第25話

再会(マナトエフルにて)
8
2023/12/25 16:03
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
オーエン!
身体中風穴が空いて、左腕に至っては肩から持っていかれた。
絶えず血が溢れ出る。
緊張の糸が切れたことで、もはや意識を保つのもやっとなオーエンは、地面に膝をついた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
ゴホッ…申し訳ございません我が王…
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
止血するから動かないで!
ひとまず損傷の酷い部分にタオルを当てて圧迫する。
だが、すぐに血が滲んでしまい、止血どころではない。
こんな時自分の血が役に立たないのが非常に歯がゆい。
そんな時、イムが袖の中から何かを取りだした。
見てみると小さな錠剤のようだ。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
………。
口の中に入れると、オーエンはひとしきりもごもご口を動かして…渋い顔をした。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
ゔぇっ……にがぁ……っ
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
うん!味覚よし!
味覚はまだ機能しているらしい。
苦いことが分かるなら意識はまだ持ちそうだ。
苦さのせいで先程より元気が失われたような気もするが、気にしないでおこう。
薬を飲んだオーエンの肉体は、目に見えて傷口が閉じている。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
イム、これは?
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
お師匠さまが作った飲む傷薬。
貧血までは治せないけど、傷ならこれ。
超苦いのが玉に瑕。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
じゃあ、このまま安静にさせておけばいいんだね。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
うん。
こくんとイムは頷く。
ひとまずオーエンのことはイムに頼み、ユーエンは彼女に近付いた。
まだかろうじで反応はあるが、すぐにでも消えてしまいそうだ。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
(反応の薄さが異常だったから気になったんだけど…)
虚ろで、無機質な彼女の姿を思い返す。
本当に人形のようだった。
深く傷付いた彼女の肉体からはとめどなく鮮血が溢れ、流れている。
もはや回復することも出来ないのか、傷口に変わった反応は見られない。
きっと自分たちが思う以上に恐ろしく、酷い扱いを受けてきたのだと思うと、心が締め付けられる。
見た目が自分たちとそう変わらない年齢であるのも、それに拍車をかけていた。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
───素晴らしい。01オーワンを再起不能にするとは。
わざとらしい称賛が聞こえて、ユーエンはすぐに意識を切り替えた。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
そして…残念だよ、01。
お前には妹たちとは一線を画す力があると期待していたのだが。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
(妹たち…?この子には家族がいたのか?)
その言葉に彼女は応えない。
力なく横たわっている。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
どうやら期待外れだったようだ。
使えないお前に用はない。
最後の温情として妹たちと同じ末路をたどらせてやろう。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
あれは……
空を飛ぶ何かがこちらに向かってきている。
目を凝らすと、それは人の形をしていた。
おそらく彼女と同じソティスエスなのだろうが───
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
王さま、廃棄処分しに来た。
傷が塞がったからと暴れ出しそうなオーエンをがっちりホールドしながら、イムは告げる。
廃棄処分───殺すでもなく、そう告げられた事実に、彼女は"人"になりきれなかったのだと実感する。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
この子はどこまでも物扱い…なんだね。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
あいつらにとっては、そう。
身勝手に切り捨てられた彼女が哀れでならない。
どれだけ尽くしてきただろう。
理不尽な目に遭っても、きっと反抗ひとつすることもなかっただろうに。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
オーエン、勝ち目は?
ユーエンの問いに、オーエンは苦い面持ちで首を横に振った。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
一体だけならまだしも、数が多すぎます。
ファナトタイプのソティスエスを殺すことは、本来不可能に等しい。
01は目に見えて回復速度が落ちていたのと、何故か途中から回復せず戦っていたために勝てましたが……
オーエンは未来での出来事を思い返す。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
(未来では穢された王との戦いで、ソティスエスたちはその数を減らした…。激戦の末、星からのエネルギーをも使い果たしたソティスエスたちに勝ち目はなく、次々と殺されたんだ。運良く逃れられた個体もいたが、人間に食い物にされる末路をたどってしまった。)
消耗戦に持ち込まれれば、ソティスエスは星を滅ぼすことになっても戦い続けてしまう。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
ソティスエスは星からのエネルギーをも吸収し、戦い続けることが可能です。
しかし、逆に言えば星が滅びることになろうと戦い続ける。
ソティスエスとは本来、そこまで可能な者たちなのです。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
ソティスエスを傷付ける度、星の寿命を縮める…そういうことだね?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
はい。
故に塵も残さず消し飛ばす方法でしか……。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
回復さえどうにか出来れば…
対策を考えている合間にも、着実に距離を詰めてくるソティスエスたち。
ふと、横たわっていた彼女の指がピクリと動いた。
F-T 01
F-T 01
………───。
彼女が何かを呟いた瞬間、消えかかっていた反応が急激に膨れ上がった。
血反吐を吐いても、彼女は重い肉体を起こした。
F-T 01
F-T 01
まだ……私は…
頭上には輪、背中には羽。
それは赤黒く、まるで彼女がずっとひた隠しにしてきた怒りや憎悪のようにも感じられる。
必死に足掻き、生きようとする彼女の姿。
───だが、それを嘲笑うかのごとく、手足が吹き飛ぶ。
それを見たオーエンが、目を丸くした。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前…まさか不具合が……先程の戦い、回復をしなかったのではなく出来なかったのか……
F-T 01
F-T 01
…マスターが知れば、廃棄処分になると理解していました。
だから、ずっと隠していた。
怖かったのです…妹たちと同じく、廃棄処分になることが。
その不具合は、オーエンの子供にもあったものだ。
出力が上手くいかず、自傷するデメリット。
吸収は問題なく行われるが、何らかの形で出力すると回路が暴走し、肉体が損傷を受ける。
それはオーエンがよく知るところだ。
F-T 01
F-T 01
けれど…あなたが教えてくれた。
もし、このまま最大出力で迎撃すれば、彼女は塵も残さず消え去ることになるだろう。
データも残っていない彼女なら、復活は望めない。
その姿に面影がチラついて、オーエンはやめろと叫ぶ。
彼女を止めることなど出来ない───誰もがそう思っていた。
不意にユーエンの手の甲にある模様が、輝きを帯びる。
一瞬こちらも爆発するのかと背筋がヒヤッとしたが、聞き覚えのある声にその反応がどういった意味であったのかを理解した。
???
おやおや、随分と追い詰められたようで。
愉快そうだが、何処か優しさを帯びた声色。
声の主に目を向けると、そこには銀灰色の髪の女性が立っていた。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
───モノ!
ユーエンはその喜びをぶつけるように名前を呼んだ。
モノ
モノ
ふふっ、そんなに喜びを体現されるとこちらまで嬉しくなってしまいますね。
変わらない、慈愛に満ちた笑顔でモノはそこに立っていた。
が、ところどころに返り血が付着しているのは何故だろうか。
モノ
モノ
遅くなってしまいましたが、ただいま駆けつけました。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
…うん、ありがとう!
あまり深く考えないことにした。
彼女の方でも何かあったに違いない。
イムはちょっとビクついている。
おそらく誰かと見間違いしたのだろう。
その相手も十中八九想像がつく。
オーエンと言えば、唖然としすぎて声すらでないらしい。
そんな様子にモノは少し吹き出して、歩み寄っていった。
オーエンの目の前でしゃがみ込むと少し肩を揺らした。
瞳は僅かながらに暗い。
それもそうだろう。
オーエンにとっては忘れ得ぬ人なのだから。
モノ
モノ
そんなに怯えてどうしたのです?
まさか殺し損ねた化け物が恨んで化けて出たとでも?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
な…んで……あの時確かに……目の前で死んだはず……
モノ
モノ
積もるお話は落ち着いてからにしましょう。
傷付いた彼女に戦わせるのはそなたの意に反することでは?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
…無論だ。俺はまだ戦える。
モノ
モノ
それでこそ帝魔祖師ていまそしです。
その答えに満足したモノは、方向を変えて今度は目を丸くしたまま固まっている01に近付いた。
モノ
モノ
よくぞ奮い立ちました。
ですがその心は今は留めておくように。
死に急ぐのは流行りませんよ。
何より、ここでそなたが体良く殺されるのは非常に遺憾です。
モノの手のひらから放たれた光の粒子が、柔らかく彼女を包み込む。
傷口は閉じて、その温もりに眠気を誘われた彼女は気を失うように意識を手放した。
モノ
モノ
これでひとまずは大丈夫でしょう。
陛下はこの子をお願い致します。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
うん。でも…勝ち目はあるの?
01を抱きかかえたユーエンは、心配そうに尋ねる。
だが、モノは心配などこれっぽっちもないような顔で答えた。
モノ
モノ
陛下を通じて話は聞いております。
ようは吸収するエネルギーがなければよいのでしょう?
王焔、彼らが吸収するエネルギーに規則性はありませんでしたか?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
規則性?
モノ
モノ
えぇ、エネルギーと言っても種類は様々です。
死や呪いから生まれるエネルギーは、彼らにとってもよくないものなのでは?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
………!
そうか、言われてみれば確かにそうだ。
それは"鬼"であるお前だからこそ適応出来たのであって、ソティスエスたちが吸収するエネルギーではない。
エネルギーはエネルギーでも、毒になりかねない。
もし死からエネルギーを吸収出来たのなら、モノのように死体が増えるほど強化されていたはずだ。
だが、記憶している限り未来ではそのようなことはなかった。
つまり、ソティスエスにとって"鬼"───特にモノはこの上ない程の天敵となるだろう。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イムがいることで回復の速度が落ちていたように見えた。
完全に殺しきるまではいかなくとも、しばらくは時間を稼げるはず。
モノ
モノ
こんなことをしでかしたド畜生には、地獄というものを味わってもらわねばなりませんね。
魂焚たまくべに処します。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イム、援護は頼んだぞ。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
………。
イムは頷き、戦闘態勢に入った。
モノ
モノ
こうしてそなたと肩を並べて戦う日が来ようとは…感慨深いですね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
そうだな。
殺し合ったあの時が嘘のように思える。
モノ
モノ
あれはアレですアレ、コラテラルダメージ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
なんの?
モノ
モノ
そなたの精神分析(物理)は中々に痛烈でしたね。
おかげで正気に戻れましたが。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
もしかしてゲームか何かの話か?
モノ
モノ
私、ずっと楽しみにしておったのです。
そなたとこうして共に戦える日を。
あの日の出来事はそなたの心に棘を残してしまったかもしれません。
ですが、あの出来事がなければ、こんな日も訪れなかったはず。
決して、無駄ではなかった。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
…無駄ではなかった、か。
その言葉に、オーエンは何処か憑き物が落ちたような、晴れやかな笑みを浮かべていた。
モノ
モノ
さ、早々に片付けて宴会でもやりましょう。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
いいな、飲み比べでもしてみるか?
モノ
モノ
こう見えて結構強いですからね、私。
退屈はさせませんよ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
それは楽しみだな。
互いに笑みを浮かべる。
その瞳は、美しい夕景のように輝いていた。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
射程圏内。
イムは弓を引き絞り、狙いを定める。
放たれた矢はいくつにも分かれて、ソティスエスたちに襲いかかった。
ソティスエスは高速で空中を飛び回ることが可能で、戦い方も空中戦が主体である。
それ故に地上から狙うには分が悪い。
しかし、イムの弓術ならば空にいるソティスエスを地上に撃ち落とすことは容易だ。
01のように卓越した戦闘スキルを持ち合わせている様子でもない。
それを合図に、オーエンたちは地上に落とされたソティスエスたちとの戦闘を開始した。
───推測通り、モノの放つ死のエネルギーや呪いに、ソティスエスたちは翻弄されていた。
それらに邪魔されてエネルギーの吸収もままならず、一人二人と地面に伏していく。
モノは自分を"道士"でもあると言っていたが、オーエンに引け劣らず、ソティスエスを斬り捨てていく。
ふと、その太刀筋が01のものと非常に似ていることに気付いた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前は01と戦ったことがあるのか?
モノ
モノ
いえ、彼女と出会ったのは今日が初めてですよ。
気になることでもありましたか?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
(01の反応を見るに互いに初対面だと考えるべきか…。と、いうことは…)
思い至った答えに、オーエンは思わず笑ってしまった。
もしそれが本当であれば、01はあまりに常軌を逸した戦闘スキルの持ち主だということになる。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
いや…01と戦っていた時、お前と非常に似た太刀筋に切り替わっていた。
俺が苦手としていることを僅かな動きから読み取ったんだろう。
それをあんな短期間で組み立てるとは思わなんだ。
モノ
モノ
まさに自律型戦闘兵器に相応しいですね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
くそう、最後までやりたかった……!
モノ
モノ
互いに本調子ではなかった、ということで。
無事ならばいつかまたそういったことも出来るようになりますよ。
最後の一体を斬り伏せて施設に乗り込む二人。
施設内部ではソティスエスたちが未だに造られ続けている。
彼らが目覚めてしまう前にカタをつけてしまおうと、管制室に向かう。
そこにはあの男が立っていた。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
番狂わせだ。
私の最高傑作がこうも悉く敗れるとは…
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
それはそうだろう。
何しろ俺が生涯で唯一戦って勝てなかった相手だからな。
ふふん、とオーエンは自慢げに告げる。
その言葉に男は眉をひそめた。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
君のような化け物ですら、敵わなかった化け物がいるだと?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
俺とて最強なわけではない。
師匠とか今でも勝てる気がしないし。
今まではまぁ、俺の方が運も実力も勝っていたというだけだろう。
モノ
モノ
"進化"というのはきっかけがないと中々発揮されないものですからね。
ルドヴァニアは自らの命を危機に晒すことで、進化を続けてきたのです。
戦うことを放棄し、任せてきたそなたには分からぬことでしょうが。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
何故争う必要があるのか、私にはそちらの方が理解出来んがね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
肉体言語の方がずっと分かりやすいからだぞ。
貴様らは建前が多すぎて面倒臭い。
どれだけ欲深くても正直者ならいっそ好感が持てるというもの。
俺たちは社交性がないからな、素直に簡潔に伝えてもらわねば分からん。
具体的に言えば生きたいか死にたいか選べ。
命乞いは興味がないからいらん。
モノ
モノ
人間一度死んでからが本番ですよ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前が言うとシャレにならないな…。
本番、という言葉に穏やかではない気配を感じる。
モノ
モノ
まぁ、雑談はさておき答え合わせでもしましょうか。
モノは武器を下ろしてにこやかに笑い、男に近付く。
モノ
モノ
ソティスエスが何故敵わなかったのか。
それは私が"鬼"だからです。
かつて人間が恐れた闇、その先にある恐怖。
ソティスエスが科学寄りの存在であるのなら、モノはそれに対をなす存在だ。
おとぎ話でも語り継いでいれば、対策のしようもあっただろうに。
モノ
モノ
文明が発達してからは暗闇が少なくなり、人々は恐れを忘れてしまいました。
私は"未知"ではない。
そなたたちが"忘却"したのです。
そうして危険を、恐怖を排除する度に、一つ、また一つ忘れていく。
戦争の悲惨さも、戦う痛みも、恐怖も、味わった者にしか正確なことは分からない。
言葉だけでは足りず、その危険性を明確に、確実に残さなければ忘れ去られていくだけだ。
モノ
モノ
それでも変わらぬ恐怖はそこにある。
忘れたのならば再び思い出させて差し上げましょう。
ふと、その空間だけ凍り付いたかのように、全身が寒気立った。
その気配をオーエンはよく知っている。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
(この気配はあの時の───)
過去に二人が対峙した際、モノがオーエンに対して使おうとしていた。
怯ませたことで何とか発動を阻止出来たが、正気に戻った彼女は自害してしまった。
そのため忘れるに忘れ得ぬものだった。
だが、そんなオーエンの心配を察してか、モノは振り向いて笑った。
モノ
モノ
大丈夫。大丈夫ですよ、私は正気です。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
…………ああ。
また消えてしまうのではないかと恐ろしくなったが、その言葉には不思議と安心感があった。
可視化出来るほどの強い呪いが、鬼の角のように揺らめいている。
モノ
モノ
『焚べよ。命を穢すものなど。』
数え上げられる呪詛。
明らかな異質さを感じ取り、男は狼狽える。
モノ
モノ
『焚べよ。罪を感じぬものなど。』
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
くそっ、何だ…!?
拳銃を胸元から取り出す。
だが、男はモノに気を取られすぎて、接近していたオーエンに気付かない。
振り下ろされた刃は、簡単に拳銃を握る腕を斬り落とした。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
があああッ!?あ、あぁ!?
うでッ腕がアアアッ!!!
モノ
モノ
『焚べよ。安寧を乱すものなど。』
モノの頭上に浮かび上がる、空間の裂け目。
まるで先に続く絶望を意味するかの如く虚ろで、黒かった。
モノ
モノ
『心を持たぬ成り損ないに、救い無し。』
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
やめろやめろやめろおおお!!!
空間の裂け目から伸びた幾つもの黒く、細い腕。
力を入れれば折れてしまいそうな程なのに、男は振りほどくことが出来なかった。
ミシミシと骨が軋む程の力で掴み上げられた男は、空中に浮かび上がる。
モノ
モノ
これは私が生み出した地獄。
救い無き魂が最期に行き着く場所。
たかだか一度の死で私の怒りが消えるとでも?
絶望などされて諦めてしまっては面白くありません。
そなたは希望を失えぬまま、悠久の苦しみを味わうのです。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
じ……地獄…だと…!?
人が死後行くであろう世界を、まさか生身で。
男の顔はこれ以上にないほど驚愕に染まっていた。
それを維持するとしたら、一体どれほどの力が必要だろう。
そもそもそんなものを生み出すなど───
モノ
モノ
罪も咎も、やがては全て無に還すでしょう。
私の地獄に次は無い。
存分に泣き叫び、私を憎みなさい。
それこそが私を生かす糧となる。
そんなものが、鬼という器に収まるものだろうか。
余裕そうな態度は何処へやら、見るに堪えない程泣き叫び、命乞いをする。
だが、無情にも伸びた腕は男を引きずり込み───空間の裂け目ごと姿を消した。
それと同時に、揺らめいていた角も霧散して消えた。
モノ
モノ
ふふっ、我ながらかっこよく決まったのではないでしょうか。
うんうんと頷いて自画自賛する彼女。
自らが生み出した地獄、という言葉が気になったオーエンは尋ねてみることにした。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
さっきのは何なんだ?
モノ
モノ
魂焚べです。
禁術故、使うことはあまりありませんがね。
私は鬼なので、負の感情がなければ存在出来ません。
魂焚べは文字通り、魂に苦痛を与えて"薪"として焚べる行為なのです。
そうすることによって半永久的にエネルギーを搾取で…得られる、というわけですね。
薪なので最後には消えてなくなります。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
さすがというかなんと言うか…よく思いついたな、そんなもの。
モノ
モノ
あれが再び世に解き放たれると思うと、安心して眠れないでしょう?
どうせ救いの無い魂です、最期くらいは役に立ってもらわねば。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
まぁ…それもそうか。
その地獄というのはどんなものなんだ?
モノ
モノ
その者が最もトラウマとするものや事象を味合わせます。
様々なバリエーションを用意して飽きないような工夫も施していますよ。
さらに苦痛を倍増させる呪いも付与したりして。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
うーん、この上ない程嬉しくないサービス。
呵責という救済措置を完全に放棄した、ただ苦痛を与えるためだけのものなんだな。
モノ
モノ
はい。
それによって救われるでもなく、待つのは消滅。
形を保てずに消えて行くだけ。
それ故に禁術なのです。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
食らったのが俺でなくて心底安堵してるよ。
モノ
モノ
あの時は洒落にならないくらい怒り狂ってましたからねぇ。
あはは、と笑うモノ。
彼女にとっては気にするまでもない、遠い過去の話なのだろう。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
…お前は、どうして堕ちた?
何がお前を鬼にさせた?
モノ
モノ
そなたは私がどうやって死んだか、覚えていますか?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
覚えて……?
"覚えているか"という言葉に、オーエンは疑問を持った。
その言い方ではまるでずっと昔から知っているようではないかと。
モノ
モノ
私はね、産まれたその日に土に埋められて殺されたのです。
赤い瞳を持って産まれた女児だったから。
気味悪がって、利用価値のない私は殺された。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前はそれを恨んだのか?
モノ
モノ
いいえ?私はそれを知らなかった。
外を見たこともなければ親の顔もろくに知らない。
何しろ目が開く前の話です。
ただ、寒くて、暗くて、すごく寂しかったことだけは覚えています。
何故自分だけがそこにいるのか、何故誰もいないのか、それだけを考える毎日でした。
殺されたことが理由でないなら、何が理由なのだろうとオーエンは思案する。
ふと、モノがこちらを見た。
モノ
モノ
そんな私を見つけてくれたのが、そなただったのですよ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
…俺?
モノ
モノ
えぇ。そなたは暗い洞窟の中に埋められていた骨を見つけたでしょう?
モノの言葉に思い当たることがあったオーエンは頷いた。
あの時はそれが人間の骨なのかどうかも分からず、可哀想と思う一心で自分なりに小さな墓を作ってあげていた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
あぁ…そんなこともあったな。
人の骨だとも思わず、可哀想だと墓を作ったんだ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
そうか…あれはお前だったか。
モノ
モノ
その時の私はあまりに希薄すぎて、そなたの目にも映らなかった。
けれど、見つけてもらえたことが嬉しくて、私はそなたの力になれないものかといろいろと学び始めたのです。
顔を合わせた日のことを覚えているでしょうか。
あの時のそなたは鏡から自分が出てきたのではないかと驚いていた様子でしたね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
……!
その言葉に全てが繋がったオーエンは、目を見開いた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前が…世話をしてくれていたのか。
何一つおぼつかない俺のために。
モノ
モノ
母にも父にも見向きされないそなたですから、放っておけば飢えて死んでしまうのではないかと思ったのです。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
…懐かしい。怪我をして泣きそうになっていた時は、お前が処置を教えてくれた。
寂しい時はいつだって襖の間から笑顔を覗かせて、遊んでくれたな。
両親は弟に愛情を注ぎ、家中ですら目もくれない日々。
期待を抱かないことで、それを当然だと思うことで自分の心を守ろうとした。
悲しむことにも、寂しがることにも疲れ果てていたのだ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前とすごしたあの時間だけは、確かに幸せを感じていたよ。
それでも、彼女と一緒にいる時だけは、自分の存在を確かに感じられたのだ。
存在することを許されている気がして、純粋に好意を向けてくれる彼女にだけは、閉ざした心を開いていた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
王の仰る通り、お前はずっと見守ってくれていたんだな。姿が見えなくなっても、ずっと。
モノ
モノ
そうですね。
それだけが私の望みでした。
生きて、幸せになってほしい。
そのためならばどれほど苦しむことになろうと後悔はない。
モノ
モノ
死んだ私にとって、そなたは希望であり…私が人間であるという、最後の楔だった。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
では…お前は俺のせいで鬼に堕ちたと?
モノ
モノ
いいえ、そなたのせいではないのです。
私が荒れ狂った原因は、北之神きたのかみにあった。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
父や母、家臣たちか?
モノ
モノ
ええ。そなたは戦場にて化け物に襲われ、家臣や兵士たちを逃がすために一人戦いましたね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
ああ。元は弟に仕えるべき者たちだった。
死なせるべきではないと助けた。
モノ
モノ
それ以来、そなたは北之神には近寄らずにいたので、その後のことを知る由もないでしょう。
モノの顔は、まるで最愛の子供を失った母親のように、悲しみを滲ませていた。
モノ
モノ
家臣たちを逃がし、一人戦っていることを知った私は、必死に探し回ったのです。
戦場跡地で、そなたの姿を。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
だが、見つからなかった。
モノ
モノ
その通りです。
そこに残っていたのは当時そなたが使っていた籠手こてだけ。
無惨に荒らされた死体を見て、私はそなたが死んでしまったのではないかと恐ろしくなった。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
そうだったのか……。
あの籠手が化け物の恐ろしい爪から守ってくれたんだ。
けれどお前は、俺が化け物に喰われてしまったのではないかと思ったんだな。
モノ
モノ
決め付けるには早計でしたが、冷静さを欠いていたもので。
私はそのまま戻りました。
その時に知ってしまったのです。
誰一人、そなたに感謝などしていないことを。
そなたが犠牲になるのは当然だと、言わんばかりに。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
…忌み子だから、か。
モノ
モノ
はい。
そなたが作ってくれた墓も、無惨に破壊されました。
私から命だけでなく、全てを奪っていったあれらを、出来るだけ苦しめて殺そうと、一度の死で終わらせてなるものかと───そうして鬼道を学び、生み出されたのが魂焚べです。
オーエンはその怒りに不思議と同調出来た。
もし自分が逆の立場でも、絶対同じことをしただろうという確信を持てた。
モノ
モノ
北之神を滅ぼす鬼として、その魂を堕とした私は、女子供関係なく、気の赴くまま殺戮し、地獄へと引きずり込みました。
けれどそれでも収まらなかった。
憎悪は膨れ上がるばかりで。
モノ
モノ
やがて───"一人足りない"。
そのことに、私は気付いてしまった。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
最後の血筋である、俺のことを…。
モノ
モノ
そう。
本来は守るべきそなたを…守りたかったそなたを、私は荒れ狂うあまり"北之神滅ぼすべきもの"として、認識してしまったのです。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
だからお前と出会ったあの時、襲いかかってきたんだな。
そうして、魂焚べを発動しようとした。
モノ
モノ
私には、そなたが認識出来なかった。
魂焚べは阻止され、私は正気に戻った。
あの時はそう…同士討ちを狙っていましたね。
誰よりも勇敢で、生きようとする姿に、私の意識は僅かながらに向いた。
それで、そなただと分かったのです。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
だが、お前はその後…
モノ
モノ
はい、知っての通り自害しました。
モノ
モノ
もっとも、私の肉体は元々、魂が持つ強い感情が結晶化したものですので、しようと思えばすぐに復活出来てしまうのです。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
は……?
その言葉にオーエンは豆鉄砲をくらったような顔をした。
そして、その顔を見たモノはドッキリが成功した子供のように、満面の笑みで嬉しさを表現した。
モノ
モノ
ふふっ、驚きましたか?驚きましたね?
そう、その顔が見たかったのです。
思い出してもみてください、そなたと初めて出会った時には既に死んでおるのですよ?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
だ…だとしてもだな…!?
やるにしてももう少し心臓に優しいドッキリを仕掛けてくれ!
モノ
モノ
鬼ですから脅かしてなんぼですよ。
そなたは私の事となると冷静さを欠きますね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
それは……
オーエンは顔を背けてモニョモニョと何か呟いている。
悪戯心S心がくすぐられたモノはニコニコ笑いながら問い詰めにかかった。
その様子は非常に仲睦まじい"きょうだい"のようだ。
モノ
モノ
それは、どうしたんです?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
だって…初恋の相手…だったから……
モノ
モノ
はつこい。
一瞬モノは思考が停止した。
はつこい=初恋。
つまりそういうこと。
モノ
モノ
ふ…ふふっ、あっはははは!
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
あーもう、だから言いたくなかったんだ!
モノ
モノ
初恋!そなたが私に!
どうして、笑わずにはいられませんよ!
腹を抱えて笑うモノに対してオーエンは顔を真っ赤にしていた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前が死んでからさぁずーっと心の中が空っぽになった気分だったんだぞ!
四六時中お前のことが頭から離れなくて、挙げ句の果てに師匠にわりとマジで(頭の)心配されたんだからな!
モノ
モノ
ふ、ふふふ、それはそれは。
はぁ、生涯でここまで笑ったのは初めてかもしれません。
お腹痛い、と呟きつつ、滲んだ涙を指で拭うモノ。
モノ
モノ
ですが、それは初恋ではないと断言しておきましょう。
そなたには可愛らしい奥様がいたでしょう?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
そ、それはそう…お前も王と同じことを言うんだな。
モノ
モノ
えぇ。
だってそれの正体を知ってますもん、私。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
ずるい、ずるいぞ。俺にも教えろ。
モノ
モノ
私がどうしてそなたを目にかけていたか、知っていますか?
その言葉にオーエンは高ぶった感情が一旦なりを潜め、冷静に戻った。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
それは…確かに。
俺はお前を見つけたが、それだけ…なはずだろう。
モノ
モノ
そうですね。
私にはそれはもう可愛らしい双子の兄弟がいました。
目に入れても痛くないと言えるほど、私は彼を大切に思っていたのです。
双子で忌み子、死んだ私には、彼が生きていることこそ全てでした。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前が殺されることは、決まっていたことだったのか。
モノ
モノ
はい。何しろ利用価値がないものですから。
その子供はかつての私と同じ赤毛混じりの黒い髪でした。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
赤毛混じりの黒髪……
モノ
モノ
名前は、王焔オーエン。王に焔と書いて、王焔。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
………。
オーエンは絶句した。
話を聞いて薄々勘づいていたが、そこまで強い繋がりだとは思っていなかったのだ。
モノ
モノ
そなたが感じた胸の高鳴りは、唯一残った肉親と再会したが故のもの。
欠けたものが戻ったからこそ感じたものだったのです。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
何故…それを黙っていた?
モノ
モノ
それを知れば、心優しいそなたは私の隣に残ることを選ぶでしょう?
私はただ、自由に生きているそなたを見守りたかっただけ。
私という存在に縛られてほしくはなかったのです。
今まではね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
今までは?
モノ
モノ
はい。今は自由に動ける肉体も手に入れたので、黙っている必要はないかなと思いまして。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
そうだったのか…。
すまない、そうと気付かず俺は…
モノ
モノ
ふふっ、何をそんな悲しむことがありましょうか。
数千年の時間など、そなたが生きておることに比べたら詮無きことですよ。
私とて、常に孤独だったわけではありませんから。
そう言って笑うモノの顔は、昔の面影をよく残していた。
こぼれ落ちた雫が床を濡らす。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
はは…いかんなぁ。
今世の俺は涙脆くなったらしい。
静かに、オーエンは泣いていた。
子供のように泣き喚くわけでもなく、静かに。
モノ
モノ
そうですね、そういうことにしておきましょう。
だが、それでも。
それがオーエンにとっての、最大限の喜びの表現であることを知っている。
悲しい時には笑い、嬉しい時に泣く。
悲しい時に泣けないのに、感極まって涙を流す不器用さは変わらず愛おしく思える。
モノ
モノ
戻りましょうか。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
あぁ、そうだな。
これでユーエンを脅かす勢力がひとつ減った。
しばらくの間は平和にいられるだろう。
平和になったメルエールの散策に胸を踊らせながら、これ以上ユーエンたちを待たせるのも悪いと、二人は足早に戻ることにした。

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