アサヒは感情の読めない声で、まっすぐにハルトの濁った瞳を見つめ返した。
🤖『お前のことなんか、何もわかんない。……でも、雨に濡れたままここにいたら、死んじゃうよ』
アサヒは自分のカバンから、予備の大きめのタオルを取り出すと、拒絶されるのを覚悟で、ハルトの濡れた頭にぽんと乗せた。
🤖『……ついてきて。俺の部屋、誰もいないから』
ハルトはタオル越しにアサヒを睨みつけたが、やがて力尽きたように、小さく息を吐いて壁に頭を預けた。
二人の間に、雨の音だけが響いていた。
不器用で、ひどく未熟な二人の夜が、ここから始まろうとしていた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!