あれは、いつのことだったか。
確か、冬がまだ本番になる前だっただろうか。
その日は珍しく、ルノマの方から誘いがあった。
断る理由もないと、俺はただ首を縦に振る。
満足そうにして、少年は笑う。
そう言った無垢な顔が、やけに瞼の裏にこびりついていた。
部活も終わり、すっかり暗くなった中。俺は指定された場所へと足を運ぶ。 すっかり馴染みの場所となった木々に囲まれた其処は、昼間こそ陽の光が差し込んでいるものの、夜になれば真っ暗闇だ。特に日の入りも早くなった今の時期には、どれだけ急いでも闇夜の足には及ばない。
手元を擦り合わせながら、どうにかこうにか進んでいく。 そうして辿り着いた先で、ルノマがマジカルペンを片手に立っているのが見えた。その周囲がやけにはっきりと見えるのは、習ったばかりの灯の呪文を使っているからだろう。
開口一番に文句を言われるのも、もう慣れたものだ。
適当に謝罪の言葉を述べながら、彼の隣に立つ。
そう言ったルノマは数歩、位置を移して俺の前に立つ。
その顔には、何処か緊張の色が滲んでいた。
訝し気に眉を顰めると、ルノマはそう告げて目を閉じる。
すうっと息を吸い込む音。
それから、ゆっくりと吐き出される吐息の音。
その息遣いに合わせて、彼の身体からだろうか。
粒のような光が現れると、周囲を漂い始める。
ふわり、ふわりと浮かぶそれらはやがてルノマの周囲を漂うと、まるで踊るように彼の手元に集まって何かを形作っていく。驚いてその様子を眺める俺を他所に、ルノマがゆっくりと紡ぐように口ずさむ。
ルノマの言葉に導かれるように、手元の光が輝きを増していく。その手の中にあるのは、どうやら一冊の本のようだった。まるで辞典のようなそれは、ぱらぱらと何かを探すように右から左へと音を立てて己の頁を捲っていく。
捲られ続けていた頁が、探し物を見つけ終えたと言わんばかりに一つの頁を開いたままぴんと立つ。本全体を包んでいた光が、其処に収束していく。そうして、彼の手の中に納まった、次の瞬間。
光が、まるで弾けるように散る。
思わず小さく声が上がる。
光の中から現れたのは、薔薇だった。
色とりどりの薔薇が、彼の手の中で咲き誇っている。
幾重にも重なり合って出来たその光景は、
さながら小さな庭園のようですらあった。
その美しさに目を奪われていると、とさりと何か軽いものが地につくような音が聞こえる。はっと我に返って改めて目を向けると、膝を折る様にへたり込むルノマがいた。
慌てて駆け寄ると、彼は困ったように笑って見せた。
その言葉に、俺は再び彼の手の中のそれを見る。
何度かの呼吸をして、ルノマは再び口を開いた。
頷いて、ルノマが手中の薔薇を見つめる。その表情はどうやら不安そうで、それでいて嬉しそうでもあって。そんな顔を見せられてしまえば、何も言えなくなってしまう。
軽口を叩き合いながら、俺もその場に腰を下ろす。
得意げにするルノマに、俺は一つ溜め息を吐いた。
俺の言葉に、不思議そうに首を傾げる彼。
要領を得ないような反応に、少し眉を寄せる。
ルノマの言葉に、今度は俺が首を傾げる番だった。
俺の反応を見てか、彼が続けて口を開く。
頑なに否定する彼に、いよいよ訳が分からなくなる。
本当に見えていないのだろうか。
だとしたら、一体あれは何だったのか。
考えても答えは出ない。それどころか、考えれば考えるほど頭が痛くなっていくような気がした。
釈然としないながらも、ルノマの言葉に従ってその場を後にする。しかし暗い道を歩いて帰る最中も、俺の頭を占めるのはあの光のことばかりだった。
次の日の放課後。俺は丁度授業終わりだったオブラ先生のもとを訪れていた。先生はいつものように穏やかな笑顔を浮かべて、俺の質問について考えてくれているようだった。
散々己がユニーク魔法の所為で辛酸を舐めてきたからだろうか。人のユニーク魔法について詳細に話してしまうのは良くないことのような気がして、少しぼかしながら尋ねる。
それでも十分通じたようで、先生はなるほど、という呟きと共に静かに頷いた。
聞き慣れない言葉に目を瞬かせると、先生がにこりと笑う。
あまりに突拍子もない話に、尋ねた側にもかかわらず気の抜けた返事が零れてしまう。けれど、先生もそれを咎めることはしなかった。
いまいちピンと来ない俺に、先生が小さく笑みを零す。
先生の一言に、思わずびくりと肩を揺らす。
そんな俺の様子に気が付いたのか、先生が宥めるように言葉を続けた。
そう言って微笑む先生に、俺はほっと胸を撫で下ろす。
そうして安堵して少し、ふと浮かんだ疑問を口にする。
其処で一度間を取ってから、先生がゆっくりと話し出す。
先生の言葉を頭の中で反芻し、理解するまでに少しの時間を要した。 要するに、魔法というものは使い手次第で凶器にもなり得るということなのだろう。だからこそ、使う前にはきちんとした知識が必要になるし、むやみやたらと使ってはならないということだ。
そこまで考えて、またふと思う。
その思考を読み取る様に、先生は続けた。
先生がこくりと頷く。
きっぱりと言い放たれたその言葉に、俺は息を呑む。
それと同時に、光に包まれる男の姿が脳裏を過ぎった。
ぞくり、汗が背を走る。
面食らったような顔で此方に目を向ける先生を置いて、俺は急いで教室を後にする。
目指す先は決まっていた。
はっはっと、犬のように荒く息を吐きながら道を駆ける。
心臓がばくばくと煩い。
焦燥からか、走っているからか、はたまた悍ましい程の予感からか。分からないが、今はそんなことどうでも良かった。
早く、一刻も早く、確かめなければ。
焦りばかりが募り、足が縺れそうになる。
それでも必死に足を動かし続け、漸く辿り着いた目的の場所に、俺は勢いよく飛び込んだ。
かくして、野薔薇が示す先に彼は居た。
切り株の上に座すその少年は、
まるで眠る様に目を瞑りながら
一匹の白兎を、その膝上に乗せていた。
TO BE CONTINUED ……
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。