第16話

天羽りるの夢
1,203
2024/05/08 09:00
 空はすっかり暗く、月が煌々と浮かんでいる。
 ネオン街の一角で、天羽あもうりるはサラリーマンの男と食事を終えて帰るところだった。
サラリーマンの男
サラリーマンの男
りんちゃん、今日もありがとうね
 差し出された封筒を受け取って、りるはこちらこそ、とにっこり微笑みを返した。『りん』という名前はもちろん偽名だ。目の前の男は『鈴木』と名乗っているが、それもきっと偽名だろう。職業だって年齢だって、本当かどうか分からない。それはりるも同じだ。りるも自分を大学生だと偽って、学費が足りないと嘘を吐いて『鈴木』に会っているのだから。渡している金をホストに貢がれているとは、『鈴木』も気づいていないだろう。
鈴木
鈴木
来週もどう? 今度はフレンチ御馳走するよ
天羽 りる
天羽 りる
やったぁ! フレンチ大好き! ありがとう鈴木さん
 りるが笑顔を見せると、鈴木は照れくさそうに表情を緩める。その様子を、りるは冷めた感情で眺めていた。騙していることに罪悪感を覚えていたのも、嘘がバレるのではないかと怯えていたのも初めのうちだけ。会う人数を増やすうちに、そんなものは無くなっていった。

天羽 りる
天羽 りる
(イチもホスト始めたてのころは無理にボトル入れさせるの申し訳ない、
とか言ってたっけ)
 ふふ、と思い出し笑いをするりるに、鈴木は勘違いしたのか張り切った様子で来週の予定を詰めてくる。りるはスケジュールを頭に叩き込むと、「またね」と鈴木に手を振った。
 厚底のブーツを鳴らしながら駅まで歩く。
 はじめに連絡しようとスマホを開いて、不在着信が来ていることに気が付いた。『.』とだけ登録してあるその連絡先に、りるは顔を歪める。軽く舌打ちをして、通知を削除する。
男子生徒A
あ、ほらあいつだよ!
 騒がしい声が届き、りるは立ち止まった。向かいの歩道に、ちらちらとこちらを見る二人組の男子高校生の姿が見える。彼らが着ている制服は、りるの在籍している高校のものだ。
 良く見ると彼らの顔には見覚えがある、ような気がした。名前は思い出せないが、クラスメイトではなかっただろうか。
男子生徒A
一年の終わりからずっと不登校の天羽だよ。パパ活やってんだって
男子高校生B
全然元気そうじゃん。じゃあ学校来いよって感じ
男子生徒A
わかる。俺らは受験で毎日塾三昧ざんまいなのにな
 下品な笑い声が夜の空に響き渡る。
天羽 りる
天羽 りる
……勝手に言ってろっつーの
 りるは苦々しく吐き出して、スマホに目を落としながら歩き出す。忘れないうちにスケジュールアプリに『鈴木』との予定を打ち込んで、メッセージアプリで壱とのトークルームを開く。
メッセージ
『今から帰るよ』
 メッセージを送っても、すぐに既読は付かない。
天羽 りる
天羽 りる
(明日も二部からって言ってたっけ。じゃあもう寝てるのかな)
 りるはスマホをポケットにしまうと駅に向かった。
 空いている電車に乗り込んで、端の座席に腰を下ろす。手すりに寄りかかって目を閉じると、発車のアナウンスが流れて電車が進みだした。不在着信を見たからか、男子生徒たちの話し声を聞いたからか、家を飛び出したときのことを考えてしまう。
 粕谷かすやはじめと初めて会ったのも、そのときだった。
天羽 りる
天羽 りる
(もう二年前か……)
 りるの母は、いわゆる過干渉というやつだった。何をするにも行動を制限され、母の許可を得なければならなかった。入る部活も、進路の選択も、私服や髪形、仲良くする友達すら。少しでも逆らうと、母は人が変わったように怒り狂い、りるを責め立てる。そんな時、父がいればと何度も願ったが、父も母の束縛癖に耐えられなかったのだろう、りるが幼いころに離婚して家を出て行ってしまった。
天羽 りる
天羽 りる
(りるのことも、連れて行ってほしかったな……)
 りるの居場所は、学校にも無かった。もともと浮いていたりるは、高校に入るとさらに周囲に馴染めなくなった。母の言うことばかり聞いているのは甘えだとバカにされ、無視をされるようになった。クラスの連絡グループに一人だけ招待されなかったことで大事な連絡が伝わらず、母や担任から叱られることが何度もあった。
 そんな毎日に耐え切れず、冬休みのある日に家を飛び出した。
 補導されないよう大人っぽい格好に着替えて、いつもと違う髪形にして、ネオンがぎらつく繁華街を歩いていた。自分のことが全部どうでもよくなって、人生をめちゃくちゃにしたくなったのだ。
ホストの男
ホストの男
ねえねえ、そこの可愛いお嬢ちゃん! 良かったらオレと話さない?
 そんなとき、声を掛けてきたのが壱夜いちやというホストだった。見るからにチャラそうで、母から絶対に近づいてはいけないと教えられているタイプの人間だ。だからだろう、りるは彼について、ホストクラブに入店した。

 とはいえ、初めての場所でりるはただ縮こまっていた。ずっと黙り込んでいたからか、緊張を和らげるように壱夜と名乗ったそのホストは隣でずっとあれこれ話をしてくれた。最近あった出来事や、芸能ニュースのあと、彼はりるに「何か悩みごとあんの?」と聞いてきた。

 りるが素直に頷くと、壱夜は自分の本名を打ち明け、身の上話を始めた。
父が自殺して借金が残り、大学に行くのを諦めてホストを始めたこと。
 気づけばりるも自分のことをぽつぽつと話していた。壱はりるが高校生だと知ると慌てたようだったが、追い出そうとはしなかった。
粕谷 壱
粕谷 壱
逃げられるうちに逃げたほうが良いよ。
やりたいことあんなら、できるうちにやったほうがいい。
オレみたいになってからじゃ遅いからさ
 その言葉に後押しされて、りるは家に書き置きを残し、荷物をまとめて壱の部屋に飛び込んだ。
天羽 りる
天羽 りる
(やりたいことはできるうちに……。りるはイチとずっと一緒にいたい)
 最寄り駅を告げるアナウンスが鳴り、りるは目を開けた。電車を降りた先、東京郊外のその場所は、しんと静まり返っている。りるは住宅街を抜けると一軒のアパートの前で足を止めた。築年数のずいぶんと経ったぼろぼろの建物だ。
 軋む階段を上がって二階に向かう。角の201号室が壱の部屋だ。玄関に着くと、ポケットから勝手に作った合鍵を取り出す。
天羽 りる
天羽 りる
ただいまイチ
 暗い玄関にぱちりと電気を点け、厚底ブーツをごとごとと脱ぎながら声を掛ける。ワンルームはしんと静まり返り、開いた襖の先の暗がりで布団がもぞもぞと動き出す。
 りるはキッチンを抜けながら、冷蔵庫に貼られたホワイトボードに目を向けた。『あと3050万』と書いてある。
 りるはスマホのスケジュールアプリを開いた。
天羽 りる
天羽 りる
(『鈴木』、『田中』、『梶』、『矢崎』……。
もう少し増やした方がいいかな。キャバは……まだ年齢がダメだ)
 思考を巡らしながら算段を立てる。壱の借金はだいぶ減ったほうだ。それでも利息は増えていくし、いくら壱がナンバーワンだとしてもスーツなどの経費で差し引かれ、手元に残る金はそこまで多くない。生活費も差し引いて借金返済に充てられる金額を思うと、完全返済まであと何年かかることだろう。
粕谷 壱
粕谷 壱
……いま何時……
 玄関の電気を点けたからか、眠そうな壱の声が聞こえてくる。りるはくすくすと笑いながら布団に向かった。ぼろぼろのアパートにお似合いの薄い布団だが、そこが一番温かくて安心できる場所だ。
天羽 りる
天羽 りる
おはようイチ。今は22時半だよ
 壱は眠そうに寝返りを打ってこちらを向いた。しかめっ面に手を伸ばし、眉間に寄ったしわを伸ばしてやる。
粕谷 壱
粕谷 壱
……お前、家帰んねぇの?
 目が覚めて来たのか、壱がぽつりとそう言った。
天羽 りる
天羽 りる
は?
粕谷 壱
粕谷 壱
母親、心配してるんじゃねえの?
天羽 りる
天羽 りる
出ていけってこと!?
 りるは血相を変えると、テーブルの引き出しに隠されていたカッターを掴んだ。手に馴染む本体を握り締め、ちきちきちき、と刃を引き出す。
天羽 りる
天羽 りる
りるにはイチしかいないのに、出てけって言うの? それならここで手首切って死んでやる
粕谷 壱
粕谷 壱
待て待て待てって!
 飛び起きた壱が焦った声で止めながら、カッターを持つりるの手に触れてくる。握っていた指を一本一本引きはがされ、カッターを奪われる。ちきちきちき、と音を立てて刃がしまわれ、引き出しの中に戻される。
粕谷 壱
粕谷 壱
連絡来たりしてんじゃねーの? 行方不明とかになってたらどうすんだよ
天羽 りる
天羽 りる
書き置き残してれば警察は探したりしないよ。それにイチがいれば、りるはそれでいいもん
粕谷 壱
粕谷 壱
あ、待て、腕見せろ
 りるが布団に潜り込もうとすると、壱が左手首を掴んできた。長袖をめくられ、包帯でぐるぐる巻きにされた腕が露わになる。その包帯を、壱がゆっくりほどいていく。りるの色白の肌には、真っ白な細長い傷跡がいくつもできていた。リストカットは母親と暮らしている時から癖のように続いている。それはりるにとって燻った気持ちの捌け口でもあったし、SOSでもあった。母には届かなかったが、壱はちゃんと気付いてくれる。
 壱はりるの手首をじろじろと眺め、真新しい傷が無いことを確かめると布団の隣を空けた。
天羽 りる
天羽 りる
最近はしてないよ。イチが嫌いになるって言うんだもん
粕谷 壱
粕谷 壱
当たり前だろ。誰が血だらけの女と一緒に寝るか
 薄い布団に身体を潜り込ませると、悪態交じりに言いながら壱が掛け布団を引き上げた。
天羽 りる
天羽 りる
イチは明日六時から出勤でしょ?
粕谷 壱
粕谷 壱
二部からだからな。あと六時間くらい寝れるわ
天羽 りる
天羽 りる
じゃあさ、同伴しようよ。りるも明日お店行くから
粕谷 壱
粕谷 壱
同伴?
 壱が気だるそうな声で答える。嫌がっているように聞こえるが、もう少し頼めば仕方ないと折れてくれることをりるはよく知っていた。
天羽 りる
天羽 りる
だって寝るときくらいしか一緒にいられないじゃん。そんなの寂しいよ
 案の定りるが頼むと、壱はしゃーねぇなと答えた。
粕谷 壱
粕谷 壱
あーあ、金があったら仕事辞められんのにな
天羽 りる
天羽 りる
仕事辞めたら何したい?
 そう尋ねながら、りるはスマホでSNSを開いていた。検索窓に言葉を打ち込んでは、手っ取り早く大金を稼げる方法がないか探す。
粕谷 壱
粕谷 壱
そりゃあ……ふかふかの広いベッドで寝てぇな。
デケェ家に引っ越してさ。
意味わかんない間取りにすんだ。LLLDDDKKKみたいなさ
天羽 りる
天羽 りる
んふふ、キッチン3つもいらないって
粕谷 壱
粕谷 壱
トイレの壁は金色
天羽 りる
天羽 りる
眩しっ
 りるの笑い声に重なるように、壱の欠伸が聞こえてくる。りるは隣で目を閉じている壱の髪を撫でながら、スマホの画面に目を落とす。
 目を留めたのは『ラブペア♡応援団』という募集だった。カップルに金銭援助をするという企画らしい。限度額は無いらしく、これなら壱の借金を返し、二人で豪邸を建てるほどのお金がもらえるかもしれない。例えLLLDDDKKKで金色の壁のトイレが無理だとしても、借金を返した後、このボロアパートから引っ越せるくらいの資金がもらえたら。
天羽 りる
天羽 りる
(応募してみたいけど……)
 募集の詳細を読み進めると、面接での合格が条件と書いてあった。カップルへの資金援助という名目のため、面接でお互いが愛し合っていることを証明しなければいけないらしい。
天羽 りる
天羽 りる
(壱はこういうの恥ずかしがって嫌がりそう……)
粕谷 壱
粕谷 壱
同伴すんならもう寝ろよ
 考えていると壱の手が伸び、りるからスマホを奪っていく。
天羽 りる
天羽 りる
はぁい
 りるは布団にくるまると、壱に抱き着いた。
天羽 りる
天羽 りる
りるがイチの願いごと全部叶えてあげるから、ずっと一緒にいてね
粕谷 壱
粕谷 壱
ほどほどに期待してるわ
 ぶっきらぼうにそう言いつつ、壱は「寒ぃ」と呟いてりるを抱きしめてくる。

 誰にも邪魔をされず、壱とずっと一緒にいる生活。
 金の心配をせず、毎日好きなことをして生きていけたら。

 りるはそんな未来を思い浮かべながら目を閉じた。

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