身体中風穴が空いて、左腕に至っては肩から持っていかれた。
絶えず血が溢れ出る。
緊張の糸が切れたことで、もはや意識を保つのもやっとなオーエンは、地面に膝をついた。
ひとまず損傷の酷い部分にタオルを当てて圧迫する。
だが、すぐに血が滲んでしまい、止血どころではない。
こんな時自分の血が役に立たないのが非常に歯がゆい。
そんな時、イムが袖の中から何かを取りだした。
見てみると小さな錠剤のようだ。
口の中に入れると、オーエンはひとしきりもごもご口を動かして…渋い顔をした。
味覚はまだ機能しているらしい。
苦いことが分かるなら意識はまだ持ちそうだ。
苦さのせいで先程より元気が失われたような気もするが、気にしないでおこう。
薬を飲んだオーエンの肉体は、目に見えて傷口が閉じている。
こくんとイムは頷く。
ひとまずオーエンのことはイムに頼み、ユーエンは彼女に近付いた。
まだかろうじで反応はあるが、すぐにでも消えてしまいそうだ。
虚ろで、無機質な彼女の姿を思い返す。
本当に人形のようだった。
深く傷付いた彼女の肉体からはとめどなく鮮血が溢れ、流れている。
もはや回復することも出来ないのか、傷口に変わった反応は見られない。
きっと自分たちが思う以上に恐ろしく、酷い扱いを受けてきたのだと思うと、心が締め付けられる。
見た目が自分たちとそう変わらない年齢であるのも、それに拍車をかけていた。
わざとらしい称賛が聞こえて、ユーエンはすぐに意識を切り替えた。
その言葉に彼女は応えない。
力なく横たわっている。
空を飛ぶ何かがこちらに向かってきている。
目を凝らすと、それは人の形をしていた。
おそらく彼女と同じソティスエスなのだろうが───
傷が塞がったからと暴れ出しそうなオーエンをがっちりホールドしながら、イムは告げる。
廃棄処分───殺すでもなく、そう告げられた事実に、彼女は"人"になりきれなかったのだと実感する。
身勝手に切り捨てられた彼女が哀れでならない。
どれだけ尽くしてきただろう。
理不尽な目に遭っても、きっと反抗ひとつすることもなかっただろうに。
ユーエンの問いに、オーエンは苦い面持ちで首を横に振った。
オーエンは未来での出来事を思い返す。
消耗戦に持ち込まれれば、ソティスエスは星を滅ぼすことになっても戦い続けてしまう。
対策を考えている合間にも、着実に距離を詰めてくるソティスエスたち。
ふと、横たわっていた彼女の指がピクリと動いた。
彼女が何かを呟いた瞬間、消えかかっていた反応が急激に膨れ上がった。
血反吐を吐いても、彼女は重い肉体を起こした。
頭上には輪、背中には羽。
それは赤黒く、まるで彼女がずっとひた隠しにしてきた怒りや憎悪のようにも感じられる。
必死に足掻き、生きようとする彼女の姿。
───だが、それを嘲笑うかのごとく、手足が吹き飛ぶ。
それを見たオーエンが、目を丸くした。
その不具合は、オーエンの子供にもあったものだ。
出力が上手くいかず、自傷するデメリット。
吸収は問題なく行われるが、何らかの形で出力すると回路が暴走し、肉体が損傷を受ける。
それはオーエンがよく知るところだ。
もし、このまま最大出力で迎撃すれば、彼女は塵も残さず消え去ることになるだろう。
データも残っていない彼女なら、復活は望めない。
その姿に面影がチラついて、オーエンはやめろと叫ぶ。
彼女を止めることなど出来ない───誰もがそう思っていた。
不意にユーエンの手の甲にある模様が、輝きを帯びる。
一瞬こちらも爆発するのかと背筋がヒヤッとしたが、聞き覚えのある声にその反応がどういった意味であったのかを理解した。
愉快そうだが、何処か優しさを帯びた声色。
声の主に目を向けると、そこには銀灰色の髪の女性が立っていた。
ユーエンはその喜びをぶつけるように名前を呼んだ。
変わらない、慈愛に満ちた笑顔でモノはそこに立っていた。
が、ところどころに返り血が付着しているのは何故だろうか。
あまり深く考えないことにした。
彼女の方でも何かあったに違いない。
イムはちょっとビクついている。
おそらく誰かと見間違いしたのだろう。
その相手も十中八九想像がつく。
オーエンと言えば、唖然としすぎて声すらでないらしい。
そんな様子にモノは少し吹き出して、歩み寄っていった。
オーエンの目の前でしゃがみ込むと少し肩を揺らした。
瞳は僅かながらに暗い。
それもそうだろう。
オーエンにとっては忘れ得ぬ人なのだから。
その答えに満足したモノは、方向を変えて今度は目を丸くしたまま固まっている01に近付いた。
モノの手のひらから放たれた光の粒子が、柔らかく彼女を包み込む。
傷口は閉じて、その温もりに眠気を誘われた彼女は気を失うように意識を手放した。
01を抱きかかえたユーエンは、心配そうに尋ねる。
だが、モノは心配などこれっぽっちもないような顔で答えた。
もし死からエネルギーを吸収出来たのなら、モノのように死体が増えるほど強化されていたはずだ。
だが、記憶している限り未来ではそのようなことはなかった。
つまり、ソティスエスにとって"鬼"───特にモノはこの上ない程の天敵となるだろう。
イムは頷き、戦闘態勢に入った。
その言葉に、オーエンは何処か憑き物が落ちたような、晴れやかな笑みを浮かべていた。
互いに笑みを浮かべる。
その瞳は、美しい夕景のように輝いていた。
イムは弓を引き絞り、狙いを定める。
放たれた矢はいくつにも分かれて、ソティスエスたちに襲いかかった。
ソティスエスは高速で空中を飛び回ることが可能で、戦い方も空中戦が主体である。
それ故に地上から狙うには分が悪い。
しかし、イムの弓術ならば空にいるソティスエスを地上に撃ち落とすことは容易だ。
01のように卓越した戦闘スキルを持ち合わせている様子でもない。
それを合図に、オーエンたちは地上に落とされたソティスエスたちとの戦闘を開始した。
───推測通り、モノの放つ死のエネルギーや呪いに、ソティスエスたちは翻弄されていた。
それらに邪魔されてエネルギーの吸収もままならず、一人二人と地面に伏していく。
モノは自分を"道士"でもあると言っていたが、オーエンに引け劣らず、ソティスエスを斬り捨てていく。
ふと、その太刀筋が01のものと非常に似ていることに気付いた。
思い至った答えに、オーエンは思わず笑ってしまった。
もしそれが本当であれば、01はあまりに常軌を逸した戦闘スキルの持ち主だということになる。
最後の一体を斬り伏せて施設に乗り込む二人。
施設内部ではソティスエスたちが未だに造られ続けている。
彼らが目覚めてしまう前にカタをつけてしまおうと、管制室に向かう。
そこにはあの男が立っていた。
ふふん、とオーエンは自慢げに告げる。
その言葉に男は眉をひそめた。
本番、という言葉に穏やかではない気配を感じる。
モノは武器を下ろしてにこやかに笑い、男に近付く。
ソティスエスが科学寄りの存在であるのなら、モノはそれに対をなす存在だ。
おとぎ話でも語り継いでいれば、対策のしようもあっただろうに。
戦争の悲惨さも、戦う痛みも、恐怖も、味わった者にしか正確なことは分からない。
言葉だけでは足りず、その危険性を明確に、確実に残さなければ忘れ去られていくだけだ。
ふと、その空間だけ凍り付いたかのように、全身が寒気立った。
その気配をオーエンはよく知っている。
過去に二人が対峙した際、モノがオーエンに対して使おうとしていた。
怯ませたことで何とか発動を阻止出来たが、正気に戻った彼女は自害してしまった。
そのため忘れるに忘れ得ぬものだった。
だが、そんなオーエンの心配を察してか、モノは振り向いて笑った。
また消えてしまうのではないかと恐ろしくなったが、その言葉には不思議と安心感があった。
可視化出来るほどの強い呪いが、鬼の角のように揺らめいている。
数え上げられる呪詛。
明らかな異質さを感じ取り、男は狼狽える。
拳銃を胸元から取り出す。
だが、男はモノに気を取られすぎて、接近していたオーエンに気付かない。
振り下ろされた刃は、簡単に拳銃を握る腕を斬り落とした。
モノの頭上に浮かび上がる、空間の裂け目。
まるで先に続く絶望を意味するかの如く虚ろで、黒かった。
空間の裂け目から伸びた幾つもの黒く、細い腕。
力を入れれば折れてしまいそうな程なのに、男は振りほどくことが出来なかった。
ミシミシと骨が軋む程の力で掴み上げられた男は、空中に浮かび上がる。
人が死後行くであろう世界を、まさか生身で。
男の顔はこれ以上にないほど驚愕に染まっていた。
それを維持するとしたら、一体どれほどの力が必要だろう。
そもそもそんなものを生み出すなど───
そんなものが、鬼という器に収まるものだろうか。
余裕そうな態度は何処へやら、見るに堪えない程泣き叫び、命乞いをする。
だが、無情にも伸びた腕は男を引きずり込み───空間の裂け目ごと姿を消した。
それと同時に、揺らめいていた角も霧散して消えた。
うんうんと頷いて自画自賛する彼女。
自らが生み出した地獄、という言葉が気になったオーエンは尋ねてみることにした。
あはは、と笑うモノ。
彼女にとっては気にするまでもない、遠い過去の話なのだろう。
"覚えているか"という言葉に、オーエンは疑問を持った。
その言い方ではまるでずっと昔から知っているようではないかと。
殺されたことが理由でないなら、何が理由なのだろうとオーエンは思案する。
ふと、モノがこちらを見た。
モノの言葉に思い当たることがあったオーエンは頷いた。
あの時はそれが人間の骨なのかどうかも分からず、可哀想と思う一心で自分なりに小さな墓を作ってあげていた。
その言葉に全てが繋がったオーエンは、目を見開いた。
両親は弟に愛情を注ぎ、家中ですら目もくれない日々。
期待を抱かないことで、それを当然だと思うことで自分の心を守ろうとした。
悲しむことにも、寂しがることにも疲れ果てていたのだ。
それでも、彼女と一緒にいる時だけは、自分の存在を確かに感じられたのだ。
存在することを許されている気がして、純粋に好意を向けてくれる彼女にだけは、閉ざした心を開いていた。
モノの顔は、まるで最愛の子供を失った母親のように、悲しみを滲ませていた。
オーエンはその怒りに不思議と同調出来た。
もし自分が逆の立場でも、絶対同じことをしただろうという確信を持てた。
その言葉にオーエンは豆鉄砲をくらったような顔をした。
そして、その顔を見たモノはドッキリが成功した子供のように、満面の笑みで嬉しさを表現した。
オーエンは顔を背けてモニョモニョと何か呟いている。
悪戯心がくすぐられたモノはニコニコ笑いながら問い詰めにかかった。
その様子は非常に仲睦まじい"きょうだい"のようだ。
一瞬モノは思考が停止した。
はつこい=初恋。
つまりそういうこと。
腹を抱えて笑うモノに対してオーエンは顔を真っ赤にしていた。
お腹痛い、と呟きつつ、滲んだ涙を指で拭うモノ。
その言葉にオーエンは高ぶった感情が一旦なりを潜め、冷静に戻った。
オーエンは絶句した。
話を聞いて薄々勘づいていたが、そこまで強い繋がりだとは思っていなかったのだ。
そう言って笑うモノの顔は、昔の面影をよく残していた。
こぼれ落ちた雫が床を濡らす。
静かに、オーエンは泣いていた。
子供のように泣き喚くわけでもなく、静かに。
だが、それでも。
それがオーエンにとっての、最大限の喜びの表現であることを知っている。
悲しい時には笑い、嬉しい時に泣く。
悲しい時に泣けないのに、感極まって涙を流す不器用さは変わらず愛おしく思える。
これでユーエンを脅かす勢力がひとつ減った。
しばらくの間は平和にいられるだろう。
平和になったメルエールの散策に胸を踊らせながら、これ以上ユーエンたちを待たせるのも悪いと、二人は足早に戻ることにした。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!