目を閉じることすら叶わないまま、ただ悪夢を植え付けられる。
そんな経験をした者は、きっと数えるほどにしかいないだろう。
かつて、この目で見たことがある。
異形の怪物によって、大切な人達が狂わされていく所を。
この心で感じたことがある。
本物の恐怖と絶望、そして憎悪を。
そして確かに、救われたことがある。
遥か天高くから一直線に降りてきて、狂気と絶望を瞬く間に焼き払った…
猛々しく美しい、紅蓮の劫火に。
【琰楽side】
扉がノックされる音が聞こえ、僕は目を覚ました。
身体を起こすと、みどりが扉の隙間から顔を覗かせていた。
僕達が今いるのは、とある小さな町の宿場。
数日前から町長と交渉をし続け、今日なんとか広場で大々的に布教する許可を貰ったのだ。
まぁ…それまでに町長の頼みを聞いたり、仕事を手伝ったりして大変だったが。
寝着から着替え、ローブを羽織る。
持っていくものはネクロノミコンだけでいいか。
…いや、念の為にのど飴も持っていこう。
宿場から出て、広場へ向かう。
遠巻きに僕達を眺める人々が、そんな会話をしているのが聞こえる。
果たして僕達だけで、減った分の信者を取り戻せるのだろうか。
…いや、やるしかない。
「任せる」と言って下さったクトゥグァ様の為にも…。
僕は1人、気合いを入れた。
硬く、重い何かが石畳に擦れる音。
湿った靴底が、踏みしめた場所に赤黒い跡を残す。
その者はフラフラと得物を引きずりながら、誰かを探していた。
声を掛けられ、その者は立ち止まる。
町人の言葉は、途中で凍りつく。
声を掛けた相手が持つ得物が何か、認識したから。
短い鉄の棒に滑り止めの布を巻いただけの、無骨な持ち手。
そこから伸びる長い鎖の先に付いているのは、人間の頭部より大きな鉄の球体。
無数の棘が付いたそれには、真新しい血と「何か」の肉片が。
その者が血を求めている今この瞬間に遭遇してしまった町人は、運が無かったとしか言いようがなかった。
後退る町人を獲物として捕捉し、その者は仄かな笑みを溢す。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。