休日の午後。南が事務所の引き戸を開けると、店内には重苦しい静寂が満ちていた。
畳の中央に置かれているのは、人の背丈ほどもある古い木枠の姿見。
夏樹はその前にしゃがみ込み、珍しく一切の笑みを消した真剣な眼差しで、鏡面を見つめていた。
南の気配に気づくと、夏樹は一瞬でいつもの柔らかな表情に戻ってみせた。だが、その瞳の奥には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
夏樹は苦笑いしながら、鏡の枠に貼られた古めかしい符を指でなぞった。
夏樹が己の過去を口にしたのは、これが初めてだった。
夏樹の言葉が途切れた。
ミシッ……!と嫌な音が響き、姿見の鏡面に蜘蛛の巣状のヒビが入る。
鏡の中から、ドロリとした漆黒の液体のようなものが溢れ出してきた。
それは空中へ広がると、万華鏡のように怪しく形を変え、南の視界を覆い尽くしていく。
耳元で、ねっとりとした不気味な声が囁く。
次の瞬間、南の目の前に広がったのは、忘れたはずの「過去の光景」だった。
小学校の教室。
「あそこに何かいる」と言った南を、気味悪そうに遠巻きに見つめる同級生たちの冷たい視線。
『あいつ、嘘つきだよ』『気味が悪い』『近寄らないでおこう』
遠くで夏樹の声が聞こえる。だが、過去の恐怖が足に絡みつき、声が出ない。
黒いモヤが、南の首元に手を伸ばしてくる。
影の手が南の肌に触れかけた、その時。
『ナイスサポート、南ちゃん。完璧だったよ』
『俺の霊力を少し分けて作った特製だからね』
『君のその素直な「目」なら、見えるはずだ』
脳裏に駆け巡ったのは、この数日間の夏樹の言葉と、あの温かな笑顔だった。
南は目を強く見開き、迫る影を強く睨み返した。
南の叫びとともに、トラウマの幻影が一瞬で砕け散った。
視界がクリアに戻ると、南はすぐさま鏡の奥の「コア」を見抜いた。
南の叫びに応え、夏樹が跳んだ。
いつもの軽快な動きとは違う。鞍馬家の正統な継承者としての、凛とした圧倒的な霊気が夏樹の全身から立ち上る。
夏樹が解き放った紫の雷光が、鏡の右下を正確に撃ち抜いた。
『ギャアアアアッ!』という悲鳴とともに、黒いモヤは一瞬で消滅し、姿見はパリンと音を立てて粉々に砕け散った。
静まり返った室内。
破片が散らばる畳の上で、南は膝をついて大きく息を吐いた。
そんな南の前に、影が落ちる。
見上げると、夏樹が申し訳なさそうな、けれどどこか心底愛おしそうな目で南を見下ろしていた。
夏樹は南の前にしゃがみ込むと、優しく南の頭に手を置き、ポンポンと髪を撫でた。
いつもはおちゃらけてばかりの夏樹が、まっすぐな目で告げた言葉。
南は胸がキュッと熱くなり、急に恥ずかしくなって視線を逸らした。
夏樹は立ち上がり、南に手を差し伸べた。
南はその手をしっかりと握り返す。
鞍馬家の影、そして南の持つ特殊な「目」。
二人を巡る運命のギアが、静かに、けれど確実に動き始めていた。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。