"よかったら今度改めてお礼をさせてください"
なんて、何を言っているんだ。
初対面の、ましてや異性にそんな事を言われるなんてナンパだと思われても仕方ない。
しかも、彼はとても驚いたような表情をしていた。わたしの感じ取る能力が誤っていなければ、その驚きから嬉しさとかそういうものは感じられず、とにかく戸惑っていた、という印象だ。
合わせる顔が無い。
そしてほとぼりが冷めた頃に会った時は、この事がなかったかのように振る舞おう。
そう決意して会社へ向かうため、家を後にした。
ーーのだが。
マーフィーの法則ごとく早速会ってしまった。
せめて最初に会った時にいた背の高い男性もいればよかったのに、当たり前にいない。これも法則の通りだ。
合わす顔が無いとは思っていたものの、彼との再会に喜んでいる自分もいるのも確かだ。だって、お礼をしたかったのは本心なのだから。
彼はキラキラした笑顔で挨拶をしてくれたが、わたしはとても辿々しく引き攣った笑みで返事をしてしまった。どうしてだろう、彼を前にするとなかなか上手く行かない。
エレベーターが到着して、中に人が乗っていればという願いも儚く、彼と2人きりになった。
今日は彼がボタン側に立ち、押してくれる。
わたしは「あ、はい…」と言った煮え切らない返事しか出来なかったが、エレベーターのドアが閉まった瞬間、彼は勢いよく話しかけてくれた。
あぁ、やめてください。
この前のナンパ紛いの事なんか今すぐ忘れて欲しい。そんなわたしの気持ちも虚しく彼は話を続ける。
きょとんとしてしまったわたしの表情に、あからさまに焦ったようにパパパッと両手を空中で泳がせながら提案をしてくれた。
ナンパみたいだと焦ったのはお互い様なのかもしれない。
でも、お隣同士って何の事だろう?もしかしなくても、わたしの家のお隣さんは彼なのだろうか?だとしたら、なぜ彼はそれを知っているんだろう?
でもそんな事がどうでもよくなるくらい、わたしの心は軽くなっていた。
百面相のごとく表情をコロコロと変え、全身で感情を表現する目の前の彼と話をしたい。彼を知りたい。そう思ってしまった。
すると彼は唇を巻き、上がる口角を必死に隠すようにわなわなと震えたと思えば、「やっ…!…ったーーー!」とガッツポーズをした。
勿論、最初の言葉の声のボリュームはかなり大きくて、慌てて二文字目を発していた。
思わず再び笑ってしまった瞬間、エレベーターは1階に到着した。
ドアが開くと、彼は子犬が散歩へ行く喜びのあまり飛び跳ねるかのように外へ出ていく。
そんな言葉を残して、わたしに手を振って。
でも、わたしは彼の連絡先を知らなかったし、彼は隣人との事だが残念ながらそれも知らない情報だ。
それでも不安だったり焦りがないのは、きっと彼ならまた会えるだろうと思ったからだ。
少し大きな口を開けて笑う男の子の笑顔が目に焼き付いて離れない。
きっと今日は、彼の笑顔につられ、わたしも笑顔溢れる素敵な日になることだろう。













編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。