今日もまた、何度目かのお見舞いだった。
「お見舞い」なんて言っていいのか分からない。
受付を通って、病棟の階まで上がって、
廊下の端から、ただ姿を確認するだけ。
声はかけない。
近づきもしない。
あなたが、ちゃんと歩いているか。
顔色はどうか。
笑っているか。
それだけを見て、帰る。
それが、今の俺に許された距離だった。
昼時になって、人の流れが少し落ち着いた頃
俺は一階の購買に入った。
パンと、紙パックのコーヒー。
正直、味なんて分からない。
イートインスペースの端の席に座って、
ぼんやりと人の出入りを眺めていた。
――そろそろ、戻ろう。
そう思った、その時。
「……隣、いいですか?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
顔を上げる。
そこにいたのは――
白い病衣に、少しだけ緊張した姿勢。
あなただった。
心臓が、音を立てて跳ねた。
声を出したら、全部壊れる気がしてただ、黙ってうなずいた。
「ありがとうございます」
そう言って、彼女は、にこっと笑った。
――あの日と、同じ笑い方。
目が、少し細くなる。
手には、小さなプラスチック容器。
ラベルのついた、病院の購買で売ってるプリン。
俺は、視線を外すのに必死だった。
沈黙が、落ちる。
でも、不思議と重くない。
スプーンがプリンに触れる音。
誰かの足音。
レジの電子音。
全部が、現実なのに、俺だけが夢の中みたいだった。
「……あの」
先に口を開いた。
あなたは俺の方を見ないまま、プリンを一口すくっている。
「、、、プリン、好きですか?」
喉が、ひくっと鳴った。
好きだって、知ってる。
知ってるから、
聞くのが、こんなに苦しい。
「はいっ!!」
短く答える。
「そ、そうなんですね。俺も、まあ……」
“あなたが好きだから”なんて、言えるわけがない。
彼女は、ぱっと顔を明るくした。
「やっぱり!」
その反応に、胸がじんわり痛くなる。
「私、このプリンが好きなんです」
少し誇らしげに、容器を持ち上げる。
「ここに来てから、何回も食べてて」
スプーンを動かしながら、続ける。
「……不思議なんですけど」
嫌な予感がした。
でも、止められない。
「これを食べると、安心するんです」
指先が、少し震えた。
「理由は、分からないんですけど」
一度、言葉を切って。
「名前のない誰かとの、思い出なんです」
その瞬間、胸の奥が、静かに壊れた。
――ああ。やっぱり。
俺は、何も言えなかった。
否定も、肯定も、できない。
それは、俺の名前を捨てた選択の結果だった。
彼女は、俺を見ていない。
でも、その言葉はまっすぐ、俺に向いていた。
「……大事な人、だったんですか、?」
自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。
あなたは、少しだけ考えてから、うなずく。
「はい」
それだけ。
でも、その一言が、全部だった。
俺は、笑った。
ちゃんと。崩れないように。
「……いい思い出ですね」
嘘じゃない。
忘れられても、“思い出”として残ってるなら。
それは、俺がここにいた証拠だ。
食べ終わったあなたが、立ち上がる。
「ありがとうございました」
「……うん」
「また、どこかで」
そう言って、軽く会釈をした。
“また”なんて、
約束でも何でもない言葉なのに。
胸が、少しだけ軽くなる。
あなたが去ったあと、
テーブルの上に残された空のプリン容器を見る。
「……それ、俺だよ」
声には、出さなかった。
言えない。
言わない。
それでいい。
だって。
名前のない誰かでも、あなたの中で、ちゃんと生きてる。
それだけで、今日もここに来た意味はあった。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。