眼前の悪夢の様な現実に私は言葉を失う。
かつての【大天使】であり、今は【魔界の王】として君臨する唯一無二の存在を見違えるわけがない。
にわかに信じ難い光景であった。
――が、ルシファーが関わっていたとなれば、これまで私の中で燻り続けていた疑問や不信の全てに合点がいく。
理屈など関係ない、ルシファーとはそういう存在なのだ。
私が口を開きかけた時。
ルシファーは微笑みを浮かべたまま、そっと自身の唇に人差し指をあてがって見せる。
そして朗らかな声でこう言った。
不貞腐れる羊頭を残し、私とルシファーはキッチンを後にした。
*****
散歩といっても辿り着いた場所は教会の礼拝堂。
ルシファーは慣れた手つきで燭台の蝋燭に炎を灯した。
ルシファーは機嫌良くコロコロと笑って見せる。
此方は愛想笑いすら出ない状況だというのに……羨ましい神経をしている。
ルシファーはヒビ入り神像をツンツンと指で突く。
偶然の事故を装って破壊し、修復する際に何かしらの細工をしたのだろう。
昔から【大胆不敵】かつ【用意周到】、二つの才能を持ち合わせたタチの悪い男だった。
私は元の姿に戻ると長椅子にゆったり腰を掛けた。
確かに伸縮性の高い包帯にしておいて正解だ。
それでなければ今日だけで3回は包帯をちぎり、3回羊頭に叱られている所だった。
そう言い切ると、ルシファーはにっこりと微笑む。
俗にいう【言い出しっぺ】のくせに、何という横暴さだろうか。
確かに今のルシファーは【元の姿】からだいぶ掛け離れた姿をしている。
いや、姿だけではない。
佇まいや、仕草、発言――あの冷徹な男と同一人物とは、にわかに信じ難いものがある。
しかし一目見ればわかる、彼は紛れもない【魔王】だ。
そこに理屈も説得力も必要はない。
【摂理】も【道理】も捻じ曲げるのがルシファーの魔王たる所以でもある。
ルシファーはゆったりとした動作で、通路を挟んだ向かいの椅子に腰掛ける。
蝋燭の炎に照らされたルシファーの瞳が、紅く染まる。
それは闇を孕んだ地獄の業火を彷彿とさせる色だった。
*****
【最大限、譲歩している】という素振りを見せられ、私は僅かな時間で頭の中を整理した。
この男を相手にするには言葉選びも慎重に行わなければいけない。
非情・無情な悪魔の頂に立つ男が有情だったとは、初耳も良いところだ。
ルシファーは愉し気にコロコロと笑う。
私の問いに、ルシファーは初めて困惑気味の笑顔を見せた。
ルシファーすら困惑させるとは、あの羊頭も中々の猛者ではないか。
私は素直に感心していた。
何が一石二鳥だ。
つまりは【マリア可愛さ故の行動】であり、私の命拾いはほんのおまけ程度の偶然ということだ。
やはり同胞に有情の悪魔など居ない――親馬鹿な悪魔がいるというだけだ。
そこで私はふと疑問を抱いた。
……私は羊頭の悪口を聞かされているのだろうか?
そんな錯覚を覚える程度に、ルシファーの評価は辛辣だった。
ルシファーの紅い瞳に底冷えのする様な光が灯るのを、私は見逃さなかった。
否、見過ごせなかった。
それは【警告】なのか、それとも【死刑宣告】か。
魔王の眼光に射抜かれ、私は背中に冷たいものが走るのを感じていた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。
登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。