まぶたを開くと、天井の縁が揺れて見えた。
薬品の薄い匂い、乾いたシーツの感触。
そして、低く落ち着いた声。
「ようやく目を覚ましたんですね。丸一日寝ていましたよ」
視界がクリアになる。
ベッド脇の椅子には、アズールが座っていた。
整った姿勢のまま、書類を閉じるように手を止める。
フロイドは反射的に上体を起こした。
「アザラシちゃんは?」
アズールの指先がピタリと固まる。
その動きが、部屋の空気を止めた。
「……アザラシちゃん、って……誰ですか?」
フロイドは、息が喉でつかえたような音を立てる。
――まただ。
アズールのその言葉で、フロイドはまた“戻った”と悟った。
けど、あの時とは違う。
今回は──「アズールを連れていけば何かわかるかもしれない」という確信が、妙に胸に残っていた。
「ほいほい、じゃあ行くよ〜。オンボロ寮」
「理由を説明してください。僕は仕事が──」
「いーから。行こ?」
強引に腕を引っ張られ、アズールは嘆息した。
オンボロ寮は静かだった。
誰も住んでいない、ただの廃寮。
アズールは周囲を見回しながら眉をひそめる。
「こんな場所に僕を連れてきて……一体何を調べるんです?」
「んー、小エビちゃんの痕跡?」
「だから、その“小エビちゃん”というのが──」
「いーから。こっち」
フロイドは迷いなく、かつてユウ──小エビちゃんが暮らしていた“はず”の部屋へ向かった。
扉を開けると、そこには机とベッドだけ。
生活感は一切ない。
まるで最初から誰も存在しなかったみたいだ。
フロイドは机に近づき、引き出しに手をかけた。
──まただ。
「ある」
「……?何がです?」
フロイドが引き出しを開けると、そこには前と同じ“古びた日記”がそのまま残っていた。
アズールは驚きに目を瞬かせる。
「……これは。
どう見ても魔力の残滓が……待ちなさい!素手で触る気ですか!?」
前回のことを覚えていないはずなのに、アズールの警戒だけは鋭い。
結局フロイドは肩をすくめ、日記から手を引いた。
アズールは手袋をはめ、障壁を展開して日記を持ち上げる。
瞬間、日記から黒い靄があふれた。
「っ……!魔力吸収系の術式……それも禁術レベルじゃないか!」
「懐かしいね〜」
「何が懐かしいんですか!!?」
アズールは必死に封じながら机に日記を置く。
「……読むなら、今です。全ては無理でした。
そのうえ、安全の保証はできませんが」
フロイドはページをそっとめくった。
そこには、黒く塗り潰された文章が並ぶ中で、数行だけ読める部分があった。
-
“フロイド先輩。
あなたがこれを読むのは、きっと“誰も私を覚えていない時”です。”
フロイドの喉がひきつる。
アズールが横で目を細めた。
「……誰、という話でしたね。その“小エビちゃん”」
フロイドは答えない。
答えたところで、理解されないとわかっていた。
“お願いがあります。
このままだと、私は“何度でも消される”。”
“誰も私を覚えていられない。
私自身も、いつか自分を忘れてしまう。”
ページの端は涙の跡のようににじんでいた。
フロイドは拳を握りしめる。
“オーバーブロットが起こる。
その中心に私は巻き込まれる。”
“だからフロイド先輩──
どうか、”
を、つないでください。”
途切れ途切れの文章はそこから先、真っ黒に塗り潰されていた。
アズールは長く息を吐いた。
「……つまり、
この日記の持ち主は“存在を消され続けている”と?」
「そ。小エビちゃん」
「本名じゃないんですね」
「うん。でも俺は忘れてないよ。
ぜってー忘れない。忘れらんない」
フロイドの声は低く、静かで、
今までにないほど切実だった。
アズールは少しだけ表情を緩めた。
「……では。
この“術式をかけた犯人”を探すところからですね」
「たのも〜、アズール♪
今回のアズールは天才なんでしょ?」
「今回ってなんですか!!毎回(?)天才です!!!」












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。