都内某所。
光り輝く都市の灯りを一望出来る高層ビル最上階。真夏日を感じさせない空調の効いた室内で、ワイングラスを片手に冷たく外を見下ろす一人の男がいた。
銀色のショートパーマ、アメジストの瞳、褐色の肌。日本最大の犯罪組織『梵天』で佐野万次郎と肩を並べる、"黒川イザナ"その人だった。
革張りの椅子に腰掛け足を組み、ただじっと動かずにいる。美しい人は何をしても絵になると言うが、全くその通りだと万人を納得させる程の美貌をイザナは有していた。
ふとぼんやりと景色を眺めていたかと思うと、瞼が一瞬ほんの少しだけ上がる。途端にそれが合図だったかのように、イザナは動き出した。
忌々しげに舌打ちをし乱雑にワイングラスをテーブルに置く。
今日は何を口にしても美味しさを感じられない。それ程までに機嫌が悪い、イザナ風に言い換えると『気圧が重かった』のだ。
決まってイザナの機嫌が悪くなる日が一年を通して二回ある。今日と、まだ肌寒い春を迎える頃のことだ。陽とあなたの下の名前に初めて会った日、そして陽とあなたの下の名前が死んだ日。口には出さないが幹部達も首領のマイキーでさえ察していた。その二日が近付くとイザナの機嫌は徐々に降下して周囲は手がつけられなくなるので、出来るだけイザナには仕事を回さないようにするのは既に梵天内での暗黙の了解である。そして最早軽い長期休暇とも呼べる期間の間イザナは何をしているかと言うと、自室で一人何をするでもなく静かに過ごしている。基本外には出ず、訪ねてくるのも鶴蝶やマイキー、物好きな蘭くらいのものだ。他の幹部も気にしてはいるものの、触らぬ神に祟りなしの姿勢で、その三人も今は一人になりたいだろうと気を回し特別用がある時にしか来ない。正真正銘外界から遮断された世界で、イザナは一週間程過ごす。何を考えているのか、感傷に浸っているのか、何年も前に死んだ男と女のことを思い返しているのか。長年隣にいた鶴蝶でさえ真意を理解をするのは容易くない。ただ普段は決して見せない物憂げな表情は、周囲に悟らせるには充分だった。微塵も起きない眠気。キングサイズのベッドに寝転がり目を瞑るが、今日も眠れそうにない。
静かな部屋にノックもせず喧騒が転がり込んできたのは、日付が変わってすぐのことだった。息を切らした鶴蝶が躓き気味に走り寄ってくる。
ここまで冷静さに欠けた鶴蝶を見るのは久しぶりだ。梵天に入り裏の仕事に手を染めるようになってからは死んだように消えた人間らしさ。
とイザナは十代の頃を彷彿とさせる鶴蝶の様子にふと思い出していた。
蝶か手をかけた重さでベッドのスプリングがぎしりと音を鳴らす。体力馬鹿が膝を着き言葉も出ないほどに息を切らす姿は、ただ事ではない状況を表していた。
上半身を起こして頬杖を付きながら鶴蝶の言葉の続きを待つ。ようやく呼吸が落ち着いたのか見上げてきた額や首筋には汗が伝っていた。だが何かを言おうとしたはずの鶴蝶の言葉が音になることは無かった。口を閉じて、目線をイザナから逸らす。そしてまた口を開けて、結局閉ざす。理由は不明だがイザナに話すのを躊躇しているようだった。それはイザナもすぐに察し、更にはまた変な気でも使っているのだろうとまで勘づいたが、だからと言って話せるようになるまで待つ優しさは持ち合わせてはいなかった。何しろ絶対君主のイザナである。下僕如きに心配される謂れはない。
やっと話し始めた内容はこうだった。
例のごとく最近梵天の周囲を嗅ぎ回っている奴等の処分と情報回収の為、港の貸倉庫に行った蘭と竜胆から電話があったらしい。こちらも珍しく動揺した様子の蘭の話によると、恙無く処分は終わり部下に死体の後始末を任せ二人は早々とアジトに帰ろうとした。だがそこで竜胆の耳が隅にあるコンテナの裏からした物音を拾ったのだ。重い物を落としたような、ゴトンっという音。聞いてしまえば無視は出来ない。目撃したのであれば、一般人だろうと生かしてはおけないのだから。顔を見合せた二人は悠々とした足取りでコンテナへと近付いた。密室で逃げ場は無い故の余裕な態度。しかし胸元の拳銃はいつでも取り出せる状態だった。コンテナに手をかけ、顔を覗かせる。迷い込んだ子供、住み着いたホームレス、梵天を追う警察。そこにいたのは、どの予想も遥かに上回る人物だった。
思わず息を飲む。見開いた目はしっかりと床に倒れ伏すそいつを見ていた。数秒の硬直と沈黙。
という掠れた声で破られた。我に返った蘭はすぐさまそいつらの元へ近付く。
男の方は、あの頃の懐かしい赤い特攻服。それを更に鮮やかな赤で染め上げる血液。襟足の長い金髪色の髪、時代に取り残された変わらない幼い顔立ち。閉じられた瞼の下には星屑のような瞳が隠れているのだろう。一歩進む度に思い出していく亡人の欠片に、
もう一人の女の方は、黒髪色のロングで時代に取り残された変わらない儚くきれいな顔。閉じられた瞼の下には、青い瞳が隠れているだろう。一歩進む度に思い出していく亡人の欠片に、
は乾いた笑いをこぼした。何一つ変わらないそいつらの表情は、静かに眠る眠り姫のように穏やかだった。
イザナの言葉が、忘れたくても忘れられないあの時の光景を鶴蝶の脳内に蘇らせる。
浅くなる呼吸、定まらない目線。冷たくなる手から伝わってくる着実に友人達を蝕む死。初めて目の当たりにした人間の死。どれだけ名前も知らない奴等を葬っても、慣れはしない。思い出す度に心の奥が冷たくなっていく。
にわかには信じがたい伝言に顔を顰めながらも、イザナはそれ以上言葉を口にしなかった。
数年一緒に過ごした程度の奴が、あいつらの何をわかる!あの日俺が生かして、俺の為だけに生きて、俺の為に死んだ。俺の腕の中であいつは死んだんだ。相変わらず呑気なヘラりとした笑みを浮かべて、俺の頬を一撫でしたきり二度と動くことは無かった。あの子も、同じだ。あの子はアイドルやっていて、ファンに殺されて死ぬ前に言葉を残して、死んだ。なのに何十年も経って今更生きてました?ふざけんな、馬鹿野郎。
なら他の奴じゃなくて、まず俺の前に現れろよ。そうしたらまた、今にも泣き出しそうな顔をした陽に、向日葵を翳して日陰を作ってやるのに。あなたの下の名前は、きれいな薔薇をあげるのに。
もう大人になった俺には小さすぎる、お前らによく似合う大輪の太陽の花を。


















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!