「やめてください」
路地裏で声を聞いた。女の声だ。
続いて、複数の男の声がした。笑っている。
そには、男二人が、一人の男をタコ殴りにしている光景があった。一人の女が、それを止めようと、泣き叫んでいる。
タコ殴りにしていた男の隣に立つ、いかにも不良らしい男がこちらを見るや否、依は相手の顎を蹴り上げた。
もう一人の、タコ殴りにしていた方の男がこちらに飛び掛かる。
その男には、顔面を壁に強く打ち付けておいた。
殴られていた男を抱え、泣き叫んでいた女の手を取り、依は路地裏から抜け出した。
大丈夫ですと、先ほどとは違った意味の涙を浮かべて、女はまた、礼を言った。
依。18歳の春。
見慣れた和風作りの門の前に立っていた。
スーツを着た、眼帯の男が出迎えにきた。
彼は朱と言い、依が小さな頃からこの組にいる舎弟頭だった。
他愛もないことを話しながら、奥の間に通される。
見慣れた空間だった。
しばらくして、通路側の襖から、薄明が部屋に入ってきた。ここは組長部屋なのだ。
9歳の、浅ちゃんが死んだ夜、私と薄明さんは養子縁組を組んで親子となった。
つまり、組の一員になったのである。
浅ちゃんが死んだ夜に、初めて自分の母親も死んでいるのだと言う事実を知った。
記憶が少なくとも、母親は母親。死因や名前を知る権利くらいあるだろう。
おそらく母親について書いてあるだろう書類を突きつけられたので、受け取る。
生まれて初めて知った母親の名前は、丑三世禾といった。
断片的に残る記憶の中の、美しい顔のまま死んでいった、哀れな女。
うっすらと呟くと、薄明は咥えたタバコに火をつけてから、話し始めた。
なるほどなぁ、と、間のびした返事と共に薄明は煙を吐き出した。
とん、と、左手に持っていたタバコを叩き、灰を落として薄明はこちらを見る。
すこし、ひやりと全身が冷えた。これは期待か?
母と、浅ちゃんを殺した人物は同一かもしれない。
だが、可能性は40%ほど。いい手掛かりにはなりそうにない。
そんなことを一人で悶々と考えていると、薄明は再び口を開いた。
だから、と喋りながら薄明は灰皿にタバコの先端を押し付けた。
こいつだと、彼の言う「アテ」の情報が書かれた紙を突き出す。
依は、思わず息を呑んだ。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。