近づいてきた人物が私の頬に触れ、私は恐怖でどうにかなりそうだった。
身体はぴくりとも動かず、相手からは私が眠っているようにしか見えないだろう。
ちゅっ。
口付けられると、金縛り状態だった筋肉が一斉に緩むのを感じた。私の瞼がぱちっと押し上げられる。
そこにいたのはポムだった。
お礼を言うとポムはにこっと微笑んだ。
ジルベールの護衛たちに狙われていたが、無事に逃げ切れたらしい。
唇を押さえてしまうが、当の本人にはなんの下心もなさそうなので、……深く追求するのはやめた。
私の身体を縛っていた魔術はキスによって解けるものだったということでいいのだろうか。ジルベールが言い出したのか、アンリが考えたのかわからないが……まったく、ろくでもない魔術だ。
ポムに手招きされ、彼と手を繋ぐ。
聖堂の鍵は外されており、護衛はポムによって眠らされていた。外は真っ暗だが、私たちは月明かりを頼りに歩く。
ポムは庭師として潜り込んでいただけのことはあり、抜け道をたくさん知っていた。巡回中の兵士たちの目に触れないように迂回し、庭へとたどり着く。
忍者のようにこそこそと移動しながら、私はポムの行く場所になんとなく目星がついていた。
庭園にある、りんごの若木だ。
ポムがくれたりんごは、これまで何度も私と魔王のことを思い出させてくれた。
予想通りだ。月明かりの下、艶々と輝くりんごをポムが取ってくれる。
渡された私は、りんごを齧った。
甘酸っぱい果汁を感じながら目を閉じると、大切な記憶が蘇ってくる。
私が初めてレグルスと会ったのは、「魔王が王都に向かう橋に居座っている」という情報を受けてのことだった。魔王は魔物たちを従えており、商人たちは橋の前で立ち往生してしまっているとのことだった。
私がこの国に召喚されたのは、魔王と戦うため――。
初めはそう聞かされて怖かったけれど、ジルベールやレオン、アンリ、城にいる人々も、街の人たちも皆優しくしてくれて……。この人たちを守りたい。自然にそう思えるようになっていた。
この日のために、魔術も武術もたくさん練習したのだ。
私は意気揚々と魔王の元へ向かい――そこで、レグルスに出会った。
橋の上で距離を保ちながら会話をする私たちは、端から見たら一触即発といった雰囲気だろう。魔物たちはレグルスの背後でグルルル……と唸り、今にもこちらに襲い掛かってきそうだ。
私は恐ろしい気持ちを隠しながら、毅然とした態度をとった。
あっさりOKをもらって拍子抜けしてしまった。
魔王がぱちりと指を鳴らすと、魔物たちは姿を消す。
レグルスが手を振ると風が起きた。レオンたちは後方に吹っ飛ばされる。その隙に、魔王は私の目の前まで来ていた。
レグルスが私に手を伸ばしたので、身構えてしまったが……。
正直、戦わないに越したことはない。
魔王側から申し出てもらって、私は肩の荷が少し下りたくらいだ。
そんな私の様子に、レグルスは憐憫の目を向けてきた。
そう言ってレグルスは消えた。
集まって来た騎士や住人たちは喜んでくれていたが……。
その後、城に戻った私たちが報告すると、ジルベールも王様もすごく感謝してくれた。
だけど、別に私は何もしていない。
そう言っても、ミコの清らかな気に当てられたのだろうとか、聖乙女がいるから安泰だとか言われて、なんだか凄く複雑だ。
皆、私に親切にしてくれて、聖乙女だから凄い力もあって……、多分この世界にいたら、人生超イージーモードだろう。
魔王を倒す必要もなくなった。
じゃあ、私がここにいる意味って何なのだろうか?
部屋で溜息をつくと――
いつの間にか、すぐ側にレグルスが立っていた。
叫ぶ私に、彼は迷惑そうな顔をしていた。


















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!