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第2話

僕は幽霊
327
2021/03/20 07:44
かつて、誰もが唸る程すごいテニスプレイヤーがいた



連日雑誌やメディアで取り上げられる様子に、日本だけでなく世界中が注目した



何がすごいか

その選手は一度も負けなかったのだ



ダブルスでもシングルスでも強く、多くの試合と大会に出ていたが、初出場の第1試合からどの大会でもどの試合でも1回も負けなかった


どんな窮地に立たされても、怪我をしても、時には卑怯な手を使われても、手強い相手であろうとも、その選手は負けなかった


試合に出れば必ず勝って帰るその姿から、人は皆その選手のことを




ーーー『英雄_ヒーロー_』と呼んだーーー・・・・






・・・・・・・・・ーーーーーー






「どうしたんだい、それ?」



「あぁ、書庫の前で拾ったんだが…」



朝から夕方までみっちりトレーニングや試合で扱かれた後にも関わらず、涼しげな顔で質問する幸村に対して、歯切れの悪い返事をする真田

それぞれの自室に帰る途中に出会った2人は、真田の手の中にある見慣れない薄手のカーディガンに目を向ける
落とし物をそのままにしておけなかった真田がここまで持ってきてしまったのだ

悪いことではないのだが………



「落とし主がわからないんじゃね…」

「うむ……心当たりがないか周りをあたってみるしかない様だな」



一度関わったことは途中で投げ出さない

最後までやり通す



少し融通がきかないけど、責任感の塊の様な男



「そうだね。書庫の前で落としたなら、誰か他にも見てるかもしれない」



それが、真田弦一郎と言う男なのだ



「ふむ…それなら、まずは食堂に行ってみるとするか」

「「!」」




2人が振り返るとさも当然の様に会話に入ってきた柳が立ってきた
まるで気配に気づかない2人を面白がる様に、柳は薄く笑みを浮かべた



「…蓮二」

「いつから話を聞いていた?…と弦一郎、お前は言う」

「その様子だと大方話は聞いていたみたいだね」

「まぁな」

余裕綽々な柳に対して何も返せず苦虫を噛み潰したような顔をしている真田の代わりに幸村が言葉を返す

「はぁ……まったく。それにしても…」

「なぜ、食堂なのか?と聞きたいのだろう?

練習も終わったこの時間なら、大方の人間は夕食を摂りに食堂へ集まるだろう
より多くの人に話を聞きたいなら、今は食堂に行くのが1番手間が取られないと俺が思っただけだ」


「そうか…確かに、その方が効率が良さそうだ」

「俺も食堂に向かった赤也に用がある。一緒に行こう」



落とし物を拾った当人である真田が口を挟む間もないまま、3人で食堂に向かうこととなった
2人に有無を言わさない所があるのは昔から変わらないが、その発言や行動には何度も助けられた
言葉にすることは多くないが、自然と溢れる感謝の気持ちに真田はうっすら顔を綻ばせた






ーーーーーーーーーーーー・・・・・・・・・


柳の予想通り、食堂に着いてみればハードな練習による空腹を満たすべく食堂にたくさんの人が集まっていた


「予想はしていたが、ここまで多いと話を聞くのが大変だな」


「手分けした方がいいかな」

「いや、この場合当たりをつけた方がいいだろう」

「当たり?」


訝しげな顔をする幸村と真田に対して、柳は真田の手からカーディガンを受け取り、それをさらっと広げてみせた



「いいか。まず服のサイズを見るんだ。

ユニセックではあるが、このサイズを俺や弦一郎、貞治や不動峰の橘、四天宝寺の千歳の様なタッパがある人間が持っている様には見えないだろう?」


「確かに…それに、ゆとりがあるサイズとはいえ、あまり筋肉質な人が着れるとも思えないな」

「なるほど…」


一つ一つ条件を絞っていき、何人かに絞れ始めた時だった




「あれ?部長!副部長!柳先輩!お疲れ様っすー!」


「ん?赤也?」



目の前からは、柳が探していた後輩である切原赤也が何やら急いだ様子で食堂を去ろうとしていた


「赤也、お前に話があるんだが」


「すんません!俺先に寄る所があるんで、話はそのあとで!」

「ぁ、おいっ」

「……行ってしまったね」


ややぎこちない動きで、走り去る切原の後ろ姿を見送って柳と幸村はそうぼやいた。

「おい、切原待て!」

「血ぃ流したままようあんな走るわ、ほんま」


「む、血?」

「練習中に盛大に転けて、膝と肘を擦りむいたんですよ」


切原の後を海堂と財前が追いかけるさらに後ろで、マイペースに足を進めてきた日吉が答えた


「なるほど、では向かったのは医務室か…」

「じゃあ、処置が終わるまで話は難しそうだね。こっちで話を聞きながら待ってたらどうだい?」

「そうさせてもらおう。」


切原の帰りを待ちながら、先程のカーディガンの持ち主を探そうかとなった時だった


「赤也……たるんどる!!」


急に大声を出し、赤也の後を追って真田が駆け出した。


「ぁ、真田!どこに行くんだい!」

「大方、『廊下を走るんじゃない、赤也!』と言いに行ったんだろうが」

「あはっ、まるで説得力がないね」


2人のそんなやりとりを知ることもなく、地鳴りのような足音を立てながら切原を追いかけて行った

彼のその猪突猛進の姿は今に始まったことではないが、その姿を初めて見た者ならまるで失態を犯したものを今すぐ処刑してしまいそうな勢いなのだろう


立海テニス部を入院中任せっきりにした分、今更どうこう言えないのだが、それ以上に彼のその姿あってこそ今の立海があるのだろうとも幸村は思うのだ



「真田の奴、"これ"のこと忘れてるんじゃないのかな?」


「ふむ……その確率、88%。まぁ、その内戻ってくるだろう」

「それもそうだね。俺達は先に話を軽く聞いてみようか」



こんなこと日常茶飯事だ、と言わんばかりの会話にそばで聞いていた日吉は興味ないふりをしながら呆れていた


あの常勝を謳う立海大付属中テニス部の今を引っ張っている人物とこれから引っ張る人物ともあろう人間が、"廊下を走るな"と言う幼稚な理由で怒られているのだから。


「ところで、お2人はここで何をしていたんです?」


「え?あぁ、もちろん食事も取りに来たんだけど」

「書庫の前で落とし物を拾って来たのだが、誰のものか分からなくてな」

「今人が多く集まるここで、持ち主の見当をつけながら話を聞こうと思ったんだ」



他校の生徒にも関わらず、隠さず話す2人の姿をぼんやりと見つめていると

「ちなみに聞いてみるが、このカーディガンに心当たりはないか?」

「ふむ……いえ、見覚えもないですね」

「そっか」

「氷帝のメンバーにも心当たりはなさそうだな。もう少し他を当たってみるか」


「力になれずすみませんね」

「気にしないで。また何かあったら頼らせてもらうよ」


そう言って立ち去る幸村と柳の背中に向けて、「これは何かあった時に、好きに遣われる奴なのでは?」と思う日吉であった。





『まぁ、見知った連中なら声くらいかけてやるか』


と心の中でぼそっと声を落とした。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「はぁっ、はぁっ……!!」


「おい、待たんかぁ!!!どこに行った!?」


「っ……!(やべぇやべぇやべぇやべぇやべぇ)」


脱兎の如く走り続ける切原は、自身の最速を更新しそうな勢いで、兄の副部長である真田から逃げ続けていた。



「いいかげんにっ……どこかに隠れた方が!」





「!」




この途方もない追いかけっこに終止符を打つ方法を考えていた切原は、ある部屋の前で立ち止まった。



「はぁっ…はぁっ……なんだ?………けー…ぷ?」



「赤也ぁ!!!!!!」



「いぃっ!?」





扉に書かれている文字が読めないまま、鍵が開いてるかもわからない部屋のドアノブを持ち、切原は力任せに捻った。





「む……赤也のやつ、どこへ行った?」




タッタッタッタッタッ…………






ーーーーーーーーーーーーーーーーーー…


「はぁ…はぁ………一先ず、安心……か?」


偶然にも鍵のかかっていなかった部屋に滑り込んだ切原は、切れた息を整えながら、扉の内側に手をつきしゃがみ込んだ。


静かな部屋で、1人荒く呼吸する音だけが聞こえる。
そう言えば、ここはどこだ?と軽く部屋の様子を伺うと、物がほとんどない殺風景な部屋で、暗く、かなり見えづらい。外の音もほぼ聞こえない様子と一台置いてある病室にあるようなベッドがあることから、医務室か何かか?と予想をつける。



さっきまで騒がしかったせいか、ここまで静かで薄暗いと少々背筋が冷たくなるような感覚が体を襲ってきたように思えた。

あまり居たくないと思ったが、今外に出るとまたすぐあの鬼に見つかることはバカでも予想がつくだろう。



「ふぅ……取り敢えず、しばらくはこのまま」







「誰?」




「!?」






ガンっ!!





頭を強く打った……が、そんなこと気にならないくらいビビった。
全く気配のしなかった部屋で、カサついた人の声が確かに聞こえたのだ。


体の出血のせいか、あれだけ長いこと鬼ごっこをしたせいか、文字通り血の気が引いていく感覚に軽く意識が飛びそうになる。



「そこにいるのは、誰?」




再び聞こえたその声につい反応し、顔を上げた切原の目には、ベッドに確かに横たわっている人が1人捉えられていた。


暗くてよく顔が見えづらいが、確かにそいつが喋っている。

そして、驚いたのが……



「ひぃっ………か、顔がぁあ!!」





切原の目に映った顔には、目がなかったのだ。
のっぺらぼうに近いその顔の主は、ゆっくりと起き上がり、切原にその顔を向けた。




「怖がらないで?」






「うわぁぁぁあああ!!!ででで出たぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!」





手を伸ばしかけたその瞬間、恐怖が最高値に上がった切原は、入った時よりも乱暴な音を立てながらその扉をなんとかこじ開けて部屋から飛び出した。

そして、無我夢中でその部屋から駆け出した。
足の痛み、頭の痛みなどすっかり忘れて、自室へと向かっていった。








「…………」




部屋に取り残された顔のない人。
行き場のない手をゆっくりと降ろし、少し下を向いた。



「大丈夫、だったかな」





ゆっくりとベッドのそばにある窓のカーテンを避けると外の光が漏れて嫌そうに身を捩る。
その姿を見る者は誰もいないが、差し詰めそれは陽の光を嫌がる幽霊のような反応であった。




「あと、ちょっとだから……」



そう最後に呟いて、ゆっくりベットに身を沈めてからは、部屋は再び無音の世界を広げていった。


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