1943年、深夜。モスクワ。
漆黒の軍用車が、重厚なクレムリンの城壁を潜り抜ける。
車内には、三人の静かな決意が満ちていた。
「……ヒロちゃん、これ、本当にボクに似合ってるのかな」
隣に座る桜羽エマが、自分より少し大きな軍服の襟を直しながら、不安げな「ボク」の声で囁く。
それは、かつて二階堂ヒロが少尉時代に纏っていた、汚れなき、そして血に塗れた「私」の証だった。
「……似合っているさ、エマ。君を『少尉』として隠し通すのが、最も都合がいいんだ。」
「……そうですね、ヒロ。エマのその姿、昔の貴方を見ているようですね。……不気味なほどに。」
助手席のユキが、冷静な「私」として後方を振り返る。
ユキはゲシュタポのスパイとしての顔を隠し、腰のホルスターを確かめた。
車は地下深く、スターリンの防空壕へと続く重い鉄扉の前で止まる。
待ち構えていた秘書が、疑り深い目で三人を一瞥した。
「……長官。こんな深夜に、何の御用です? しかも、見慣れぬ方を連れて……」
ヒロは長官の威厳を纏い、一ミリの揺らぎもない「私」の瞳で秘書を射抜いた。
「……緊急の報告です。このエマ少尉の『処理』について、閣下の直接のご裁定を仰ぎたい。……急にこんな少尉が現れたことを不審に思われるのは、客観的に当然。……だからこそ、閣下ご自身に会わせていただきたいのです」
ヒロは胸ポケットの赤い万年筆を指先でなぞった。
「……同志スターリンに、直接……ね…しかし長官、翌朝にお願いしたいです。少し、怪しいものですから…」
その時、ヒロはサイレンサー付きの拳銃を突き出す。
「何の罪もない人を殺すのは正しくないのだがな。」
その小さな発砲音は、三人を覗き、誰の耳にも聞こえなかった。
重厚な防空壕の奥、独裁者が待つ深淵へと、三人の足音が響き渡る。
地下の空気は氷のように冷え切っていた。
1943年深夜。イズマイロヴォのスターリン地下壕の重厚な扉が開く。
「……スターリン。あなたは正しくなかった。」
NKVDの制服を纏い、冷徹な「私」を貫く二階堂ヒロ。
その隣で、同じく「私」として、ユキが静かに、冷静に、独裁者を追い詰める。
「……そうですね、ヒロ。この人は最初から自分のことしか考えていなかったんですよ。……ねえ、もう終わりにしましょう?」
かつての独裁者は、机の下で震えながら喚き散らす。
「ま、待て! 金ならやる! 命だけは……! 」
ヒロは銃口を微塵も揺らさず、事務的に告げた。
「貴方には、この世界から消えてもらう」
乾いた銃声。崩れ落ちる鋼鉄の男。
砂埃の立ち込める静寂の中、桜羽エマが「ボク」としての迷いを瞳に宿し、ポツリと溢す。
「ヒロちゃん。……本当に、これでよかったのかな。」
「私達の正しいを突き通したまでだ。少なくとも私からは煩悩に満ち溢れた害虫だった。ただそれだけだ。」
ヒロは帽子を被り直し、エマの視線を受け止めることなく踵を返す。
ユキが言い出す。
「終わりましたね。こんな暗いムードもあれですし、気分転換に、あの店なんてどうでしょう」
モスクワの路地裏。馴染みの店。モスクワでは珍しく、24時間営業をしている。
運ばれてきたピロシキを割り、不純物がないことを確認した3人。
「美味しいですね。エマ。ヒロ。」
「そうだね…!あ!炙り瓶も頼んじゃおうかな!?いい?ヒロちゃん!」
「今日は奢りだって言ってるだろ?」
ふと窓の外を見ると、激しい雪がモスクワの街を白く染めていた。
それを見たユキが、いたずらっぽく、でもどこか寂しげに笑う。
「あはは、ヒロ、顔が緩んでるよ。」
空からは、静かに、優しく、雪が降り続いていた。
そこにはもう、偽りの正義も、煩悩も存在しなかった。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。