「おかえりなさいませ。」
一斉に頭を自分に向け、体を90度に曲げてくる執事とメイドを横目で見て、挨拶も労りの言葉もかけないまま、俺は自分の部屋へと向かう。
これから作法の先生が来て、その後はテスト勉強。そして明日はダンスのレッスン…
「はぁぁぁっ」
深いため息を着きながら赤いカーペットのしかれた長い長い廊下を歩く。
壁には高級品だという沢山の絵が黄金の額縁に入れられて飾ってある。
正直俺には芸術というものは全くわからない。
だからこの一般的には素晴らしい絵だって俺にとっては園児の落書きと一緒。
いや、園児が頑張って描いた落書きの方が何倍も価値のある物かもしれない。
こう見えて意外と子供好きなのだ。
「おかえりなさいませ、零様」
後ろから大好きな人の声が聞こえ、“零様”を忘れて思わず後ろを振り返る。
目の前にいたのは大好きな大好きな、執事の深山だ。
思わず口元が緩むのが抑えきれず、俺は深山から視線を外して床の赤いカーペットを見つめる。
「零様、この後はお作法の先生がいらっしゃいます。」
嫌だ。
“零様”なんて呼ばないで欲しい。
深山だけにはちゃんと“零”を見てて欲しい。
それでも俺には選択権なんてないし、別に反抗しようとも思わない。
みんなはお金持ちの家に産まれて羨ましいなんて言うけれど、それは当事者じゃないから言えることだ。
誰でも今の俺みたいな生活をしていれば嫌になる。
ずっと下を向いていると頭に血が登りそうで俺はゆっくり頭をあげる。
目線の先にはまだ深山がいた。
ひゅっと息を吸う。
分かった。と了解の言葉をかけようか迷ったが、俺は口を閉じてまた歩き出す。
ここで深山だけに話しかけるなんておかしい。
なるべく普通に見えるように俺は彼に接しなければならない。
自分の部屋に向かいながら廊下にある窓の反射を利用して、ちゃんと後ろから深山が着いてきているか確認する。
ただ歩いているだけなのにその姿すら愛おしくて俺は思わずポロッと零す。
「…好きだ」
「零様?なにかおっしゃいましたか?」
「なんでもない」
好きだ。好き。大好きだ。
主人と執事なんて、年の差なんて関係ない。
ただただ俺は“深山太一”が好きなんだ。
真っ赤なカーペットのように情熱的に燃え上がる熱くて苦しい恋という名の敵。
その熱を冷ます方法を俺はまだ知らない。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!