1988年9月5日(月) 午前03:13
歴史が動く瞬間は、常に静寂の中から訪れる。
1905年にあった日露戦争の和平、ポーツマス条約締結のその因縁の日付。
北海道、石狩平野の上空200メートルは、星も見えぬ厚い雲に覆われた闇の世界だった。だが、その闇の中を、数百、数千という無数の影が、音もなく降下していた。ソ連が誇る精鋭、第98親衛空挺師団。彼らはレーダー網の死角を縫うように超低空で侵入した輸送機から、日本の大地へとその牙を突き立てようとしていた。鋼鉄の帷(とばり)が、静かに北の大地を覆い尽くしていく。
午前03:20
その静寂を最初に引き裂いたのは、ぜんこぱすの実家の玄関扉が木っ端微塵に砕け散る音だった。
冬季特殊作戦群の陸曹である彼が状況を理解するより早く、赤い星の記章をつけた兵士たちが土足で踏み込んでくる。非番の穏やかな時間は、暴力によって唐突に終わりを告げた。
「うぉぉぉぉ!」
叫びは空しかった。ぜんこぱすを庇うように立ち塞がり、ソ連兵2名を刺し殺した父の背中に、乾いた炸裂音が三度響き、鮮血が畳を濡らす。元自衛官だった父の、大きかったはずの背中が、ゆっくりと崩れ落ちていく。
声にならない。悲しみよりも先に、内臓が焼け付くような怒りがこみ上げた。
だが、屈強な兵士に殴り倒され、銃を撃たれた。
薄れゆく意識の中で彼が見たものは、その怒りにさらに油を注いだ。父が毎日手を合わせていた神棚を、撃ち落とし、兵士たちがブーツで踏みつけ、祀られていた御神体を嘲笑いながら床に叩きつけている。
神聖なる場所への冒涜。故郷の蹂虙。そして、父の死。
ぜんこぱすの中で、何かが決定的に壊れ、そして再構築された。個人的な悲しみは、この"日本国の国体固辞と大和民族の長き歴史と、尊厳と、未来を守る"ための、燃え盛るような敵意へと昇華された。これは、ぽれ…いや、俺の「聖戦」だ。
彼が意識を取り戻した時、頬に冷たい金属の感触があった。
そう、撃たれた際に敵兵が胸を狙ったはずの弾丸は、幸運にも腕の内側に命中。皮膚と筋肉を貫いただけで、骨や神経には一切触れなかった
声の主は、遠い親戚で、今日まで泊まりに来ていたメテヲだった。航空自衛隊の天才エンジニアである彼は、裏の納屋で調達したありあわせの部品で組み上げた即席のネイルボム(釘爆弾)を、ぜんこぱすの隣でこともなげに調整していた。その目は、恐怖に怯えるそれではなく、極限状況を楽しむかのような狂気と好奇に満ちていた。
ぜんこぱすの凍てついた声に、メテヲは満足げに頷いた
絶望の闇の中で、復讐の鬼と常識外れの天才は、二人だけの特殊部隊となった。
午前04:00
札幌、北部方面総監部。地下司令部の空気は、断続的に入る情報と、途絶した通信によって極度の緊張に包まれていた。
「石狩の通信が完全に途絶!」「千歳レーダーサイト、応答なし!」
方面総監・Sレイマリ陸将は、壁の巨大な地図を睨みつけ、唇を噛み締めていた。報告される断片的な情報が、最悪のシナリオ――敵主力部隊による大規模な奇襲降下――を裏付けていく。東北生まれだが、この北の大地を第二の故郷として深く愛する彼女にとって、道民が今この瞬間も虐殺されている現状は、指揮官としての冷静さを奪うのに十分だった。
(……落ち着け。今、私が乱れるわけにはいかない)
個人の怒りを奥歯で噛み殺し、彼女は指揮官の仮面を被り直す。
凛とした声が、混乱の極みにあった司令部に一本の芯を通した。
午前04:15
東千歳駐屯地。けたたましい警報音が、夜明け前の駐屯地を叩き起こした。
日本最強と謳われる第7師団、通称「士魂部隊」が、眠りから覚醒した。師団長・ぐさお陸将補は、90式戦車の砲塔に仁王立ちし、集結した鋼鉄の獣たちに向かって咆哮した。
北海道生まれの彼女の怒りは、誰よりも熱く、激しい。
「「「応ッ!!」」」
地鳴りのような鬨の声と共に、数十両の90式戦車がエンジンを唸らせ、石狩湾岸を目指して出撃した。故郷の土を、敵の血で洗い流すために。
午前05:00
千歳基地。スクランブル発進を告げるベルが鳴り響く。
第2航空団のF-15Jイーグルパイロット、茶子一尉と菓子二尉の姉妹が、それぞれの愛機に乗り込む。アフターバーナーの轟音と共に、2機のイーグルは闇を切り裂いて離陸した。
だが、AWACS(早期警戒管制機)から送られてきたデータに、茶子は息を呑んだ。レーダーの画面が、敵を示す無数の赤い点で埋め尽くされている。
姉妹は、覚悟を決めた。北海道の空を守る最後の翼として、彼女たちは圧倒的な数のソ連軍機が形成する分厚い雲の中へと、突っ込んでいった。
午前05:15
東京、市ヶ谷。統合幕僚監部・最高司令部。
スクリーンに映し出される北海道の惨状から、統合幕僚長・めめんともりは、目を逸らさなかった。彼女の卓越した戦略眼は、これが単なる侵攻ではなく、日本の国家意思そのものを砕くための戦争だと理解していた。部下と国民を思う深い人間性が、彼女の心を苛む。だが、今は指導者として、非情にならねばならない時だった。
彼女は、数時間前に首相から託された全権を、今こそ行使する。
中央指揮卓の前に立った彼女に、司令部の全ての視線が突き刺さる。マイクのスイッチを入れる、小さく、しかし重いクリック音が響いた。
凛とした声が、司令部の隅々まで浸透していく。そして、彼女は言葉を続けた。その声は、歴史の法廷に立つかのような厳粛さを帯びていた。
一瞬の静寂の後、司令部は統制された喧騒に包まれた。
その号令は、力を、呪縛を解き放つ合言葉だった。陸上幕僚長・いえもんは、冷静な声で矢継ぎ早に指示を出す。
航空幕僚長・Latteは、怒りと情熱をその目に宿しながら、本土の航空戦力を北へと差し向ける。
海上幕僚長・ウパパロンは、沈黙したままモニターのデータを凝視していた。「なつぐも」を失った彼の内なる怒りは、緻密な計算式の海へと沈められ、恐るべき復讐の牙を研ぎ澄ましていた。
北の大地で、海で、空で。そして、敵地と化した市街地で。
日本の存亡を賭けた、最も長い一日が、今、本当の意味で始まった。
姉である茶子一尉の絶叫に、妹の菓子二尉は反射的にF-15Jイーグルの機体を右に捻り、フレアを射出した。熱源体を追った敵のAA-8エイフィド空対空ミサイルが、すぐ脇を通り過ぎて空中で炸裂する。衝撃波が機体を激しく揺さぶった。
「……やるしかないよ、姉さん。私たちの空だもん」
覚悟を決めた言葉とは裏腹に、レーダーは絶望的な現実を映し出していた。ソ連軍のMiG-29ファルクラムと
Su-27フランカーが、文字通り「壁」となって眼前に立ちはだかる。その数は自分たちの倍以上。
茶子のイーグルが機首を上げ、M61バルカン砲が火を噴いた。曳光弾が闇を切り裂き、一機のMiG-29のコックピットを粉砕する。だが、その一瞬の隙を突き、別のフランカーが菓子機の背後を取った。
茶子は自らが囮となり、敵機の前に機体を割り込ませる。姉妹ならではの阿吽の呼吸。その刹那、菓子は急減速からの急上昇、コブラにも似た機動で敵機の背後に回り込み、サイドワインダーを発射した。赤外線誘導の魔手が、フランカーのエンジンノズルに吸い込まれていく。
夜明け前の空に、二つ目の花が咲いた。
しかし、多勢に無勢。彼女たちの奮闘も、北海道の空を覆い尽くすソ連軍機の圧倒的物量の前には、焼け石に水だった。
地鳴りのようなキャタピラの走行音と共に、陸上自衛隊が誇る鋼鉄の獣たちが、石狩の海岸線に到達した。90式戦車のハッチから身を乗り出した第7師団長・ぐさお陸将補は、その光景に奥歯を噛み締めた。
水平線の向こう、朝焼けを背にしたシルエットは、紛れもなくソ連太平洋艦隊の上陸用舟艇群。既に第一波が砂浜に取り付き、BTR装甲兵員輸送車が次々と吐き出されている。
北海道生まれの彼女の怒りは、誰よりも熱く、激しい。
号令一下、数十両の90式戦車が搭載する120mm滑腔砲が一斉に火を噴いた。演習ではない、実弾。大地を揺るがす轟音と共に放たれた装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)が、音速の5倍で上陸してきたBTRの装甲を紙のように貫き、内部で炸裂した。
鋼鉄の防波堤となった士魂部隊は、凄絶な対着上陸戦闘を開始した。だが、敵の第二波、第三波は間断なく押し寄せてくる。空からは、制空権を奪ったソ連軍のSu-25フロッグフット攻撃機が、無慈悲な対戦車ミサイルを放ち始めていた。
【NHKニュース7 - 1988年9月5日 午前7:00】
「…臨時ニュースを申し上げます。本日未明、北海道の石狩平野に所属不明の大規模な部隊が降下したとの情報が入りました。防衛庁によりますと、部隊はソビエト連邦軍の可能性があるとのことです。現在、陸上自衛隊北部方面隊が出動し、札幌近郊で戦闘状態に入った模様です。政府は先ほど、緊急の記者会見を開き、『我が国に対する明白な武力侵攻』であるとの見解を発表しました。情報が錯綜しており、被害の全容はまだ掴めておりません。繰り返します…」
同日 午前08:00 石狩市街地
父を失った家は、既に燃え盛る瓦礫の山と化していた。その黒煙を背に、ぜんこぱすとメテヲは、占領された市街地の裏路地を疾走していた。
ぜんこぱすの凍てついた声には、悲しみを通り越した無機質な殺意が宿っていた。腕に受けた銃創は、メテヲによる応急処置で止血されている。幸いにも弾丸は貫通し、骨も神経も無事だった。だが、心の傷は、復讐以外に癒やす術を知らなかった。
メテヲは、裏の納屋で手に入れた肥料やガソリン、釘などを組み合わせた即席爆弾(IED)を手にしていた。
メテヲの分析は冷静だった。ぜんこぱすは無言で頷くと、特殊作戦群で叩き込まれたステルス技術で、音もなく瓦礫の影を移動していく。
メテヲが陽動として小型の爆竹を反対方向で爆発させる。敵兵の注意が逸れた一瞬の隙。ぜんこぱすは、BTRの死角に滑り込むと、メテヲ特製の強力な磁石付き爆弾を車体下部に吸着させた。タイマーは、わずか30秒。
二人は、再び闇に溶け込む。
直後、けたたましい爆発音が響き渡り、8輪の装甲車が内部からの圧力で無惨に吹き飛んだ。混乱するソ連兵たちを、ぜんこぱすは奪い取ったAK-74で正確に射抜いていく。それは戦闘ではなく、駆除だった。
復讐の鬼と常識外れの天才。二人だけの部隊による、占領軍への反撃の狼煙が上がった。
同日 午前09:30 札幌・北部方面総監部
地下司令部は、情報の洪水と断絶がもたらす極度の混乱状態にあった。
「第11普通科連隊、市街地で敵と交戦中! しかし、敵の数が多すぎる!」
「地域別の補給担当より入電! 各地で弾薬要求が殺到! しかし補給路が!」
方面総監・Sレイマリは、壁の巨大な地図に刻々と書き込まれていく赤い✕印を、苦い表情で見つめていた。
全体の兵站担当のルカ二佐の悲痛な声が響く。彼の脳裏には、妹であるヘリパイロット、ヒナ三尉の姿がよぎった。彼女の部隊は、今この瞬間も、対空砲火を潜り抜け、孤立した部隊への補給や負傷者後送(メディバック)という、最も危険な任務をこなしているはずだった。
「レイマリ総監、ぐさお師団長から緊急通信!『敵主力、視認。規模、我が方の10倍以上』!」
その報告に、司令部の誰もが息を呑んだ。士魂部隊が死闘を繰り広げているのは、あくまで敵の先遣隊に過ぎなかったのだ。
Sレイマリは、地図の上で、苦渋に満ちた一本の線を引いた。それは、石狩平野の一部を放棄し、札幌市街地へと防衛線を後退させることを意味していた。
第二の故郷を、自らの手で敵に明け渡す命令。指揮官としての冷静さと、個人としての怒りの狭間で、彼女の心は引き裂かれていた。
9月5日、太陽はまだ中天にも昇っていない。
しかし、日本の最も長い一日は、既に数えきれないほどの血を吸い、終わりが見えない泥沼の様相を呈し始めていた
同日 午前10:00 石狩湾岸・第一次防衛線
ぐさお陸将補の怒声が、友軍無線の全てに響き渡った。だが、その檄も空しく、士魂部隊の防衛線は徐々に食い破られつつあった。後退命令は出ている。しかし、殿(しんがり)を務める部隊が敵主力の足止めをしなければ、後退はそのまま崩走、殲滅に繋がる。
「第3戦車大隊、後退を開始! 第2戦車大隊が援護せよ!」
ぐさおは、自らが乗る90式戦車の砲塔から身を乗り出し、双眼鏡で刻々と変化する戦況を睨みつける。後退する友軍を援護するため、残った戦車が最大戦速で敵中に突撃し、至近距離で砲弾を叩き込んでは離脱する、一撃離脱戦法を繰り返していた。だが、その無謀な戦法は、あまりに損害が大きすぎた。
「師団長! 左翼の74式が!」
部下の悲鳴。ぐさおが視線を転じると、旧式の74式戦車がソ連軍のT-80戦車から放たれた125mm砲弾の直撃を受け、砲塔がコマのように回転しながら宙を舞っていた。吹き飛んだ砲塔が地面に激突し、真っ赤な炎を上げる。
唇から血が滲む。北海道生まれの彼女にとって、失われる部下も、蹂躙される故郷の土も、自らの身を引き裂かれるのと同じ痛みだった。
鋼鉄の防波堤は、その身を削られ、砕かれながらも、本土へと続く最後の防衛線を守るため、死力を尽くしていた。
同日 午前11:30 札幌近郊・野戦病院
プロペラの回転音が空気を激しく叩き、UH-1H多用途ヘリ、通称「ヒューイ」が土煙を上げながら着陸した。機体側面には、無数の弾痕が生々しく刻まれている。
パイロットのヒナ三尉が叫ぶ。彼女の明るく気丈な声が、混沌とした野戦病院に一瞬の活気をもたらす。機内からは、応急処置を施された負傷兵たちが、次々と担架で運び出されていった。
地上で待っていたのは、兄である兵站担当のルカ二佐だった。彼の顔には、安堵と、妹を危険な任務に送り出し続ける苦悩が色濃く浮かんでいた。
ヒナは、担架で運ばれていく若い隊員の頬を優しく撫でた。隊員は、麻酔で朦朧としながらも、彼女に敬礼しようと必死に指を動かしている。
気丈に振る舞う彼女の声が、微かに震えていることにルカは気づいていた。彼女が「戦場の天使」と呼ばれ、兵士たちの心を和ませている裏で、どれほどの恐怖と戦っているのか。だが、彼は何も言えなかった。ただ、次の補給物資のリストを手渡すことしかできない。
ヒナは悪戯っぽく笑うと、再びヒューイのコックピットに乗り込んだ。飛び立っていくヘリを見上げながら、ルカは己の無力さを呪った。戦場の生命線を管理する後方の要。彼の戦場は、目に見えない数字と、妹の無事を祈るだけの、終わらない祈りの中にあった。
同日 午後01:00 東京・市ヶ谷
統合幕僚監部の巨大スクリーンに、新たな友軍機を示す青い光点が現れた。
「ラテ空将、三沢の第3航空団、北海道上空に到達。これより、千歳の第2航空団と共同で、敵航空戦力の排除にかかります!」
幕僚からの報告に、航空幕僚長・Latteは固く握りしめていた拳をわずかに緩めた。
本土からの援軍到着は、絶望的な消耗戦を強いられていた北海道の空に、一筋の光を差した。F-15Jの数が増えたことで、自衛隊は局地的な航空優勢を確保し、地上部隊を狙うソ連軍攻撃機への迎撃が可能になりつつあった。
その喧騒の中、一人静かに海図を睨みつけていた海上幕僚長・ウパパロンが、初めて口を開いた。
彼の声に、司令部の全員が注目する。
地図に示されたポイントは、ソ連太平洋艦隊の補給路を脅かす、まさに喉元に刃を突きつけるような位置だった。
「危険すぎます! 敵の制空権下で、艦隊を動かすなど!」
幕僚の一人が反対の声を上げる。だが、ウパパロンは表情を変えずに続けた。
その冷静な言葉の奥に燃える、仲間を想う熱い心と、敵への燃えるような怒り。めめんともりは、彼の瞳をじっと見つめ、そして静かに頷いた。
同日 午後03:00 石狩市街地・地下水道
鼻を突く汚水の匂いの中、ぜんこぱすとメテヲは、マンホールの蓋の隙間から地上を伺っていた。BTRを破壊した彼らは、追撃を逃れて地下へと潜っていたのだ。
メテヲは、どこからか手に入れたソ連製の携帯無線機を改造し、敵の通信を傍受していた。
極限状況を楽しむかのように、彼の口元が歪む。
ぜんこぱすの問いに、メテヲは楽しそうにカバンからいくつかの部品を取り出した。水道管の塩ビパイプ、大量の釘、そして街の時計屋から拝借してきた目覚まし時計。
その常識外れの発想と、それを即座に形にする技術力。ぜんこぱすは、この奇妙な相棒に、ある種の信頼を抱き始めていた。彼は、奪ったAK-74の弾倉を確認し、静かに頷いた。復讐の鬼は、ただ命令を待つ、研ぎ澄まされた刃となっていた。
同日 午後03:15 石狩市街地・旧市民会館周辺
メテヲのプランは完璧以上に機能した。
時間差で起爆したクレイモアもどきが、臨時司令部の警備網に致命的な穴を開け、ソ連兵たちをパニックに陥れる。その混乱の渦の中心に、亡霊のようにぜんこぱすが現れた。奪ったAK-74から放たれる短い射線が、指揮官クラスの将校たちを次々と沈黙させていく。戦闘ではない。復讐という名の、一方的な狩りだった。
司令部機能を完全に破壊した二人は、再び地下水道の闇へと姿を消した。しかし、彼らも無傷ではいられない。
改造無線機から聞こえるロシア語を解読しながら、メテヲが忌々しげに呟く。司令部を叩いたことで、この地区の敵部隊はパニックに陥ったが、同時に石狩市全域の警戒レベルが最大まで引き上げられてしまったのだ
ぜんこぱすの静かな問いに、メテヲはニヤリと笑った。その目は、この絶望的な状況を心から楽しんでいる。
ぜんこぱすの決断は早かった。感傷も恐怖もない。ただ、父の仇である敵を屠り、友軍と合流するという目的だけが、彼を動かしていた。
同日 深夜 札幌市西区・農試公園
夜の闇は、ゲリラ戦を行う二人にとって最高の味方だった。だが、それは敵にとっても同じだった。
ぜんこぱすとメテヲは、闇に紛れてソ連軍が構築した最前線へと接近していた。メテヲが即席で作った電磁パルス装置(といっても、カメラのフラッシュとコンデンサを改造しただけの気休めだ)で敵の暗視ゴーグルを一時的に麻痺させ、その隙にぜんこぱすが無力化する。その繰り返しで、彼らは少しずつ前進していた。
だが、彼らが突破しようとしていたのは、偶然にも、今まさに自衛隊の防衛拠点へ総攻撃を仕掛けようとしていたソ連軍部隊の集結ポイントだった。
ぜんこぱすがメテヲの頭を地面に押さえつけたのと、照明弾が夜空を真昼のように照らし出したのは同時だった。
「Черт(クソッ)! 発見された!」
無数の銃口が二人へと向けられる。もはや、これまでか。ぜんこぱすが最後の抵抗を試みようと身を起こした、その瞬間。
背後、つまり札幌市街地の方向から、地を裂くような発射音が連続して轟いた。81式短距離地対空誘導弾(短SAM)だ。それは二人を狙うものではない。彼らの頭上を越え、ソ連軍の後方から接近しつつあった攻撃ヘリMi-24、通称「ハインド」の編隊へと突き刺さった。夜空に、巨大な火球がいくつも咲き誇る。
ぜんこぱすが叫んだ。
照明弾によって照らし出されたのは、彼らだけではなかった。総攻撃のために集結していたソ連軍の大部隊もまた、自衛隊の陣地の前にその姿を完全に晒していたのだ。
「今だ! 撃て撃て撃てぇ!」
公園の向こう側、自衛隊の陣地から、M2重機関銃や84mm無反動砲、74式戦車の主砲までもが一斉に火を噴いた。完全に意表を突かれたソ連軍の集団は、阿鼻叫喚の地獄へと叩き込まれる。
敵味方が入り乱れる銃弾の嵐の中、二人は友軍陣地に向かって最後の疾走を開始した。
同日 深夜 札幌・北部方面総監部
「敵部隊、後退していきます!」
「農試公園拠点、防衛に成功!」
司令部に、安堵と興奮の声が響き渡った。Sレイマリも、固く握りしめていた拳を、そっと開いた。だが、彼女の表情は晴れない。敵の夜間総攻撃を退けたとはいえ、それは膨大な弾薬を消費した上での、辛勝に過ぎなかった。
彼女が尋ねると、通信士官が困惑した表情で答えた。
「はっ。それが……敵陣中央から、こちらの陣地に向かって走ってきた者が2名。当初は投降兵かと思われましたが、装備や言葉から日本人と判明。一名は、冬季特殊作戦群所属の、ぜんこぱす陸曹と名乗っております。もう一名は、航空自衛隊の技官でメテヲと……」
その報告に、Sレイマリは目を見開いた。
特殊作戦群と、空自のエンジニア。なぜそんな組み合わせが、敵のど真ん中から現れるのか。
数十分後、泥と硝煙にまみれた二人の男が、司令部に通された。ぜんこぱすの瞳は、復讐の炎を宿したまま、静かに総監を見据えている。一方のメテヲは、最新鋭の機材が並ぶ司令部を、好奇心丸出しの目で見回していた。
Sレイマリは、ぜんこぱすの報告を一言も漏らさずに聞いた。父の死、石狩市街地の惨状、そして敵部隊の編成や士気、指揮系統の混乱といった、今最も必要としている生の情報。それは、どんな偵察衛星よりも価値のあるものだった。
報告を終えたぜんこぱすは、深く頭を下げた。
Sレイマリは、目の前の異質な二人をじっと見つめた。一人は、復讐に燃える特殊部隊員。もう一人は、戦争をゲームのように楽しむ天才技術者。正規の指揮系統からは、到底生まれることのないイレギュラーな存在。
だが、この絶望的な戦況を覆すのは、あるいは常識の外にいる者たちなのかもしれない。
彼女は、静かに決断した。
それは、北の防人たちが、二つの新たな刃を手に入れた瞬間だった。
彼女の脳裏には、この二人を最大限に活かす、新たな作戦の骨子が、既にかたち作られ始めていた
【CNN World News - September 5, 1988】
ヘッドライン: Japan Declares War on Soviet Union, Prime Minister Cedes Authority to Military.
「…This is a historic and deeply alarming moment in East Asia. Following what it calls a 'dastardly surprise invasion' of its northern island of Hokkaido, the Japanese government has declared a state of national emergency. In an unprecedented move, Prime Minister Takeshita has reportedly ceded full military authority to General Memenmori, the first female chief of Japan's Joint Staff. In her first address, General Memenmori announced the activation of defense protocols, officially designating the conflict the 'Second Russo-Japanese War' and, in a highly controversial statement, calling it a 'Seisen', or 'Holy War', to defend Japanese soil and culture. The White House has issued a statement condemning the Soviet aggression but has yet to clarify if this triggers the U.S.-Japan Security Treaty…」
(日本語訳:…これは東アジアにおける歴史的かつ、深く憂慮すべき瞬間です。日本政府は、北の島、北海道への「卑劣な奇襲侵攻」を受け、国家非常事態を宣言しました。前例のない動きとして、竹下首相は自衛隊初の女性統合幕僚長である、めめんともり陸将に軍事的全権を委任したと報じられています。めめんともり統幕長は最初の声明で防衛出動を宣言し、この紛争を公式に『第二次日ソ戦争』と呼称。さらに、日本の国土と文化を守るための『聖戦』であるという、大きな議論を呼ぶであろう声明を発表しました。ホワイトハウスはソ連の侵略を非難する声明を出しましたが、これが日米安全保障条約の発動に繋がるかはまだ明らかにしていません…)
つづく












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!