前の話
一覧へ
次の話

第5話

5.鏡の奥の面影と鞍馬の血
0
2026/07/21 22:31 更新
天音 南
……鞍馬さん?
休日の午後。南が事務所の引き戸を開けると、店内には重苦しい静寂が満ちていた。

畳の中央に置かれているのは、人の背丈ほどもある古い木枠の姿見。

夏樹はその前にしゃがみ込み、珍しく一切の笑みを消した真剣な眼差しで、鏡面を見つめていた。
鞍馬 夏樹
あ、天音ちゃん。いらっしゃい
南の気配に気づくと、夏樹は一瞬でいつもの柔らかな表情に戻ってみせた。だが、その瞳の奥には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
天音 南
その鏡なんですか?骨董品?
鞍馬 夏樹
まぁそんなところ。……俺の実家から「処分しろ」って送りつけられてね
夏樹は苦笑いしながら、鏡の枠に貼られた古めかしい符を指でなぞった。
天音 南
実家って……ご家族からですか?
鞍馬 夏樹
うん。鞍馬家っていうのは、何代にも続く妖祓いの家系でさ。俺はまあ……その『落ちこぼれ』にして『裏切り者』ってわけ
夏樹が己の過去を口にしたのは、これが初めてだった。
鞍馬 夏樹
鞍馬のやり方はさ、妖同士をぶつけることによって祓うんだ。……でも俺には、それがどうしても馴染めなくてね。だから家を飛び出して、こうやって一人で適当にやってるんだよ
天音 南
妖……同士を?
鞍馬 夏樹
要するに、マイナスとマイナスを掛け合わせれば、プラスになるってこと。昔のお堅い考えだね
天音 南
……でもじゃあ、なんでその実家から鏡が?
鞍馬 夏樹
『裏切り者』の俺に対する『当てつけ』だよ。見てよこれ、鏡の中に低級の妖を封じてある。しかも封印の仕方もずいぶんお粗末でーーっ!?
夏樹の言葉が途切れた。
ミシッ……!と嫌な音が響き、姿見の鏡面に蜘蛛の巣状のヒビが入る。
鞍馬 夏樹
しまっーー天音ちゃん、下がれ!
鏡の中から、ドロリとした漆黒の液体のようなものが溢れ出してきた。

それは空中へ広がると、万華鏡のように怪しく形を変え、南の視界を覆い尽くしていく。
黒いモヤ
……見エチャイケナイモノガ、見エテイルンダロウ?
耳元で、ねっとりとした不気味な声が囁く。


次の瞬間、南の目の前に広がったのは、忘れたはずの「過去の光景」だった。


小学校の教室。
「あそこに何かいる」と言った南を、気味悪そうに遠巻きに見つめる同級生たちの冷たい視線。

『あいつ、嘘つきだよ』『気味が悪い』『近寄らないでおこう』
天音 南
(あ……やめて……)
鞍馬 夏樹
天音ちゃん!聞くな!それは鏡が見せてる幻影だ!
遠くで夏樹の声が聞こえる。だが、過去の恐怖が足に絡みつき、声が出ない。

黒いモヤが、南の首元に手を伸ばしてくる。
黒いモヤ
誰モ受ケ入レテクレナイ。オ前ハ一人ダ。コチラヘオイデ——
天音 南
(私……ずっとひとりで……見ないフリをして……)
影の手が南の肌に触れかけた、その時。

『ナイスサポート、南ちゃん。完璧だったよ』

『俺の霊力を少し分けて作った特製だからね』

『君のその素直な「目」なら、見えるはずだ』


脳裏に駆け巡ったのは、この数日間の夏樹の言葉と、あの温かな笑顔だった。
天音 南
(……そうだ。私はもうひとりじゃない……!)
天音 南
……うるさい
黒いモヤ
……ナニ?
天音 南
うるさいって言ったのよ!!ばかーー!!
南は目を強く見開き、迫る影を強く睨み返した。
天音 南
私にはもう、ちゃんと私の『目』を見てくれる人がいる! 私の存在を認めてくれた人がいる! だから……アンタの見せる幻なんて、ちっとも怖くないんだから!!
南の叫びとともに、トラウマの幻影が一瞬で砕け散った。

視界がクリアに戻ると、南はすぐさま鏡の奥の「コア」を見抜いた。
天音 南
鞍馬さん!鏡の右下!ヒビが一番深いところに本体がいます!
鞍馬 夏樹
――上出来!
​南の叫びに応え、夏樹が跳んだ。
いつもの軽快な動きとは違う。鞍馬家の正統な継承者としての、凛とした圧倒的な霊気が夏樹の全身から立ち上る。
鞍馬 夏樹
急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう――破ぁッ!!
夏樹が解き放った紫の雷光が、鏡の右下を正確に撃ち抜いた。

『ギャアアアアッ!』という悲鳴とともに、黒いモヤは一瞬で消滅し、姿見はパリンと音を立てて粉々に砕け散った。

静まり返った室内。
破片が散らばる畳の上で、南は膝をついて大きく息を吐いた。
天音 南
はぁ……はぁ……死ぬかと思った……
そんな南の前に、影が落ちる。
見上げると、夏樹が申し訳なさそうな、けれどどこか心底愛おしそうな目で南を見下ろしていた。

夏樹は南の前にしゃがみ込むと、優しく南の頭に手を置き、ポンポンと髪を撫でた。
鞍馬 夏樹
……すごかったよ天音ちゃん。自分の力で幻を破るなんてさ
天音 南
っ……鞍馬さんが、声をかけてくれたから……
鞍馬 夏樹
ごめんね。俺の家のゴタゴタに巻き込んじゃって。……でも助かった。君が俺の助手で、本当に良かったよ
いつもはおちゃらけてばかりの夏樹が、まっすぐな目で告げた言葉。

南は胸がキュッと熱くなり、急に恥ずかしくなって視線を逸らした。
天音 南
……ふ、服が汚れちゃったじゃないですか。掃除大変なんだから、後で甘いものでも奢ってくださいね
鞍馬 夏樹
ははっ、了解。とびっきり美味しいケーキ屋があるんだ
夏樹は立ち上がり、南に手を差し伸べた。
南はその手をしっかりと握り返す。


​鞍馬家の影、そして南の持つ特殊な「目」。
二人を巡る運命のギアが、静かに、けれど確実に動き始めていた。

プリ小説オーディオドラマ