第10話

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2026/08/09 07:37 更新
あなたsaid
矢花黎
矢花黎
……あなた、大丈夫? なんか今日、顔色悪くない?
会社の給湯室。

コーヒーカップに湯を注いでいた私は、背後からかけられた声に思わず肩を跳ねさせた。

振り返ると、そこに立っていたのは同期の矢花黎だった。

少し癖のある黒髪。

腕まくりしたシャツの袖からは男らしい腕が覗いていて、親しみやすい笑顔を浮かべてこちらを見ている。
(なまえ)
あなた
えっ? あ、矢花。……ううん、全然大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけ
矢花黎
矢花黎
またまた。そんなクマつくっといてよく言うよ
矢花は苦笑しながら、私の持っていたカップをひょいと取り上げ、代わりに温かいほうじ茶のペットボトルを握らせてくれた。
矢花黎
矢花黎
コーヒーより、こっちにしときな。顔、白すぎるから
(なまえ)
あなた
......ありがとう
彼の言葉には、大輝の持つ「熱」とはまるで違う、どこか頼もしくて健やかな優しさがあった。

矢花とは入社以来の同期で、仕事の愚痴や他愛もない雑談を言い合える数少ない友人だ。

真面目で仕事もでき、周りからの信頼も厚い。

大輝のような不条理な我が儘も言わなければ、私の心を不必要に乱すような真似もしない。

まさに「健全な世界」の住人。
矢花黎
矢花黎
.....ねぇ、あなた
(なまえ)
あなた
ん?
矢花黎
矢花黎
最近、なんか悩み事でもある? もし仕事詰まってんなら、俺手伝うけど
矢花は真っ直ぐな瞳で、心配そうに私を覗き込んできた。

その距離感は、踏み込みすぎず、けれど放っておけないという温かな誠実さに満ちている。

(悩み事……)

『大輝のこと』

なんて、口が裂けても言えるはずがない。

バンドマンの男を家に住まわせ、彼女でもないのに尽くし、彼の気まぐれに振り回されて疲弊しているなんて、まともな社会人の矢花に話したら呆れられるに決まっている。
(なまえ)
あなた
ううん、本当に大丈夫。ただの寝不足だから
矢花黎
矢花黎
そ? ならいいけどさ。無理すんなよ? なんかあったら、いつでも俺に言いなね
矢花はポン、と私の頭を一瞬だけ優しく叩くと、
矢花黎
矢花黎
じゃ、午後も頑張ろ
と言って給湯室を出て行った。

残された私は、手元にある温かいほうじ茶を見つめる。

矢花のくれた優しさは、とても心地よかった。

息が詰まるような大輝との暗闇の世界から、一瞬だけ陽の当たる場所に引っ張り出されたような、そんな解放感。

(私、何をやってるんだろう……)

ちゃんと働いて、誠実に接してくれる矢花のような人と一緒にいれば、きっと私はもっと穏やかで普通に幸せな日々を送れるはずなのに。

それなのに、スマホの画面を付けると、大輝からのメッセージが届いていた。
今野大輝
今野大輝
お腹すいた
今野大輝
今野大輝
ねぇ、今日何時に返ってくるの
通知画面に並ぶ、素っ気なくて勝手な文字。

溜め息をつきながらも、私の指先は無意識に

「19時には帰るよ」

と返信を打っていた。

矢花のくれた健康的な温もりと、大輝の待つ怠惰で暗い部屋。

自分がどちら側に足を踏み入れているのかを突きつけられ、私の胸の奥に、新たな迷いの影が落ち始めていた。

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