暦の上では冬の10月、初週の金曜日
午前の授業もきっちりこなしてお弁当を開けようとしたときに嫌な人影が目尻に入った。
嫌な予感というものはよく当たるもので、にょっきりと後藤先生の顔が耳に触れる距離に来てしまった。
だから、距離感がバグりすぎなんだって
なんだ、今日はウザ絡みじゃなくて頼み事だったか
最近一段と距離が近いからすぐに戦闘モードに入っていたけど、まぁ後藤先生も色狂いな訳でもないし。ちょっとだけ自意識過剰だったかも
立ち上がろうとした瞬間にぎゅんと腕を引かれ、ローラーの椅子ごと私は後ろに転がった。
頭上から降ってくるまおりの声はおちゃらけたように明るいのに、見上げてみた彼女の目は全く笑ってなくて絶妙に怖い。
すっかり青くなった後藤先生はそそくさと職員室から出ていってしまった。
大丈夫だろうか、てゆうかまおりと約束なんて何の話だ?
カエルとか、、、まじ?
へへんと何故か得意げに笑うまおりに置いていかれないように急ぎながら、カエルに触らないでいいことに心底安心した。
2階にある生物準備室に向かう廊下から真下を見下ろすと、職員専用の駐車場が見える。何の気なしに見ていたところで、まおりがほれ、と指を指した。
趣味の悪い真っ赤なスポーツカーに乗り込んでいく後藤先生だ。
あれ、授業って言って……
そういう事か
ゴミを見る目でスポーツカーを見つめるまおりに心底同意しながら、やっぱりあいつは色狂いだったと確信した。
すっかり桜木先生からまおりになっている彼女の興味を逸らすことができるものは、残念ながらここには無い。
意外と整えられた準備室の中、脚の短い椅子を勧められて私とまおりは向き合って座った。
奥まった部屋で近寄ってくる生徒も教師も殆ど居ない。オマケに私もまおりも5限に授業は入っていない。
夏休みの時と同じだ
キラキラしてる目を一身に受けながらどう説明しようか、とぐるぐる考える。
確かに今日はほっくんと出かける約束をしているし、イタリアンに行くからと綺麗めのワンピースを着ている。正直メイクにも時間をかけた。
でも、たしかに知ってる人だけど
流石に松村北斗だよとは口が裂けたって言えない。
元々知り合いだったことすら言ってないのに、2人で会ってるなんて知ったらまおりが仰天してしまう。
うん、嘘では無い
芸能人でアイドルだというオプションを除いたらほっくんは中学の同級生でくくれる人だ。
まおりのその質問が、私が1番考えないようにしていたことだった。
ほっくんに対して抱いているこの感情が、中学時代を懐かしむ気持ちでも友達としての好意でも無いことなんてあの日から気がついている。
夏休みの最終日
花束を手渡された瞬間に、もう本当は分かっていた
違う
本当はあの日の職員室の時から気づいていた。
好きだって言われて、ダメだと思ったけれど
それと同じくらい嬉しかった。
あの頃から特別だったほっくんとまた会えて、好きだって言われて。
でも今ほっくんはアイドルで、テレビの中で沢山の人に応援される人。私は変わっていないとほっくんは言ったけれど、ほっくんは変わった。
私とほっくんが並んで歩くことなんて許されない。
許されないのに
まおりの言う通りだ
ほっくんは最初から気持ちを見せてくれているのに、私はそれに甘えるだけで何も自分で決めてない。
きちんとケジメをつけよう
後悔なんてしない
きちんと分かってる。私は一般人で、彼は芸能人だ
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。