「この世から居なくなりたいと思った時が来たら、白い骨が見えるまで僕の傍に居ればいい。
やがて剥き出しになった骨が姿を現したら、そっと僕の中に溶け込めばいい。」
遠くを見つめる物憂げな表情は、何故だか妖艶で儚くて今にも消えてしまいそうだった。
居なくなることが出来たらどれだけ楽か。
急発進したと思えば再び足取りは穏やかになる耳に残ったジャズの音色が大気に消える。
彼の言葉は理解が出来なかった。
だけど、骨董品の中に埋もれた操り人形のような貴方を、操りの糸から解放してしまえばきっと機能しない貴方を、救うことなどもっと出来るはずがなかった。
糸から解放する唯一の手段である鋏を持つ人間は私ではない。
きっと彼の見ている世界は"誰か"が全てで、その得体の知れない"誰か"にも理由があるのだ。
私にはまだ知る由もなかった。
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通りの突き当たりにある骨董品屋の灯りはいつでも十八時半のような暗さだった。
薄暗く、目を凝らさないと店内の輪郭が見えないほどのぼやけ方をしている。
独特な靄が掛かったような、もしくは洞穴のような雰囲気を醸し出している奥深くから覗く人影。
髪型や髪色、表情や顔立ちまでははっきりと分からないが、恐らく若い青年であることに違いは無いだろう。
この店のある通りは、通学路であり毎日欠かさず通るが近寄り難く、なんせ人が入っていくところを見た事がなかった。
塾が終わり帰路に着く二十二時半、まだ灯りは付いていた。
深い緑色をした入り口の扉には大きな窓が付いており、変わらず薄暗い店内に動く人影がある。
今日は何だか突拍子も無く特別なことがしたい気分だった。
日々の疲れから来る幻覚のような、"どうにでもなれ"と思ってしまう幻想。
こんな日だからこそ骨董品屋の扉を開けられた。
「いらっしゃいませ」
実際に足を踏み入れて分かったこと、入り口のドアを開けると三段ほどの下り階段があった。半地下のようなこの薄暗い照明と流れてくるのは優雅なジャズ。
埃を被ったような独特な匂いは、不思議と鼻をツンと刺すことはなく店の雰囲気を作り上げる演出のようだった。
低く限りなく小さな声の主は、ずっと私が見ていた"若い青年"であることに間違いなかった。
このご時世に珍しい有線の白いイヤホンを両耳から垂らし、木製のヴィンテージ漂うレジカウンターに座って読書をしている。ホットミルクを添えて。
こちらに視線を送ることもなく、ただ細く綺麗な指先でパラパラとページを捲り誰かの人生を一から十まで覗いているようだ。
生成色をしたリネン素材のレギュラーシャツ、襟は首の後ろで立っている。わざとなのだろうか。
耳に掛けられた黒髪は彼が動く度に連動したように揺れ、時々耳の上から目元へ、またすぐに細い指先によって耳の後ろへと避けられる。
こんなに見惚れてしまったとしても、彼は一向にこちらを気にする素振りはなかった。
何者なのだろうか。
そりゃあこの店の店員なのだろうが、どうしてもその不思議な素性が気になった。
骨董品は全てが重なり合うように展示されている。
動かない時計に用途が何なのか見当すら付かない模型、様々な小動物や鳥類、昆虫類の剥製。
並んでいるものは全て私の人生に関わった事のなかったものばかり。
見てはいけない世界に迷い込んでしまったような気持ちに誘われる。
うさぎの剥製は一点を見つめたまま何を考えているのだろう。
雌の孔雀の剥製には鮮やかな羽根はない。
中央にある錆びれたテーブルに並ぶ動物たちはどれも埃一つ被っていなかった。
すると、ふとポケットの中で携帯電話が震えていることに気がつく。スカートのポケットから太腿に伝わる振動、手を伸ばせば画面に映し出される母親の名前と今の時刻。
慌てて店を飛び出すと、正気に戻ったように帰路に着く。
時刻は二十三時を回ったところだった。
幻想の世界に耽っているとあっという間に三十分が経過していたようだ。
不思議な骨董品屋では時間の経過すら時空を歪ませているように感じた。
暗闇に進む帰路の空気、ほんの少し濡れた風がやけに纏わりつくそんな夜だった。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!