霧が揺れる。
その揺れが、ほんの少しだけ強くなった。
虎の咆哮が、空気を裂く。
敦くんが押し返される。
地面に片手をつく。
次の瞬間、虎の爪が振り上がった。
間に合わない。
そう思った瞬間、足が動いていた。
自分でも何をするつもりか分からない。
でも、叫びながら虎のほうへ駆け出す。
視界に入ったのか、虎の瞳がこちらを向いた。
ほんの一瞬。
敦くんから、私へ。
その隙に、敦くんが横へ転がる。
爪が地面を抉る。
間一髪だった。
敦くんの声。
でも、もう止まれない。
虎が向き直る。
今度は、私に。
距離が一気に縮まる。
強く腕を引かれた。
次の瞬間、体が浮く。
鏡花ちゃんが、私を抱えたまま跳んでいた。
直後、夜叉白雪の刃がさっきまで私がいた場所を薙ぐ。
状況が追いつかない。
鏡花ちゃんは私を抱えたまま走る。
夜叉白雪が追う。
一直線に、こちらへ。
鏡花ちゃんが振り向きざまに受け止める。
衝撃で体勢が崩れる。
その拍子に、握っていた鉄パイプが手から滑った。
くるくると回りながら飛ぶ。
カンッ――
乾いた音。
夜叉白雪の額。
赤い宝石に、鉄パイプが直撃していた。
ひびが走る。
ぱきり、と音を立てて砕ける。
夜叉白雪の輪郭が揺らぐ。
霧に溶けるように、消えていった。
鏡花ちゃんが静かに息を呑む。
力が戻る。
空気が変わる。
敦くんが立ち上がる。
二人が同時に虎へ向き直る。
今度は押している。
連携。
確実に追い詰める。
私はその場に立ったまま、呆然としていた。
今の、私……?
いや、落ちただけ。
偶然。
それより――
敦くんの声が響く。
虎が後退する。
鏡花ちゃんの刃が軌道を塞ぐ。
あと一撃。
そのとき。
霧が、わずかに揺れた。
ゆっくりと、そこに現れる。
私。
私と同じ姿。
同じ顔。
でも、目が違う。
静かで、遠くて、どこか痛みを含んだ目。
敦くんと鏡花ちゃんが一瞬だけ動きを止める。
ほんの一瞬。
すぐに視線を戻す。
鏡花ちゃんが言う。
敦くんが頷く。
分離体を警戒しながらも、虎を追い詰める。
あと一撃。
敦くんの拳が振り下ろされる。
鏡花ちゃんの刃が走る。
その瞬間。
分離体が、一歩前に出た。
小さな声。
静かに。
空気が変わる。
霧が渦を巻く。
虎の動きが、わずかにずれる。
致命の一撃が逸れる。
衝撃だけが走る。
虎は、倒れない。
敦くんが息を呑む。
鏡花ちゃんの目が鋭くなる。
私は。
ただ、立ち尽くしていた。
何もしていない。
何も言っていない。
なのに。
あの“私”が、願った。
守るみたいに。
戦場の中心に、星が立っていた。
次回 ー星に願いを













編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!