ファイナル
当日の朝、控室の空気はいつもより冷たく感じた。
外の空気のせいではなくて、きっと自分の胸の中がざわつきすぎて、落ち着かなかったんだと思う。
靴ひもを軽く結ぶだけで足首には鋭い痛みが走る。
本当はすでに限界なんて超えている。
でもあの日、何もかもが僕の手からすり抜けていった瞬間から、何も考えられなくなった。
正確に言えば、考えることを辞めた。
考えてしまえば、胸の痛みが止まらない気がして。
本番が近づき、スタッフさんに呼ばれる。
「大丈夫?」と声をかけたスタッフさんにいつもの調子で笑って返した。
彼女もいつもこうだった。
「大丈夫?」と聞くより、「大丈夫じゃないでしょ?」と聞けばよかったのだと今になって気づく。
離れてからの方が彼女を考えることが多くなった。
会場の熱気は上がり、カメラが回り始めた。
多くのファンに囲まれたステージに上がると、やっと現実味を帯びてきた。
今日、すべてが決まるのだ。
客席を見回すと、ファンのほかに、
今まで一緒に歩んできた練習生たちの姿も見えた。
彼女もいた。
変わらずリンヌナの隣で笑う彼女に、思わず笑みがこぼれた。
『第4位 ―』
名前が呼ばれた瞬間、視界が白く弾けたみたいになった。
歓声が押し寄せて、仲間たちが肩を叩いてくれて、
足の力が抜けそうだった。
ふと目線を上げると、カメラはあなたを抜いていた。
祈るみたいに両手をぎゅっと重ねて、ステージを、
僕をまっすぐに見つめていた。
全ての順位が発表され、ステージはたくさんの人で溢れていた。
デビューメンバーと練習生たちが抱き合い、笑い、涙を流しながら言葉を交わしていた。
その輪の少し後ろ。
彼女は一歩下がって、やさしく見守っていた。
それでも彼女の周りにはたくさんの仲間がいて、
愛されてた証の真ん中に立つ彼女は、初めて会ったあの日と同じくらい綺麗だった。
迷う理由などなく、
痛む足など忘れて、
彼女のもとへ一直線に向かった。
彼女の姿だけが鮮明で、
それ以外はすべてぼやけて見える人混みをかき分けて、
脇目も振らず
彼女を抱きしめた。
20cmの身長差にすっぽりとおさまるその身体。
外から彼女の姿は見えないけれど、
僕の中では彼女が小さく震えているのが分かった。
僕の前で初めて見せた涙。
声はしなくとも、彼女の指先がそっと僕の服をつかむ動きだけで、全部分かった。
気づいたら声が溢れていた。
あの日言えなかった言葉が、
とめどなく溢れ出した。
彼女は僕の中で顔をあげて震える声で返した。
泣きながら、でも笑いながら、
僕の目を見つめて言う声が胸に刺さった。
少しだけ、彼女の身体を離して
正面から彼女の顔を見た。
頬に伝う涙の跡を手でやさしく拭ってから
伝えたかった言葉を引っ張り出した。
涙をこらえ必死に言葉を重ねる僕を
彼女は静かに見つめていた。
もう泣きたくなかったのに。
彼女の前では涙を見せたくなかったのに。
苦しそうにこぼれた彼女の声が、
嫌でも耳に届いてしまった。
『君はアイドル』end.
🪐🐈⬛












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。