私は約束通り綴を迎えに行くため、さらには、彼の寝顔を一目見るために早起きをした。
綴の手作りおにぎりも楽しみだけど、それは寝顔を見た後にでも一緒に作ればいい。好奇心ではない、ちょっとした下心を抱いて私は彼の家へと向かう。
綴がもし起きてしまったらどんな顔をするのか想像すると、自然と顔が綻び足は弾むように歩みを進める。
「森園」と書かれた表札を確認して戸をノックすると、中から駆けるてくるような足音が聞え、勢いよくそれは開けられた。
戸を開けてくれたのは綴のおばあちゃんで、私を見るなり落胆するように肩を落とした。しかし、すぐにまた顔を上げて縋りつく勢いで私の両腕を掴む。
そこまで思い出して、私は嫌な予感がした。
昨日、あの真っすぐな道を振り返った時、そこに綴の姿はなかった。
夜遅いから走って帰ったのかと思ったけど、よく考えればそれでも見えないのはおかしい。
見えない、その言葉でふと、私は妖怪を思い浮かべた。
私は家を飛び出し、綴に案内した場所を1つ1つ回った。
いつもの木陰や学校、町の中、小川、森の中の湖。
どこも綴との思い出で溢れていて、私は目に涙を溜めてしまう。
けど、それが流れ落ちる前に自分の手で拭い取り、私はまた彼の姿を追って走り始める。
それでも、綴は見つからなかった。
日が暮れ始めた頃には、町中の人が綴の捜索にあたっていた。
信じたくはなかった嫌な予感が確信へと変わる。
けど、見えない私には何にもできない。
自分を責めることしか、できない。
まだ先だと思っていた綴との別れを思わぬ形で迎えそうで、私は感情が抜け落ち、虚無感に支配されそうになる。
それでもまだ悲しみは感じるようで、目には溢れんばかりの涙が溜まり、それはついに零れ落ちてしまう。
木陰で足を抱えて顔を伏せていると、そよ風が濡れた頬を撫でるように吹いた気がした。
それと共に聞こえてきた何かを引きずるような音に私は顔を上げる。
ビニール傘を凝視していると、それは何かに引っ張られている様に引きずられていく。
ひとりでに動くそれに、妖怪の存在を感じた私は縋る思いで尋ねる。
その言葉に応えるようにビニール傘は森の中を前進していき、私が追いかけるために立ち上がると頭上から赤い椿の花が落ちてきた。
「椿、哀れな奴め」
ふと思い出したのは、町内看板の前にいた角の生えた妖怪の一言だった。
その椿の花も何かの意思によってか、吹いてもいない風に乗るように動き出す。
その後を追おうと一歩踏み出したところで、一つの不安が過った。
私は綴と繋がれていない手を握り締め、森の中を進んでいくビニール傘と椿の花の後を追った。
どれくらいたっただろうか。
もう日は沈んでしまったが、私は暗い森の中を必死に歩き続けていた。
ようやく月の光が差し込む開けた場所に出ると、私の目の前を蛍が通り抜けていった。
町に流れているものより透き通った清らかな小川が見え、そこには溢れるほどの蛍が飛んでいる。
月明かりと蛍の灯を頼りに先へと進めば、花のついていない椿の木が幾本も立ち並び、その中心に朽ち果てた神社が寂しげに構えていた。
その神社の目の前で止まってしまったビニール傘と椿の花を見て、意を決して戸に手をかけた時。
戸を開けば、そこにはグレーの浴衣を身にまとった綴の後姿が見えた。
そう感動にうち震えて語り掛けると、綴はゆっくりとこちらを振り返る。
しかし、その表情は私が初めて綴に出会った時よりも、妖しく奇麗で儚いものだった。
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編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!