第3話

むちゃ
6
2026/02/15 05:35 更新
 次の日、目が覚めて、また吐き気がした。今度は昨日よりもだいぶマシだった。トイレに駆け込んで、胃液を口から吐き出す。昨日の夜に食べたシチューの、消化しきれていない具材が見えて、ひどく虚しくなった。ふー、ふー、と呼吸を落ち着けながら、もう吐き気がないかを確認して、トイレを出る。そこには、狩猟を終えて帰って来たらしいタブーさんが、俺の顔を見て、心配そうにしていた。引きずって来たらしい鹿の死骸が、無惨にも玄関に血みどろの状態で転がっている。今の俺にはあまりにも刺激が強かったようで、また胃液がせりあがってくる感覚に嫌気がさした。

「……も、やっす」

 朝食、今朝とってきた鹿の肉で作られたステーキを食べながら呟く。カロリーが高いが、俺のためにとかなりカロリーを抑えてくれたものらしい。無理せず、ギブしていいと言ってくれたが、粗末な事だけはしたくないのでがんばって食べていたのだ。タブーさんは、やはりもう食べるのが辛いのだろうと食器を取り上げようとしたのだが、俺はまだ食べる気でいたので、軽い攻防戦になった。

「ギャパ? もう食いたくねえ、ってことじゃねえのか。じゃあ、なんだ?」

 首をひねりながら、ステーキを頬張るタブーさん。仮面を外しているからか、かなり珍しい光景にうつる。俺はステーキを、小さく刻みながら、周囲には誰もいないのに、タブーさんにだけ聞こえるように小声で語った。

「…まだ食べたいっす。そうじゃなくて、きょ、今日は、がっこ…行きたくない…っす」

 一口、ステーキを頬張って押し黙る。頑張って咀嚼するが、やはり包丁などで柔らかくなるよう刻んであるからなのだろう。かなり噛みやすく、歯ごたえもしっかりあった。早々に顎が疲れてきたので、さっさと嚥下する。タブーさんは考えるように下を向いて、黙々とステーキを口もとに運んでは、皿に戻してを繰り返していた。

「…じゃあ、俺様からキリンに伝えとくからよ。今日は家でゆっくりしてけよ。俺様、今日は講義ねえから、暇なんだ」

 家主がいるなら、問題ねえだろう? そう笑って、ステーキを口いっぱいに頬張った。それに、とタブーさんが続ける。

「学校に行きたくねえってちゃんと言えるのはいいことだぜ。俺様も、なんだかんだそこまではっきりとは言わずに死のうとしたしな。ちゃんと自分の意見が言えるんだ、それはいいことだって、誇っていいぜ」

 食べながらそう言い、自分の食器をもってキッチンへと消えて行く。その背中を追いながら、俺は未だステーキを食べ続けていた。

 迷惑がられていないだろうか、気を使わせているのではないのか、様々な思考が飛び交う中、食べきったステーキはタブーさんの手によって回収され、洗われた。横になってていいぜ、と言われたが、どこか申し訳なさが勝ってしまい、背もたれにもたれかかるだけにとどめた。ふ、と溜息をつくと、一気に視界が黒塗りになる。急に不安になって、すぐに目を開けた…が、瞼が異常に重たく感じ、また自然と瞼が落ちた。黒塗りの視界に戻り、不安で押しつぶされそうになる中、しかし開きそうもない瞼が重たかった。段々と重力に従って心も体もソファに沈んでいく。そのまま時が経つのを感じながら、眠れない、しかし、眠りそう、という境を往復していた。

 途端に、ガクン、と体が落下する感覚を覚えて、目が覚める。肩も跳ね、足下から落ちた気がして足元を見ても、何もなかった。一抹の不安を覚え、ソファから降りる…と同時にまた吐き気に襲われた。駆け足でトイレに急ぐ。タブーさんからの驚きの声も聞こえたが、気にしている余裕はなかった。

「ハック!」

 トイレで思い切り吐き出していると、慌てた様子のタブーさんが背中をさすってくれた。上下に背中をさすられる感覚を過敏に感じ取ってしまい、また胃液が上がってくる。何度か吐き出していれば、パーカーのポケットに入っているスマホが小さく振動した。バイブレーションだけでなく、音声機能も、初期設定のまま付いているはずであったのに、音が聞こえない。首をひねり、微かに残る胃液の酸っぱさに顔をしかめながら画面を確認した。そこには、メールを受信したと言う受信ボックスからの通知があった。画面をスライドさせてメールの内容を確認する。文字が、焦点のブレでまともに読めないため、タブーさんに無理矢理読ませることにした。

「ギャパ…ええと…、『我らの基地であるY施設には、来ないのか? 内部から浸食されているのか? 盟友として、この俺が直々に治しに行こうではないか』……だってよ。どういう意味だ?」

 どうやら、中二病を患っているサブローくん…もといレクイエムくんからのメールだったらしい。読むために既読を付けてしまったために、返信をしなければならないと思い、スマホを返してもらう。視界のブレは戻ることがない。文字の読めないもどかしさから、目の周囲が暖かくなる。タブーさんが、俺の頭に手を置いた。

「……大学に来ないのは、なぜか、風邪を、引いているからか。見舞いに行くね……って意味だと…思うっす」

 そう言ってから、フリック入力を試みるも、指の震えがおさまらず、なんとか入力できた内容も、おそらくは文章にすら成り立っていないのだろう。タブーさんに確認してもらったのだが、

「……『たちしょくぷづすや』? なんだこれ」

 と一蹴されてしまった。満足に入力もできず、サブローくんにさえ気遣わせてしまっている事実に涙があふれる。吐き気はおさまったか、と聞かれ、ひとまずは大丈夫だからと頷く。タブーさんに促され、またもう一度リビングへと戻り、今度はタブーさんの足の間に座らされる。一応はソファの上ではあるのだが、タブーさんの体が背もたれになるからか、あまり迷惑を掛けられないと、ピンと張った背筋で座り続けていた。段々と疲れてきた頃に、ぽすん、とタブーさんの体に寄せられた。ふんわりとしていて、暖かくて心地いい。ちょうどいい角度であることも相まって、綺麗に収まった俺は、タブーさんの着ているピンクの無地のエプロンを握った。

「……きんにく、やわらかいんすね」

「ギャパパ、力を入れなかったら筋肉はふわふわしてるんだぜ。筋肉も所詮は肉だからな」

 そう言って、ゆったり力を入れて硬くしたり、力を抜いてふわふわに戻したり、を繰り返し、俺もそれに対して子供のように笑っていると、インターホンが鳴った。ビク、と肩が跳ねる。タブーさんは俺を落ち着かせるように、俺を抱え込み、頭を優しくぽんぽんする。そこからすぐに離れて、玄関の先にいる人物に会いに行った。

「ギャパッ!? お前、なんで俺んち知ってんだよ? …まあ、いい。ハックなら今休んでるんだ、ストレスになるから、帰ってくれ」

 タブーさんの大きな声が聞こえる。しかし押し切られてしまったようで、玄関先からはビニール袋をかさかさ言わせて入って来たサブローくんがいた。奥から慌ただしく戻ってくるタブーさんも見えた。

 サブローくんは、俺を見つけるや否や、ぱあ、と顔を輝かせた。

「ハック! ここにいたんだな。家にも行ったんだが、留守でな…。一応メールもしてたんだが、既読スルーしていたし…。大丈夫か? みかんゼリーを買ったんだが、食べるか?」

「はは……いただくっす。大丈夫っすよ、ただちょっと…風邪気味なだけなんで…。今はお泊りさせてもらってるんすよ」

 乾いた笑いが漏れる。タブーさんは不安そうに俺を見つめていた。サブローくんが安心したように綻ぶ。かさかさと不快な音を立てるビニール袋を俺に差し出しながら、サブローくんは照れくさそうに口を開いた。

「それを聞いて安心した。まあ、体調が戻り次第、またこの俺とダークサクリファイスについて語り合おう…」

 そう言われ、また慌ただしく帰って行く。タブーさんは呆れたようにサブローくんをその場で見送り、俺のそばまで歩いてきた。

「ギャパ…無茶しただろ、お前」

「え…まあ…心配、させたくない、っすから」

 そう呟くと、「今は自分の心配するだけでいいんだぜ。人のこと考える必要はないぞ」とタブーさんに撫でられた。あまり無用にもとれる心配をしてもらって、杞憂だと思われるよりも、先に安心してもらうほうがいいと思ったのだ。

 ただ、頭を撫でてもらいながら、不快な音を立てる親切な袋を抱えて、俺は無理矢理口角を上げていた。

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