阿部side
朝、会社に着く前にコンビニに寄った。
目的は決まっている。薄い、無地のノート。
棚の前で少し迷ったあと、いちばん安いものを取った。
特別なものにしたくなかった。
これは願いじゃない。ただの、手段だ。
席に着いて、ノートを開く。
白いページを前に、ペンが止まる。
――何を書けばいい?
日付。天気。
それから、事実だけ。
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・朝、佐久間は少し眠そうだった
・会議の時間を聞かれた
・昼は一緒に弁当を食べた
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感情は書かない。
「楽しかった」とか「寂しかった」とか、そういうのは全部削る。
事実だけなら、壊れない気がした。
佐久間が覗き込んでくる。距離が近い。
半分は嘘だ。
でも半分は本当だった。
興味を失ったみたいに、すぐ自分の席に戻る。
その反応に、少しだけ救われる。
もしこのノートの意味を知られたら、
それだけで、何かが終わってしまいそうだった。
昼休み、佐久間が言う。
一瞬息が止まった。
それは、俺が今やっていることと、同じだ
できるだけ、平静に答える。
軽い調子。
でも、その“得意そう”の中に、無意識の依存が混じっている。
続かせる役目。
覚えている役目。
気づけば、そんな役割を引き受けている。
そう言いながら、否定できなかった。
夜、家に帰ってノートを開く。
今日のページを見返す。
そこには、確かに“今日”がある。
でも、その中心にいるはずの佐久間の感情は、どこにもない。
――これでいい。
少なくとも、今は。
忘れていく彼と、
覚え続ける自分の間に、
薄い紙一枚の橋をかける。
それが、俺にできる唯一のやり方だった。
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編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!