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『触れたら終わりの秘密の隣人』~m×s~
Side佐久間
俺は人生の岐路……というほど格好のいいものではないけど、まあまあ大きな曲がり角に立たされているんだよね。
三十路を目前にして三年付き合った彼女に「佐久間君と一緒にいる未来が見えない」という、ドラマでしか聞かないようなセリフで振られてしまった。
おまけに同棲していたマンションは彼女名義だったから、俺は荷物をまとめて追い出される羽目に。
まさに踏んだり蹴ったりだよ。
そんなこんなで半ばヤケクソで見つけたのが、この「メゾン・ド・ソレイユ」っていう名前だけは一丁前な築二十年のアパートだった。
ははっ…ソレイユって太陽だろ?
なのに俺の202号室は北向きで一日中ジメジメしてる。
笑うしかないよね。
引っ越しのダンボールもまだ片付かないまま迎えた最初の週末。
とりあえず近所にどんな人が住んでいるのか知っておかないといけないなと、俺はスーパーで買ってきた安物のタオルを片手にお隣さんのドアの前に立った。
203号室。
表札は出ていない。まあ最近はそういうものか。
「ごめんくださーい」
インターホンを鳴らす。一回、二回。……反応なし。
留守かな。まあ仕方ない。
また今度にでも、と踵を返そうとしたその時だった。
アパートの階段をコツコツと軽快なヒールの音が上がってくる。
見ると、やけに体のラインが出るニットのワンピースを着た髪の長い綺麗な女の人だった。手にはブランドものの小さなバッグ。
こんな庶民的なアパートにはちょっと不釣り合いな感じがする。
女の人は俺の横を通り過ぎて、当たり前のように203号室のインターホンを鳴らした。
『――はい』
スピーカーから聞こえてきたのは、低くてちょっと眠そうな男の声。
さっき俺が鳴らした時はうんともすんとも言わなかったのに。
どうなってるんだよ。
「私だけど」
『ん、開いてる』
女の人がドアノブに手をかけると、カチャリと鍵の開く音がしてドアが内側に開いた。
中から現れた男の姿に、俺は思わず息を呑んだ。
なんだこの男。
すごく男前じゃないか。
黒いTシャツに黒いスウェットパンツっていう、すごくシンプルなリラックススタイルなのに、それがとんでもなく様になってる。
少しだけ気怠そうに細められた目に、すっと通った鼻筋。
無造失にセットされた髪が妙に色っぽい。
「遅い」
「ごめん、電車乗り間違えちゃって」
甘えた声で言う女の人を、男は特に表情を変えることなく部屋に招き入れた。
そして俺の存在に今気づいたという顔でこっちを見る。
「……何か?」
低い声で、温度のない視線が俺に突き刺さる。
うわ、感じ悪いな。
「あ、いや、隣に越してきた佐久間です。これ、引っ越しの挨拶で…」
俺は慌ててタオルを差し出した。男は一瞬、俺とタオルの間を視線で往復すると、めんどくさそうにそれを受け取った。
「……どうも。目黒です」
それだけ言うと、彼は俺に背を向けバタンと無慈悲にドアを閉めた。
「……なんなんだよ、アイツ」
俺は閉ざされたドアの前で一人呟く。
愛想のかけらもないじゃないか。まあいいや、関わらないようにしておこう。
そう心に誓って、俺は自分の部屋に戻った。
―――――――――――――
新しい職場と新しい部屋。慣れないことだらけの生活が始まって一週間が過ぎた。
平日は仕事でクタクタになって帰ってきて、コンビニ飯を食って寝るだけ。
隣の目黒とかいう男のことは、すっかり頭から抜け落ちていた。
問題は金曜の夜だった。
仕事を終えてアパートに帰ってくると、階段の下に見覚えのある華奢な人影があった。
先週の女の人とはまた違う。
今度はショートカットが似合う活発そうな感じの人だ。
その人も慣れた様子で階段を上がっていくと、203号室のインターホンを鳴らした。
デジャヴ?
俺が呆気にとられて見ていると、またあの低い声がスピーカーから聞こえて、女の人は中に入っていった。
ドアが閉まる直前、ちらりと見えた目黒はやっぱり黒い部屋着姿だった。
「……へぇ」
偶然だろうか。
いや、それにしても。俺の中に小さな疑念が芽生えた。
その疑念が確信に変わったのは、さらに次の日の土曜日のことだった。
昼過ぎに俺がゴミを出しに行こうと部屋を出ると、ちょうど203号室のドアが開いて、昨日とはまた別のふわふわしたパーマが可愛い系の女の人が出てきた。
その人の後ろから、やっぱり目黒が顔を出す。
「じゃあまた連絡する」
「うん、待ってるね!」
女の人は名残惜しそうに目黒に手を振って去っていく。
目黒は廊下に突っ立っている俺に気づくと、またあの温度のない視線を向けてきた。
俺は咄嗟に目を逸らし、そそくさとゴミ捨て場に向かった。
……なんだよあいつ。
日替わり定食みたいに女をとっかえひっかえしてるのか?
俺は元カノに「佐久間君は真面目すぎる」とかなんとか言われて振られた身だ。
だからといって、あんな遊び人みたいな男に共感できるわけでもない。
むしろ不快感すら覚える。
月曜の夜、仕事帰りに見かけたのは清楚なワンピースのお嬢様風の女の人。
水曜の夜には派手なメイクのギャルっぽい子が楽しそうに目黒の部屋に入っていった。
そして金曜には、また先週のショートカットの子が来ていた。
―――リピートもあるのかよ。
壁が薄いせいで、夜になると隣から微かに話し声や笑い声が聞こえてくる。
何を話しているかまでは分からないけど、女の人の甲高い笑い声が聞こえるたびに、俺はなんとも言えない気持ちになった。
「……やり部屋か、ここは」
一人で缶ビールを煽りながら悪態をつく。
別に他人の恋愛事情に口を出すつもりはない。
ないけど、こうも毎日毎日違う女の人が出入りしていると、気色が悪いというか、なんというか。
そもそもあの目黒って男は一体何者なんだ。
平日の昼間から家にいる日もあるみたいだし、かと思えば夜中にふらっと出かけていったりもする。
生活リズムが全く読めない。
ある日曜の午後。
俺は溜まった洗濯物を片付けようと、アパートの共同廊下に出た。
すると向こうから当の目黒が歩いてくる。
手にはコンビニの袋。
すれ違いざま、挨拶すべきか一瞬迷う。
でも向こうは俺のことなんか見てもいない。
気まずい沈黙のまますれ違うだけ……のはずだった。
「……あの」
先に口を開いたのは、意外にも目黒の方だった。
「はい?」
俺が訝しげに振り返ると、目黒は少しだけ躊躇うように視線を彷徨わせた後、俺の顔をじっと見て言った。
「……なんかジロジロ見てません?」
「へっ!?」
図星だった。
図星すぎて変な声が出た。
「いいや、見てないし! 自意識過剰じゃないですか!?」
慌てて否定するけど、声が裏返ってる。完全に挙動不審だ。
目黒はそんな俺を値踏みするようにじっと見つめてくる。
その目に面白がっているような色が浮かんでいる気がして、無性に腹が立った。
「見てないって言ってるだろ! あんたみたいな胡散臭い男、誰が見るか!」
「胡散臭い……」
目黒は俺の言葉を反芻するように呟くと、ふと口の端を上げた。
笑った? いや、馬鹿にしてるのかこれは。
「あんたこそ、いつも俺のこと見てるじゃないですか。廊下とか階段の下とかで」
「なっ……! それはたまたま! たまたまタイミングが合うだけだよ!」
「ふーん」
納得していないのが丸わかりな相槌。
こいつ、絶対気づいてる。
俺が監視してること、全部お見通しなんだ。
顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
「だいたいあんたがおかしいんだろ! 毎日毎日違う女の人連れ込んで! ここはホテルじゃないんだぞ!」
もうヤケクソだった。
思っていたことが全部口から出る。
言ってしまってから、しまったと思った。
完全にただの因縁じゃないか。
俺の剣幕に、目黒は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
でもすぐにいつもの無表情に戻る。
「……俺が誰を部屋に入れようと、あなたには関係ないですよね?」
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※こちらの作品には、心を奪うほど濃密で官能的なR-18描写が含まれます。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。