第9話

二章 王女死す?
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2022/09/29 03:00
台所番の女
目が覚めてから、これなんだよ
 太った女が、やれやれと掌を上に向ける。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
信じてください!
 身を乗り出すが、イザークの冷たい視線も、女たちの困惑顔も変わらない。

(どうしよう? どうしよう? どうするべきなんだろう?)

 涙ぐんでしまう。けれど泣き出したところで、どうにもならないのは知っている。

 フレデリカは天使宮に住まい、大勢の侍女にかしずかれ、様々な教師から教えを受けている。貴族たちは彼女を褒めそやし、楽しい余興に招こうとしてくれる。

 けれどフレデリカが本当に困ったとき、困惑したときは、今まで誰にも相談できなかった。王女らしくあれと教えられているために、他人に惨めな姿をさらせなかったからだ。

 そもそも、女の泣き顔は醜いと教えられている。だから人前で泣いてはならない。王女だから。エーデルクラインの宝石は、醜くあってはならない。

 だからフレデリカは知っていた。本当に困ったときは、誰にも助けを求められない。

(どうすればいい?)

 唇を嚙み、必死に考える。

 まずは誰かに自分の状況を説明し、信じてもらうべきだ。そのためには信頼出来る誰かと話す必要がある。ただ、この身なりはまずい。せめて身なりだけでも整えておかなければ、誰もフレデリカの話に耳を傾けてくれないはず。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
とにかく、わたしは部屋に帰ります! 身なりを整えて、誰かに説明をします
 膝にかかっていた薄い毛布をはねのけると、床に足を下ろした。
台所番の女
ちょっとお待ちよ、グレーテル。なにを馬鹿なことを
 焦ったように呼び止められ、腕が伸びてきたが、それをすり抜ける。「グレーテル!」と呼ぶ女の声を背中に聞きながら、台所を飛び出した。

 外へ出ると、まばらな林だった。台所のある炊事棟は、その林で目隠しされているらしい。

 目隠しの林を抜けるとバラ園に出た。目の前は天使宮だ。そこを目指して走った。

 天使宮に到着したときには、息が切れていた。

 床は白大理石、壁は白漆喰。窓枠や扉も白で塗られ、金箔で精緻な草模様を描いてある。白を基調とした天使宮の内装は、少女趣味ともとれる軽やかさと愛らしさ。

 しかし今、その軽やかで愛らしいはずの天使宮内は、異様なざわめきで満ちていた。

 一階のサロンに幾人もの人間が出入りしているが、その誰もが、フレデリカが普段接触しない大人たちだ。国王や王妃の側近で、政治や宮廷儀式を取り仕切るような人々ばかり。

 なにが起こっているのかわからないが、とにかく誰かに、自分の窮状を知ってもらわないことには始まらない。その思いだけで、ゆるい曲線の階段を駆けあがる。自分の部屋が見えた。

 部屋の扉は開けっ放しで、中からは喚く声がする。聞き覚えのあるユリウスの声だ。

(ユリウス! あの場にいた彼に、なにがどうなっているのか事情を聞かないと)

 一直線に部屋に向かっていると、
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
フレデリカは死んでいない!
 と叫ぶユリウスの声がはっきり聞こえる。
グロスハイム公爵
なにを馬鹿なことを! 明白に死んでいる! 意識がない、動かない、心臓が止まっている
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
ならなぜ肌が温かいんだ!? 生きているんだ。きっとそうだ。動かなくても、心臓が止まっていても、きっと生きているから温かいんだ
グロスハイム公爵
薄々知っていたが、おまえは馬鹿か!? ユリウス!?
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
失敬な、父上! 僕は愛の力を信じているだけだ! 僕の愛の力で、彼女の体はまだ生きている。そうに違いないんだ。彼女が生きていると感じるんだ!
グロスハイム公爵
やっぱり馬鹿だったんだな! そもそもおまえがお側にいながら、なぜこんなことに!
 ユリウスと口論しているのは内務大臣、ユリウスの父親でもあるグロスハイム公爵の声だ。
ハインツ国王
グロスハイム。ユリウスを責めるでない。フレデリカに余の馬を貸した……余の責任だ
 さらに弱々しくはあるが、父である国王ハインツの声も聞こえた。

 部屋の出入り口には、第一騎士団の騎士が立ち番をしていた。「おい」と呼び止められそうになったが、無視して部屋に駆け込んだ。

 部屋に飛びこむと居間には誰もおらず、幾人もの人間が、続きの間の寝室に入っているのが見えた。ユリウスも内務大臣も、そこで口論しているらしい。

(みんな寝室にいるの!?)

 肝が冷えた。そら豆人形を詰め込んだ簞笥の前に、いったい何人いるのか。誰かが、開かずの簞笥に興味を抱かないとも限らない。

(いいえ、それよりも。わたしは死んでないと、とりあえず伝えなければ)

 この際、身なりがどうこう言っていられないようだ。

 寝室の出入り口に立つと、フレデリカは肩を上下させて息を切らしながら、声を張った。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカは死んでいません! ここにいます!
 寝室の中にいる全員の視線が、こちらに集中した。フレデリカは寝室の内部を見回した。

 誰も開かずの簞笥に興味を抱いている様子はなく、簞笥扉から、そら豆人形が飛び出す事態にもなっていない。

 ユリウスとグロスハイム公爵は、出入り口近くで突っ立って、啞然とこちらを見ている。

 寝室中央にあるベッドの傍らには、父国王と母王妃がいる。二人はベッドの脇に跪き、横たわるフレデリカの手を握っていた。ベッドの上にはフレデリカの体があった。天使と形容される可憐さで、目を閉じて横たわっている。その睫は震えることすらなく、握られた手には力がなく、あきらかに死んでいた。

(そら豆人形は飛び出してない! わたしの死体もある! 良し! ………えっ!?)

 二度見した。「良し」ではなかった。

(わたしの死体!? し、死体!?)

 さすがに衝撃だった。青ざめるフレデリカに、ユリウスが小首を傾げて近寄ってくる。
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
君は?
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
わたしは、あの……フレデリカです。わたしはフレデリカです。別人の姿になってますが、わたしがフレデリカです。どうしてなのか、わかりません。でも、でも。フレデリカなんです
 説明しようがないので事実だけを口にすると、とんでもなく馬鹿馬鹿しい訴えだった。
グロスハイム公爵
このようなときに、なんたる配慮のない、無礼きわまりない冗談を! この召し使いをつまみ出せ! どうしてこのような者を中へ入れたのだ!
 目を三角にして眉を吊り上げたのは、ユリウスと口論していた内務大臣だ。その声に反応して、立ち番をしていた騎士が慌てて駆け込んでくる。
騎士
申し訳ありません。焦っている様子だったので、誰かの使いを頼まれたのかと思い。すぐに連れ出します
 厳しい表情で騎士が近寄ってくるので、フレデリカは身を縮めた。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
待ってください。お願い。わたしは、本当にフレデリカなんです
グロスハイム公爵
まだ言うか!
 内務大臣に一喝され、騎士に腕を摑まれる。
グロスハイム公爵
その者は即刻、宮殿から放り出せ!
 怒りに震えながら、内務大臣は喚いた。

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