第5話

être ressuscité
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2022/09/18 10:09 更新
カレンダーに、バツをつけた。
ヘチャンはその印を見て、どこか満足げに微笑んだ。

「凄いね、やりたいと思ってたこと全部できちゃったや。」

書き込まれた予定のあと全てに書いてあるにっこりマーク。達成の印。ヘチャンがやりたいと思っていたことを、信じられないことに僕たちは全て実現させてしまった。遠出もして、アーティストのコンサートだって行って、きっとあと何年会ってもできなさあそうなことを、みんなの巡り合わせの中でやってしまったんだ。僕もこの一ヶ月で、一生分遊んだり動いたりした気がする。

「…明日だね。」

僕は言う。するとヘチャンは、バツで埋まったカレンダーを愛おしそうに見たまま話す。

「まぁ、ドンピシャで明日かはわかんないけどね。今日だってこんなに調子がいいし、流石に痩せはしたけど。ていうか僕大丈夫?変な匂いとかしない?」
「大丈夫。」

体の内側が腐るなんていまいち実感が湧かないせいで、今までそれすらも忘れていたようにヘチャンは突然自分の片腕に鼻を当ててわざとらしく匂いを嗅ぐ。僕はそれがおかしくて少し笑った。一ヶ月たったヘチャンは、少し痩せていた。けれど目でわかる変化はそれぐらいで、それ以外は全く違いがわからなかった。本当に明日死ぬなんて、想像もできないぐらいに。

「ロンジュナがいてくれてよかった。みんなともこの前話せたし。変だなぁ…一ヶ月前は確かにすごく怖いと思ってたのに、一ヶ月が楽し過ぎて、今もう、このままぱったり死にたいって思うよ。」
「…その気持ちは、ちょっとわかるかも。」

例えば好きなアーティストのライブに行って、そのまま死んでも後悔がないぐらいに幸せに思ったり、とっても美味しいものを食べて、これ以上の幸せは考えられないって思うのと、きっと似た感じ。その後の何かを生きるよりも、今確かに最高だと思える瞬間のまま死にたいと思う、そんな気持ち。それだけ幸せに思ってくれているなら、僕も嬉しいと思う。

「…もうすぐ時間だから僕は行くね。」
「うん、明日もきてね。朝こいよ。」

待ってるから。

そう言いながらいつものように手を振る姿に、僕も控えめに手を振りかえした。





病院から駅までのそこそこある道を歩く。

明日

明日になったら、あいつは死ぬ。1人になった瞬間、突然その事実が体にのしかかる。そしてもうすぐ迫ろうとしているその瞬間に、思いを馳せた。

ヘチャンが死ぬ時、きっとそれは、まるで春のように穏やかだと思う。あるゆるものが生命の息を潜めるときでもなお、彼の死の床の周りはきっと暖かく、穏やかだ。みんなが置いていってくれた小さく可愛らしい花や、遊びに行った時に持ち帰ったお土産や記念のものに囲まれて、それをみてその時のことを思い出す。きっと僕はその横で、その姿をじっと見守っている。きっとあの美術館で買ったストラップなんかは、大事に手で握って優しく撫でながら、あの美しい絵画のことを思い出す。僕とはきっと目も合わない。まるで彼が見る景色の一部のように溶け込んで、僕はただ、離れて眺めているようにその場にいる。そして最後は、バツでいっぱいになったカレンダーを見て、いままで遊んできたこと、見たものを思い出して、家族の顔も、みんなの顔も、そしてきっとその時になってようやく、僕の顔を見て。
そしてまた最後にカレンダーに目を移す。あの美しい、夜の海の写真を見る。そしてその海に安心したような息をついて、彼は、あの、海を______





___『ロンジュナ、』





___________あ、




僕はいつの間にかついていた駅のホームで、ぴたりと足を止める。目の前を、今乗ろうとしている電車が走り去ったのがちらりと見えた気がする。けれど僕はただ下を向いたまま、それさえも遠のいていくような、そんな感覚に襲われる。







唐突に、体に大量の記憶が注ぎ込まれてきた。
秋の海、彼の足元で柔らかく舞う海のしぶき、あの日拾った貝殻の色、僕の方を振り向いて楽しそうに笑う彼の声色。


「おれ、本当は魚だったと思うんだよね」


きゃらきゃらと響く笑い声。


「いつか還る時が来ると思うんだ。」


肌を撫でる海の風。


「だからもし、その時がきたら。」


彼が、海に、還るとき。その時が、きたら、


「ロンジュナ、お前が______」



ぼく、が。









おれを海に、還して。
____お前に、還してほしい。





「っ!」

足が勝手に走り出した。今まで歩いてきていた道を、そのまま引き返す。気持ちが信じられないぐらいにせいで、自分でもわからないうちに必死に足を動かしていた。呼吸が速くなる。
入院棟のカウンターを無視して、そのまま足を進め続けた。後ろから看護師の悲鳴が遠く聞こえる。一段一段階段を駆け上がって、息もどんどん苦しくなった。彼の名前が書かれたプレートのある病室。1番高い、1番奥の病室。そのドアを勢いに任せて開いた。

「ヘチャナ!!」

叫ぶ。
ドアの向こうにいるヘチャンは、驚いたように目を見開いてぼくを見ていた。

「え、なに。どうした?忘れ物?」

そう言うヘチャンの言葉を遮るように足をすすめて、ぼくはその手首を掴んだ。

「ヘチャナ、」








海に行こう。





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