ルナが あの 黒猫を見た日から…
また 僕の日常は…
がらりと 色を変えてしまった。
落ち着いてきていた ルナの様子は
また 不安定になってしまって…
家の中で 何かを探すように
悲しげに 不安そうに鳴いては
あちこちを 歩き回るようになった。
開け放せておいた 窓や出入口からは
僕が 知らないうちに
勝手に 庭に出るようになってしまい
あの黒猫が 歩いてきた塀に
バリバリと 爪を立てては
無理矢理に よじ登ろうとするので…
刺のようだった 小さな爪は
ギザギザに… 削られてしまった。
しばらくの間… 僕は
急にまた 落ち着かなくなってしまった
ルナの様子に 辟易としていたけど…
ふと… 思い出した事があった。
どうして… 忘れていたんだろう。
どうして… ずっと…
思い出せなかったんだろう。
…ルナ には…
一緒に 生まれ育ったであろう…
黒猫の… 「家族」が… いた 事を。
あの あずまやのある 大きな公園で
あの母猫と ずっと
つかず 離れず 一緒に
ルナのそばで 過ごしていた
小さくて 黒い… 子猫。
ルナが あの事故に 遇う前に…
あの母猫が 口に咥えて
黒い子猫を 道路の向こうへ
大切そうに 運んでいく様子を
僕は… 見ていたのに。
あの事故の 衝撃的な現実や…
ルナを 助ける事と 生かす事で
あの時は 頭がいっぱいで…
記憶の棚から すっかりと
抜け落ちたまま…
今まで… 思い出して やれなかった。
今に なって 思えば…
僕は…
あの 亡くなった 母猫を
あの時に きちんと 弔ってやる事も
あの黒い 子猫の事を 思いやる事も
あの時に やるべき 事を…
なにひとつ… 出来ていなかったんだ。
もしかしたら ルナも…
僕と 同じだったのかも しれない。
急に 自分の 周りの世界が
いっぺんに… 変わってしまって。
とにかく 自分自身が
生き抜く事に… 精一杯で。
僕と同じように…
他の事に目を向けている 余裕なんか
無かったのかも… しれない。
だから…
この庭で… あの黒猫を見た 瞬間に
家族である あの 黒い子猫のことを
思い出したんだろう か…
家の中を ぐるぐると歩き回って
鳴き喚いて 疲れ果てて
やっとどうにか いつもの寝床で 眠った
ルナの頭を… そっと 撫でてやる。
猫の顔色なんて 見た目では
分からないんだけど…
薄く ぼんやりと開いた ルナの瞳は
暗く 濁っていて… 悲しげで…
僕は… 胸が締め付けられる思いだった。
どうしたら ルナは 元気になる?
どうしたら 前のように…
朗らかに 楽しげに 過ごしてくれる…?
見つからない 答えを 探すように
僕は 悶々と… 思いを 巡らせていた。
でも…
僕の そんな思いは 届かずに…
ルナの身体は 少しずつ 痩せ細り…
だんだんと 衰弱していった。
食事や 水分をとることも
家の中を 歩き回ることも
だんだんと 減ってゆき……
瞳も ぼんやりとしていて…
明らかに 前のルナとは 違ってしまった。
ほとんど いつもの寝床で
倒れるように 寝て過ごしていて…
家の中は 急に しんと
静けさを増したように 暗くなって
重苦しいような…
湿った空気に 包まれていた。
今まで 猫を飼った事の無い 僕にさえ
ルナの 変化や不調は
痛々しいほどに 明らかに
理解できるほどに… 伝わってきた。
なんとか 動物病院に連れていって
点滴などの 治療をしてもらうも…
ついに ルナは 自分からは
エサを 食べなくなり
水分も とらなくなり…
もう 「 生きる 」 事を…
諦めたように 手離していく ようだった。
僕が してあげられる事は
ただ そばにいる事 くらいで…
日に日に 弱っていく ルナを
そっと 撫でて… 触れて…
どうにか 見守るしか… なかった。
動物病院で 小さい身体に 針を刺されて
透明な管に繋がれて 栄養を流し込まれて
どうにか 命を つないでいる ルナに
僕は これ以上
この身体で この手で…
何をして… あげられるんだろうか?
すっかり ぺたりと 薄くなって
骨ばった ルナの身体に
そっと 指先で 触れるたびに。
どうしようもなく 辛くて 痛い 感情が
僕の身体の 奥底から じわりと
湧き出して… 止まらなくなる。
少しでも 長く 生きていて 欲しい。
ずっと もっと 僕のそばに いて欲しい。
でも それだけ ルナは…
痛くて 辛くて 苦しい時間を… 過ごす。
もっと 長く ルナと
一緒にいたいのは 僕の我が儘で…
ルナは こんな
痛くて 辛い時間を 過ごすことを
望んでいないかも… しれない。
でも 僕は…
ルナを… 失いたくない。
もっと 一緒にいたい。
家の中を 元気に かしゃかしゃと
走り回らなくても いいから。
僕がやっと 寝てる時に にゃあにゃあと
うるさく 鳴き喚いても いいから。
僕の大事な 仕事道具を 遊んで 転がして
ソファの下に 隠してしまっても いいし
書類や 本や 写真たちを
ビリビリに 破いてしまっても いいから。
ただ… 寝ているだけでも いい。
ただ…
そこにいて くれるだけで いいから。
僕の声に 少しだけ 反応して
やっと 濁った 瞳を 開けて
僕を 優しく 見つめてくれる
弱々しい ルナの 頭を…
ゆっくりと 優しく… 撫でる。
乾いた口を 何とか 開いて
弱りきった身体に 力を入れて
声にならない 鳴き声を 吐き出す… ルナ。
まだ 温かくて
まだ ちゃんと 息をして
まだ ちゃんと… ルナの心臓は 動いている。
僕が 今の ルナのために
出来ることなんて 役に立てることなんて
何も ひとつも… ないのだけど。
ルナの この命が 生き続けるかぎりは
そばに… いたい。
それしか 僕には…
…できないんだ。
the story continued…













編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!