第42話

その41 ファーストキス
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2025/11/09 08:43 更新
【髙地】


「髙地さん、虫歯っすか?」
「へっ…?」

昼メシに寄った定食屋で
目の前の中村が白飯片手に言いだした。

「いや…?な、なんで?」
「なんか今日ちょいちょい口もごもごしてません?」
「…あ、ぇ」

ヤべ…、無意識のうちに動かしちゃってたか…

なんだかんだ、こいつも周りをよく見てんなと感心して
箸で持ち上げていたうどんを啜った。

「虫歯は早い方がいいっすよ」
「そうだな…」

誤解させたまま流した。


だって…

ジェシーの唇の感触が、口元から消えてくれないんだもん
なんて、言えねーもん…



昨日の夜

チョコを渡したら
泣き笑いのような顔をしたジェシーの大きな手に
ほっぺたを包まれて

「じぇし…?」

驚いている間に綺麗な顔がふっと近づいて

触れるだけのキスをされた。

触れるというより押し当てられるような
ゆっくり熱を分け合うような
そんなキスだった。


突然のことに驚きすぎて目を閉じることもできず

それでもジェシーの柔らかい唇に
腰の奥がぞわりと疼いた。

「…ごめん」

顔を離して申し訳なさそうに眉を下げるジェシーの腕を
慌ててつかんだ。

ぶんぶんと大きく頭を振って

謝んな、嫌なんじゃない、むしろ嬉しい…

だけど
そもそもチョコを渡すのにドキドキしてた俺は
口を開けば心臓が出てきちゃいそうで
なにひとつ言葉にはできなかったのに

「ありがと、こーち」

伝わったのか
ジェシーは嬉しそう笑って、ぎゅっと抱きしめてくれた。

そして、タクシー待たせてるからまたって

俺の鼻の頭にチュッともうひとつキスを落として
ジェシーは帰っていった。


…それからずっとだよ。

歯磨きをする時も、ゴハンを食べる時も、
朝の打ち合わせで新製品の確認事項を話してる時だって

唇はジェシーを感じたまま。

なんならほっぺたもジェシーの両手に包まれたままで
鼻の頭にだってジェシーの熱が残っている。

ファーストキスでもあるまいし
いい歳してなんだよって思うけど

バレンタイン騒動といい
相手がジェシーとなるとどうにも…


そう、バレンタイン。

小さいチョコを用意するまでだって
俺の脳内会議はまたもや大白熱だった。


バレンタインという行事が、俺のどこにも引っ掛かるこ
となく流れていくようになってはや何年?

気まぐれに取引先でビジネスチョコを貰って
1か月後に慌てて近所の焼菓子がおいしいケーキ屋さん
に駆け込むというのが、ここ数年のルーティンだった。

だけど、今年は違う。

「あげても…いい、んだよな…?」

一応、デパ地下の特設売場を通りかかってみたものの

「……いやいやいやいや…」

なんだかんだ言っても、まだまだ女性の戦場である
そこに突入する勇気はやっぱりなくて

「むりむりむりむり…」

すごすごと帰ってきた。

買えないならいっそ作る?手作り?

…いやいやいや、手作りチョコはちょっと怖いだろ

コンビニっていう手もあるか。

あ、ケーキ屋さんに何かあるかな?

つか、ジェシーってチョコ食っていいのかな…?

いや、そうだよ。
問題はどっちかっつーとそっちじゃん。

え、聞く?

いやいや、今のタイミングでそんなこと聞いたらバレバレ
じゃん!それは恥ずかしいだろ!

「どーぉしよぉ〜…」

って…、一人でひと通り大騒ぎした。

まぁ結局、バレンタイン当日
ジェシーはオーストラリアっていうオチだったんだけど。

それでも、数年ぶりにバレンタインというものに
むずむずと振り回されて

なんだか幸せだった。



「…まるで初恋だよ…」

車に乗り込みながら
今度は意識してきゅっと唇を噛む。

「え、なんか言いました?」
「なんでもねぇ、次、行くかぁ」
「うっす」
 
いつもの社用車と、いつもの中村。

中身だけが少し高校生を引きずっていて
なんだか変な気分

ぷるぷると頭を振って社会人優吾を降ろすと

「おっしゃあっ」

背筋を伸ばしてアクセルを踏んだ。




ジェシーにとって

バレンタインに薔薇とチョコレートっていうのは
ちょっと特別な意味があるんだけど

だからこその
あのタイミングのキスと
あの一瞬の泣き出しそうな表情だったんだけど

俺がそのことを知るのは

もう少し先のこと





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