謎を解いたふたりは、依頼人の住居をあとにした。
魚屋への道を歩きつつ、アリスはおずおずと尋ねる。
影宮はアリスの前に立ちはだかった。
アリスはくちを閉ざす。
影宮の言うことは正しい。正しい――のだろう。
だが、アリスはどうしても、ひとりぼっちで公園にいた美波の悲しそうな顔が忘れられない。彼女は自らのおこないを悔いていた。あれが嘘偽りだとは、アリスには思えない。
後悔に表情を翳らせる幼い少女に手を伸ばすことすら、許されないとでも言うのか。影宮が言う人間の世界の理とは、そんなにも無情なものなのだろうか。
アリスは俯いて思案し、そうして強気に顔を上げた。
彼の台詞に、アリスの感情が急激に昂る。
アリスは強くこぶしを握った。
鋭利なアリスの視線と、冷ややかな影宮の視線がぶつかる。アリスは決して目を逸らさなかったし、影宮も同様に目線を外すことをしなかった。
そうして、どれだけ睨み合っていたか、不意に影宮がため息をつく。
呟いて、彼はハンカチに包んだ鍵をアリスに放ると、背中を向けて去っていった。
そんな相手を見ながら、アリスは受け取ったハンカチを握り締める。
今から己がおこなうことは、影宮が言う通り、たしかに偽善なのかもしれない。それでも、偽善だとしても、アリスは美波にあんな顔をしてほしくはないのだ。
アリスはひとり、魚屋に足を向ける。
やるからには、偽善を貫いてやろう。
自分には、巧みな話術もなければ優れた推理力もない。故に、それくらいの心持ちで挑まなくては、己の信念にすらも負けてしまいそうだった。
自身を鼓舞する小さな声が、空に溶ける。
ここから先は探偵助手としての活動ではなく、八代アリスとしての活動になるのだ。
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魚屋の入口の扉を、アリスは控えめにノックした。
すると、店の奥でなにかを探していた様子の男性が顔を上げて、アリスに近付いてくる。彼が魚屋の店主だろうか。
男性は内側の鍵を外して、ガラス戸を開けた。
述べて、アリスはハンカチをひらいて中の鍵を見せる。
鍵を受け取った男性は、安堵の笑みをうかべた。
不思議そうな面差しを作る相手に、アリスは罪悪感を覚える。
アリスはしどろもどろになった。そもそも、意気込んでここまで来たものの、肝心の言い訳の台詞を考えてきていないのに今さら気が付く。加えて、アリスは嘘をつくのが得意ではなかった。と言うより、正直に告白してしまうと、非常に苦手なのであった。
適切な言い訳を探すものの、脳内からはふさわしい言葉は浮上してきてくれない。
眼前の魚屋の店主はぱちぱちと瞬きをして、アリスをじっと見つめてきていた。
背中に嫌な汗が滲み始める。どうしようか。このまま走って逃げ出してしまおうか。
そんな思考が頭をもたげた、そのときだった。
幼い声が、店の奥から響く。
見ると、男性の向こうに美波が立っていた。影宮の推理通り、やはり魚屋の娘なのだった。
少女はいくらか躊躇したのちに、弱々しい声で告白する。
彼女が小さな足で、アリスと男性に歩み寄ってきた。
男性は膝をついて美波と目の高さを合わせると、娘の肩を優しく撫でる。
少女の顔が歪み、涙で瞳が潤んだ。彼女は声を震わせる。
男性が息を呑んだのが、アリスにはわかった。
美波の双眸から、大粒の涙が零れ落ちる。
謝る娘の小さな体を、父親の長い腕が抱き寄せた。少女の声の震えが伝染したかのように、男性の声までもが震える。
父親の謝罪になにかの留め金が外れたのか、美波は相手にしがみついて大声で泣き出した。
そんな幼い少女の感情の吐露は、しばらく続いた。
そうして、その声が落ち着くまで待った男性が、美波に優しく語り掛ける。
迷っている様子の娘に、父は微笑んだ。
男性はアリスに振り返る。
アリスに礼を述べた少女の面持ちは、笑みで彩られていた。公園で会ったときの翳りは、もうどこにも見受けられない。
その事実が、アリスをも笑顔にした。
鍵は依頼主である田中の家の庭にあり、謎を解いたのも影宮であるので、嘘ではない。
礼をしようとする男性にアリスはやや強引に別れを告げて、店を出た。
時刻はすっかり太陽の落ちる頃合いとなっており、夕陽の赤が鮮やかに町を染めている。家も、道も、木々も、自分も、例外なく落日の庇護下にあった。
不思議と妙に清々しい気分になって、アリスは伸びをする。
後ろから声がして振り返れば、出し抜けに小さなビニール袋が投げられた。
軽いそれを受け止めて中を確認すると、入っていたのはいくつかの駄菓子である。
袋が飛んできた方向から、影宮がイカをかじりながら歩いてきた。空いた手にはビニール袋が提げられており、こちらにも駄菓子が入っている。
受け取った駄菓子の入った袋を、アリスは改めて見やった。
彼が指差す先には、一軒の古い駄菓子屋がある。あそこからなら、たしかに魚屋でのやり取りを確認することも可能だろう。
短く言って、彼はさっさと歩き始める。アリスもそれに従い、足を進ませた。
袋から細長いビニールに入っているゼリーを取り出し、それに歯で穴をあけて中のゼリーを吸いつつ、影宮の隣を歩く。
彼の返答ののち、僅かな沈黙が流れた。
夕陽によって出来る濃厚な影はふたりの前方に伸びており、アリスは自分の影が影宮の影に並んでいる光景を、不思議な気持ちで眺める。
遠くから、遮断機の音が響いてきた。続いて電車の走る音が聞こえ、それが徐々に遠ざかっていく。
彼の返答は寂しいようであり、それでも納得せざるを得ない現実を孕んでいる。
複雑な気持ちでアリスは黙り、そうして、ふと今までずっと疑問だった事柄を影宮に問うてみた。
そんな話をしながら、ふたりは駄菓子を食べつつ陽道寺探偵事務所までの道を歩く。
鴉の声が、橙色の町に反響していた。
無性に穏やかな心持ちになっていた理由をアリスは己の胸中に探したけれども、不思議と答えは見つからない。
安い駄菓子の味が、舌に心地好かった。














編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!