遠くから手を振ってやって来た二人に、ユーエンは目を輝かせた。
喜びを噛み締める二人に、ユーエンは首を傾げる。
キメ顔で告げるモノ。
地獄ってあの…?と、頭上にはてなマークを浮かべるユーエンだったが、本当に片がついたのだということだけは理解出来た。
片割れ故か、はたまた鬼であるが故か。
お酒に思いを馳せながらモノは姿を消した。
見ない間に随分と仲良くなったな…とユーエンは二人のわだかまりがとけたことを素直に喜んだ。
イムに尻尾があろうものなら、それはもう荒ぶっていただろう。
分かりやすく喜びを表現するイム。
ユーエンがそう告げると、イムはフルフルと首を横に振った。
フードの下から覗く顔は、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
また乙女ゲームでも始まったのかと錯覚しそうだ。
イムもまた頷き、その場から姿を消した。
ユーエンは01を抱きかかえて立ち上がる。
その瞬間、ユーエンは腹の底から迫り上がるような悪寒を感じた。
オーエンの背後には、自分とよく似たあの影が。
叩きつけるように叫ぶユーエンと、表情から察して刀を抜こうとするオーエン、どちらが早かっただろうか。
だが、オーエンはその刀を振るわなかった。
───抜けなかったのだ。
その言葉をようやく聞き取れたと思いきや、それはやはりどこまでいっても狂っているらしい。
ノイズ混じりの言葉だが、聞くに堪えない言葉の羅列に、ユーエンは顔をしかめる。
白い指先がオーエンに伸びる。
だが、オーエンはその手を払い除けた。
友として。
オーエンからそんな言葉を聞くのは初めてだった。
そしてオーエン自身も、近臣となって以来こうして接するのは初めてとなる。
それが叶わなかったから、かつてのユーエンは死んだのだ。
本心を言うのなら、責務など放棄して好きに生きてほしかった。
オーエンは力なく笑う。
ユーエンが自害したあの日の出来事は、昨日のように鮮明に思い出せる。
オーエン自身、あの戦いでは死力を尽くし、そして目的は達せられたために悔いはなかった。
それがユーエンが望んだ、残された希望であったがために。
殺してしまった贖罪はあった。
襲いかかってきた大半の人間は踊らされただけに過ぎないと知っていた。
だが、それだけを理由に後を追って死んだのかと言われれば、そうではない。
理解者のいない世界に、居場所などないと知っていた。
だからこそ、互いに理解者であったユーエンの後を追ったのだ。
死んだからといって、確実に同じ場所で会えるわけでもないが、それでもユーエンをひとりにはしたくなかった。
何より、自分が孤独に戻りたくなかったのだろう。
少なくとも、オーエン自身はそう思っていた。
様子が一変し、荒れ狂うユーエンに似た何か。
オーエンは裾から素早く取り出した小刀を投げ付け、飛び退いて距離を取った。
ユーエンが声を上げる。
模倣体には、投げたはずの小刀が刺さっていたのだ。
ユーエンの能力が残っているのなら、飛び道具として弾かれていた。
いや、あるいはこちらに向かって飛んできたかもしれない。
オーエンの記憶ではあの姿になっても能力が残っていた。
そのことを考えると、偽物であると断定出来る。
不気味な蒼い瞳が、ユーエンを向いた。
その瞬間、ユーエンの胸部を貫くように、槍のような何かが突き刺さる。
痛みより先に感じたのは、別の何かが自分の意識を塗り替えていくような感覚だった。
オーエンが叫ぶ。
突き刺さった槍のような何かは霧散して消えたが、ユーエンは酷く苦しそうに呻いている。
ふと、ユーエンが不思議そうな声を上げた。
その声にオーエンの動きがぴたりと止まる。
意識を塗り替えていく気持ち悪さはすっかり消えて、閉じかけの傷が痛むばかり。
これには思わず模倣体も困惑していた。
ふと、オーエンは閃く。
あまりのファインプレー。
親指を立ててドヤ顔するイムの顔が目に浮かぶようだ。
ユーエンが苦しみ出した時は肝が冷えると同時に最悪の事態を覚悟したが、そうならなかったことにオーエンは安堵の息を吐いた。
しかし、問題はまだ残っている。
目の前の模倣体についてだ。
ソティスエス同様に消し飛ばすほどの力がなければ、どこかでまた復活してしまいかねない。
放置して消えるにしても、何かを感染させかねないため、どの道放っておくことは出来ないだろう。
だが、ユーエンを気にしながら戦うとなると───そんな思考を巡らせて歯噛みしていた、その時だった。
聞き覚えのある凛とした声。
目を向けると、そこには淡く光る大剣を携えた人物が立っていた。
そう、そこにはシュピルニカから離れられないはずのイルハーツが立っていたのだ。
携えていた大剣の光が、強さを増していく。
模倣体から放たれたウイルスの弾は、イルハーツに着弾する前に燃え尽きて消えていく。
イルハーツが大剣を振るう瞬間、焼け付くような光が周囲を満たした。
ユーエンとオーエンはあまりの眩しさに腕で顔を覆う。
それはまるで、大地を焼く太陽のような。
超高出力で放たれたエネルギーは、燦然たる輝きを放ち模倣体をいとも容易く飲み込んでいった。
空を見上げながらイルハーツは寂しそうに呟いた。
塵も残さず消えた模倣体。
満ちていたおぞましい気配も、消えてなくなった。
ぱたぱた駆け寄ってきたオーエンに、イルハーツは視線を向ける。
続けて01を抱きかかえたユーエンを見て無事を確かめると、笑顔で頷いた。
その言葉にオーエンは沈痛な表情を浮かべる。
オーエンはほっと胸を撫で下ろした。
命大事に、と後ろからユーエンの声がかかる。
不思議そうに首を傾げるイルハーツ。
オーエンは自分の師匠が闢依斉君と同一人物であることを知らない。
そのためイルハーツを口説く相手が増えたと思っている。
イルハーツがそう答えると、二人はパッと笑顔を咲かせた。
自覚はないだろうが、よく似ている二人だと、イルハーツは笑う。
去り際に見えたイルハーツの表情は、無邪気な子供のようだった。
どうやらイルハーツは"食"に興味があるようだ。
帰りを今か今かと心待ちにしているであろう彼らの顔を思い浮かべ、二人はメルエールへと戻ることにした。
こうして、ユーエンの陰りが一つ消えた。
完全に平和になったとは言い難いが、それでもしばらくの間は平穏な日々を憂いなく満喫出来るだろう。
メルエールに戻ると、待機していた仲間たちが大勢で出迎えてくれた。
民間人たちは脅威にならないと判断し、破壊してしまった船の修理を終えてから帰すそうだ。
味方側にも大きな損害はなく、こうして戦争は幕を閉じた。
メルエールに戻ったオーエンは、失血のため緊張によって保っていた意識が切れて、その後三日間泥のように眠ることになった。
イルハーツは異常を感じ取り、目を開いた。
シュピルニカの泉の周りには埋めつくさんばかりに美しい花が咲き誇っている。
しょも…とあからさまに落ち込むのは、イルハーツに会いに来た闢依斉君。
叱られた子犬のように、とてもしょんぼりしている。
闢依斉君は裾から一枚の紙を取り出した。
どうやらお手製の外出許可証のようで、可愛い文字には似合わない判子が押されている。
その紙一枚で抑制出来るのも大したものだが、やはり彼女は身内にとことん甘い。
子供相手に紙切れ一枚で大人しく言うことを聞く闢依斉君の姿を信者たちが見たらどう思うだろうか。
闢依斉君は紙をしまい、悩ましげにまゆをひそめる。
何でもないふうに告げる闢依斉君に、イルハーツからの、何とも言えない視線。
深く考えないようにしよう、とイルハーツはその問答をやめることにした。
事実顔はいい、顔は。
随分と素直な闢依斉君の様子に、イルハーツは違和感を覚えた。
珍しいこともあるものだな、とひとまず話を聞くことにした。
闢依斉君は写真を取り出し、イルハーツに渡す。
写真に写っていたのは、赤毛混じりの金髪の美しい女性だった。
獣のようなふわふわの耳に、大きく裂けた尻尾。
一度だけ見せてもらった闢依斉君の尻尾に少し似ている気がするが、先だけ二又なのに対して、彼女の尻尾は根元近くから分かれているように見える。
天使のように頭上に輝く金色の輪と、トンボのような羽。
凛々しくも何処か憂いを帯びた表情は、もはや芸術的価値を生み出している…気がする。
闢依斉君が美しい、自慢したいと言うのも頷ける話だった。
まじまじと見て、ふと何処かで見たことがあるような、という既視感を感じた。
彼女によく似た誰かを、最近見た気がする。
何ならさっき。
イルハーツはふと、ユーエンが抱きかかえていた少女のことを思い出した。
耳も尻尾も、写真に写っている彼女と同じだったはず、と。
そう、ただ何となく思った。
闢依斉君はポカンとした後、ニンマリと笑った。
分かりやすく上機嫌になる闢依斉君。
彼女の可愛い可愛い見張り係が許可するかは分からないが、まぁ祭りの参加くらいならば問題はないだろう。
ウキウキで出て行く闢依斉君を見送り、イルハーツは催し物について想像を膨らませて、時間が経つのを待つことにした。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。