第26話

精霊(マナトエフルにて)
11
2024/03/02 02:49
モノ
モノ
陛下〜、終わりましたよ〜。
遠くから手を振ってやって来た二人に、ユーエンは目を輝かせた。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
二人ともお帰りなさい!無事でよかった…!
モノ
モノ
…お帰りと言ってくれる相手がいるのはよいことですね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
俺と全く同じことを言ってるが、激しく同意する。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
ねぇ、なんでまたそんな顔してるの…?
喜びを噛み締める二人に、ユーエンは首を傾げる。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
ともあれこれで終わりですね。
残ったソティスエスたちは指揮者がいなくなったため、しばらくは休止状態に入るかと。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
あの男は?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
モノが地獄に引きずり込みました。
モノ
モノ
私がやりました、後悔は全くしていない。
キメ顔で告げるモノ。
地獄ってあの…?と、頭上にはてなマークを浮かべるユーエンだったが、本当に片がついたのだということだけは理解出来た。
モノ
モノ
とはいえ、私も消耗が激しいので、一足先に戻り休まさせていただきますね。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
うん、ありがとうモノ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前がいなければ勝つことは出来なかっただろう。本当に助かった。
モノ
モノ
ふふっ、礼は感謝だけで充分です。
…と言いたいところですが、わがままを一つ言うならお酒が欲しいところですね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
伯父上たちに頼んで用意してもらうよ。
ちゃんと来るんだぞ。
モノ
モノ
それはそれは。今から楽しみですね。
片割れ故か、はたまた鬼であるが故か。
お酒に思いを馳せながらモノは姿を消した。
見ない間に随分と仲良くなったな…とユーエンは二人のわだかまりがとけたことを素直に喜んだ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イムもありがとう。
やはりお前は最高の好適手だな。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
……?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
うんうん取り消す取り消す。
今度いっぱい死合おうな。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
……!
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
今のやり取りは何となく分かったよ…。
イムに尻尾があろうものなら、それはもう荒ぶっていただろう。
分かりやすく喜びを表現するイム。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
お前はどうする?
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
………。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
師匠の様子を見に戻るのか。分かった。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
イムも協力してくれてありがとう。
巻き込んじゃったみたいで申し訳ないけど…。
ユーエンがそう告げると、イムはフルフルと首を横に振った。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
化け物狩りは仲間を見捨てない。
君が笑顔なら、僕も嬉しい。
フードの下から覗く顔は、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
また乙女ゲームでも始まったのかと錯覚しそうだ。
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
それじゃあ、また後で。
美味しいものいっぱい食べに来る。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
ああ、師匠にもよろしく頼む。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
あっ、お世話になりましたとも伝えておいてくれる?
イム・エシュトゥーラ
イム・エシュトゥーラ
ん。
イムもまた頷き、その場から姿を消した。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
さて、我々も戻りましょうか。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
そうだね。
この子は…どうしようか?
一旦連れて帰る?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
そうですね。
ソティスエスの今後の方針も相談したいですし、それがよいかと。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
それじゃあ一度連れて帰ろうか。
ユーエンは01を抱きかかえて立ち上がる。
その瞬間、ユーエンは腹の底から迫り上がるような悪寒を感じた。
オーエンの背後には、自分とよく似たあの影が。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
オーエン後ろ!!!
叩きつけるように叫ぶユーエンと、表情から察して刀を抜こうとするオーエン、どちらが早かっただろうか。
だが、オーエンはその刀を振るわなかった。
───抜けなかったのだ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
王……?
████
████
……して
その言葉をようやく聞き取れたと思いきや、それはやはりどこまでいっても狂っているらしい。
████
████
どうして僕を置いていくの?いつまでも一緒にいてくれるって約束したのに、ねぇ置いていかないで独りにしないで僕このままだと消えちゃうんだよお願い助けてよ
ノイズ混じりの言葉だが、聞くに堪えない言葉の羅列に、ユーエンは顔をしかめる。
████
████
君の理解者は僕しかいないでしょ僕が唯一なのにどうしてどうしてどうシて
白い指先がオーエンに伸びる。
だが、オーエンはその手を払い除けた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
───もし、君が本当にユーエンならば
俺は近臣としてではなく、友として告げねばならない。
友として。
オーエンからそんな言葉を聞くのは初めてだった。
そしてオーエン自身も、近臣となって以来こうして接するのは初めてとなる。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
俺は君のことをよく知っている。
生きたいと思うのは心からの願いだろう。
そう思っているのなら俺はとても嬉しいよ。
それが叶わなかったから、かつてのユーエンは死んだのだ。
本心を言うのなら、責務など放棄して好きに生きてほしかった。
オーエンは力なく笑う。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
だが、君は出来ない。
自分だけ生き残ることは選べない。
それが選べたなら、あの日自害することなどなかったはずだ。
そんな状況になって生き続けられるほど、君は心無い者ではないだろう。
誰かの未来を案じた時、君は必ず死に向かおうとする。
ユーエンが自害したあの日の出来事は、昨日のように鮮明に思い出せる。
オーエン自身、あの戦いでは死力を尽くし、そして目的は達せられたために悔いはなかった。
それがユーエンが望んだ、残された希望であったがために。
殺してしまった贖罪はあった。
襲いかかってきた大半の人間は踊らされただけに過ぎないと知っていた。
だが、それだけを理由に後を追って死んだのかと言われれば、そうではない。
理解者のいない世界に、居場所などないと知っていた。
だからこそ、互いに理解者であったユーエンの後を追ったのだ。
死んだからといって、確実に同じ場所で会えるわけでもないが、それでもユーエンをひとりにはしたくなかった。
何より、自分が孤独に戻りたくなかったのだろう。
少なくとも、オーエン自身はそう思っていた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
そんな君だから、そうなってまで生きて何かを破壊することなど、望んではいないだろう。
████
████
違う───違うちがう消エたくない!!!
様子が一変し、荒れ狂うユーエンに似た何か。
オーエンは裾から素早く取り出した小刀を投げ付け、飛び退いて距離を取った。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
…やはり、お前は違ったか。
████
████
ああぁァ───どうして…キミは僕のミカタなのに…
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
いや、お前は違う。
お前は模倣してなりきるだけの別人だ。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
あっ……!
ユーエンが声を上げる。
模倣体には、投げたはずの小刀が刺さっていたのだ。
ユーエンの能力が残っているのなら、飛び道具として弾かれていた。
いや、あるいはこちらに向かって飛んできたかもしれない。
オーエンの記憶ではあの姿になっても能力が残っていた。
そのことを考えると、偽物であると断定出来る。
████
████
嫌だ嫌だイやだせっかく───せっかくニげてキたのに
不気味な蒼い瞳が、ユーエンを向いた。
その瞬間、ユーエンの胸部を貫くように、槍のような何かが突き刺さる。
痛みより先に感じたのは、別の何かが自分の意識を塗り替えていくような感覚だった。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
王!!!
オーエンが叫ぶ。
突き刺さった槍のような何かは霧散して消えたが、ユーエンは酷く苦しそうに呻いている。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
ゲホッ…
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
…あ…あれ?
ふと、ユーエンが不思議そうな声を上げた。
その声にオーエンの動きがぴたりと止まる。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
何ともなくなっちゃった…
意識を塗り替えていく気持ち悪さはすっかり消えて、閉じかけの傷が痛むばかり。
これには思わず模倣体も困惑していた。
ふと、オーエンは閃く。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イムにもらった抗体薬…!
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
あっ!そういえば!
あまりのファインプレー。
親指を立ててドヤ顔するイムの顔が目に浮かぶようだ。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
(まさかイムの摩訶不思議体質が役に立つとは…人生何があるか分かったものではないな。)
ユーエンが苦しみ出した時は肝が冷えると同時に最悪の事態を覚悟したが、そうならなかったことにオーエンは安堵の息を吐いた。
しかし、問題はまだ残っている。
目の前の模倣体についてだ。
ソティスエス同様に消し飛ばすほどの力がなければ、どこかでまた復活してしまいかねない。
放置して消えるにしても、何かを感染させかねないため、どの道放っておくことは出来ないだろう。
だが、ユーエンを気にしながら戦うとなると───そんな思考を巡らせて歯噛みしていた、その時だった。
???
ようやく見つけた。
聞き覚えのある凛とした声。
目を向けると、そこには淡く光る大剣を携えた人物が立っていた。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イルハーツ王…!
そう、そこにはシュピルニカから離れられないはずのイルハーツが立っていたのだ。
イルハーツ
イルハーツ
人同士の争い故、手を出さないと決めてはいましたが…精霊となれば話は別だ。
裏で糸を引いていたのはあなただろう。
████
████
精霊…セイレイ…忌々しい闢依斉君の手先……!
イルハーツ
イルハーツ
新参者なので、元はあなたが何であったのか私には知る由もない。
だが、一つ確かなのは、あなたはここで消えねばならないということだけだ。
携えていた大剣の光が、強さを増していく。
模倣体から放たれたウイルスの弾は、イルハーツに着弾する前に燃え尽きて消えていく。
████
████
あぁァアアア!!!その輝きガ忌々しい!!!
消えろ!消えテしまえ!!!
イルハーツ
イルハーツ
言ったはずだ。
消えるべきはあなたの方だと。
イルハーツが大剣を振るう瞬間、焼け付くような光が周囲を満たした。
ユーエンとオーエンはあまりの眩しさに腕で顔を覆う。
それはまるで、大地を焼く太陽のような。
超高出力で放たれたエネルギーは、燦然たる輝きを放ち模倣体をいとも容易く飲み込んでいった。
イルハーツ
イルハーツ
焼き尽くすことしか出来ない光でも、
凍えきったあなたになら少しは温もりが届いただろうか…。
空を見上げながらイルハーツは寂しそうに呟いた。
塵も残さず消えた模倣体。
満ちていたおぞましい気配も、消えてなくなった。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イルハーツ王、助かりました。
ぱたぱた駆け寄ってきたオーエンに、イルハーツは視線を向ける。
続けて01を抱きかかえたユーエンを見て無事を確かめると、笑顔で頷いた。
イルハーツ
イルハーツ
あなたたちが無事でよかった。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
あれはいったい何だったのですか?
イルハーツ
イルハーツ
"前のエンティアースロイド"から逃げ出したものだと聞いています。
私には何のことか分かりかねますが、あなたたちにとっては何か因縁のある相手だったようですね。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
前の…
その言葉にオーエンは沈痛な表情を浮かべる。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
あれは…王ではなかった。
王を真似た何かでした。
イルハーツ
イルハーツ
あなたに執着していたようですが、おそらくあなたの王を模倣したからこそでしょう。
あれは暴走した精霊ではありますが、あなたの王とは何の関係もありません。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
よかった、危うく切腹するところだった。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
最近落ち着いてたと思ったらまた再発しそうになってる…。
オーエンはほっと胸を撫で下ろした。
命大事に、と後ろからユーエンの声がかかる。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
ところで、シュピルニカがないのにイルハーツ王は何故あれほどの力を?
イルハーツ
イルハーツ
あぁ、それについてはお使いを頼まれたのです。
先程の精霊を討伐してほしいと。
ただ、ご存知の通りシュピルニカがなければ私は力を発揮出来ません。
そのため闢依斉君がここら一帯をシュピルニカと同じ空間に変えたのです。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イルハーツ王は闢依斉君とも関わりがあったのですか…。
イルハーツ
イルハーツ
えぇ、出会い頭に口説かれまして。
本題を聞いたらお使いを頼まれたのです。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イルハーツ王は好かれる御方ですね。
うちの師匠も同じことをしております。
一人いるというだけでも厄介でしょうに、迷惑をかけて申し訳ない。
イルハーツ
イルハーツ
いえ、変人ではありますが悪い方ではないと思っているので…
(口説きに来ているのは一人だけなのだが、はて…)
不思議そうに首を傾げるイルハーツ。
オーエンは自分の師匠が闢依斉君と同一人物であることを知らない。
そのためイルハーツを口説く相手が増えたと思っている。
イルハーツ
イルハーツ
まぁ、話し相手がいるということはよいことですので。
私は戻りますが、お二人は?
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
僕たちもすぐに戻ります。
本当に助かりました。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
イルハーツ王、この後戦終わりの宴会を開く予定なのですが、よろしければいらっしゃいませんか?
イルハーツ
イルハーツ
私がですか?
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
えぇ、此度の戦はイルハーツ王の助力があってこそ。
もしいらっしゃらなければこのような結果では終われなかったでしょう。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
僕も、参加してもらえたら嬉しいです。
イルハーツ
イルハーツ
そうですか。
あなたたちに誘っていただけるのなら、参加させていただきます。
イルハーツがそう答えると、二人はパッと笑顔を咲かせた。
自覚はないだろうが、よく似ている二人だと、イルハーツは笑う。
イルハーツ
イルハーツ
今は闢依斉君に報告しなければならないため、また後でお会いしましょう。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
はい。
豪勢な料理を作ってお待ちしております。
イルハーツ
イルハーツ
豪勢な料理…楽しみです。
去り際に見えたイルハーツの表情は、無邪気な子供のようだった。
どうやらイルハーツは"食"に興味があるようだ。
ユーエン・ミラシーラ
ユーエン・ミラシーラ
帰ろっか、みんな待ってるし。
オーエン・ルドヴァニア
オーエン・ルドヴァニア
そうですね。
帰りを今か今かと心待ちにしているであろう彼らの顔を思い浮かべ、二人はメルエールへと戻ることにした。
こうして、ユーエンの陰りが一つ消えた。
完全に平和になったとは言い難いが、それでもしばらくの間は平穏な日々を憂いなく満喫出来るだろう。
メルエールに戻ると、待機していた仲間たちが大勢で出迎えてくれた。
民間人たちは脅威にならないと判断し、破壊してしまった船の修理を終えてから帰すそうだ。
味方側にも大きな損害はなく、こうして戦争は幕を閉じた。
メルエールに戻ったオーエンは、失血のため緊張によって保っていた意識が切れて、その後三日間泥のように眠ることになった。
イルハーツ
イルハーツ
……来ましたか。
イルハーツは異常を感じ取り、目を開いた。
シュピルニカの泉の周りには埋めつくさんばかりに美しい花が咲き誇っている。
イルハーツ
イルハーツ
受けた依頼は完了しました。
ㅤㅤㅤㅤ
さすがだな。褒美に───
イルハーツ
イルハーツ
いえ、結構です。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
そうか……
しょも…とあからさまに落ち込むのは、イルハーツに会いに来た闢依斉君。
叱られた子犬のように、とてもしょんぼりしている。
イルハーツ
イルハーツ
また勝手に抜け出してきたのですか?
エドラトに叱られますよ。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
む、ちゃんと許可はもらったぞ。ほれ。
闢依斉君は裾から一枚の紙を取り出した。
どうやらお手製の外出許可証のようで、可愛い文字には似合わない判子が押されている。
その紙一枚で抑制出来るのも大したものだが、やはり彼女は身内にとことん甘い。
子供相手に紙切れ一枚で大人しく言うことを聞く闢依斉君の姿を信者たちが見たらどう思うだろうか。
イルハーツ
イルハーツ
可愛いですね。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
文字はな。
書体からひしひしと説教の気配を感じておる。
闢依斉君は紙をしまい、悩ましげにまゆをひそめる。
イルハーツ
イルハーツ
紙一枚に踊らされているあなたも可愛らしいですよ。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
余がキュートなのは周知の事実であろう?
イルハーツ
イルハーツ
………。
何でもないふうに告げる闢依斉君に、イルハーツからの、何とも言えない視線。
イルハーツ
イルハーツ
(…まぁ、顔がいいのは事実だしな。)
深く考えないようにしよう、とイルハーツはその問答をやめることにした。
事実顔はいい、顔は。
イルハーツ
イルハーツ
そういえば、あなたの弟子に会いに行かぬのですか?
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
あぁ、かれこれ数千年か。
イルハーツ
イルハーツ
まさか忘れていたのですか?
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
違うぞ。気付いたら勝手に死んでいたのだ。
イルハーツ
イルハーツ
せめて一年に一度くらいは様子を見に行ってあげてはいかがですか。
人間がどれほど脆弱か、あなたはお分かりでしょう?
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
うむ、反省しておる。
随分と素直な闢依斉君の様子に、イルハーツは違和感を覚えた。
イルハーツ
イルハーツ
…何かありましたか?
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
我が姉、ルフェトオールの姿が見えぬ。
イルハーツ
イルハーツ
精霊王があなたの姉とは初耳です。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
まぁ、言ってはなかったからな。
一言で言うととんでもない美人だ。
イルハーツ
イルハーツ
あなたがそれを言うのですか。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
いや本当に。自慢したいくらい。
イルハーツ
イルハーツ
はあ。
珍しいこともあるものだな、とひとまず話を聞くことにした。
イルハーツ
イルハーツ
それで、どのような方なのですか?
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
こんな感じだ。
闢依斉君は写真を取り出し、イルハーツに渡す。
写真に写っていたのは、赤毛混じりの金髪の美しい女性だった。
獣のようなふわふわの耳に、大きく裂けた尻尾。
一度だけ見せてもらった闢依斉君の尻尾に少し似ている気がするが、先だけ二又なのに対して、彼女の尻尾は根元近くから分かれているように見える。
天使のように頭上に輝く金色の輪と、トンボのような羽。
凛々しくも何処か憂いを帯びた表情は、もはや芸術的価値を生み出している…気がする。
闢依斉君が美しい、自慢したいと言うのも頷ける話だった。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
どうだ、我が自慢の姉は。
イルハーツ
イルハーツ
これは確かに、自慢したくもなるでしょうね。
この写真一枚でどれほどの高値がつくか…。
まじまじと見て、ふと何処かで見たことがあるような、という既視感を感じた。
彼女によく似た誰かを、最近見た気がする。
何ならさっき。
イルハーツ
イルハーツ
…この方と関係があるのかは分かりませんが、よく似た少女は見かけました。
ユーエンが抱きかかえていましたよ。
イルハーツはふと、ユーエンが抱きかかえていた少女のことを思い出した。
耳も尻尾も、写真に写っている彼女と同じだったはず、と。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
本当か?
イルハーツ
イルハーツ
えぇ。ただ…その少女は白金…とも言うべき髪の色でしたので…。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
その少女は何処へ?
イルハーツ
イルハーツ
ユーエンが連れて帰ったはずです。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
そうか、助かった。情報提供に感謝しよう。
イルハーツ
イルハーツ
いえ、力になれて幸いです。
…あ、この話とは関係ないのですが、あなたはルドヴァニアの催し物に参加しないのですか?
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
余が?何故?
イルハーツ
イルハーツ
いえ、ただ…あなたはこういった催しが好きなのではないかと思っただけです。
そう、ただ何となく思った。
闢依斉君はポカンとした後、ニンマリと笑った。
闢依斉君(びゃくいせいくん)
闢依斉君(びゃくいせいくん)
ふははっ、よく分かっておるではないか。
そう言うということは誘っておると自惚れてもよいのだな?
イルハーツ
イルハーツ
まぁ、そうですね。
分かりやすく上機嫌になる闢依斉君。
彼女の可愛い可愛い見張り係が許可するかは分からないが、まぁ祭りの参加くらいならば問題はないだろう。
ウキウキで出て行く闢依斉君を見送り、イルハーツは催し物について想像を膨らませて、時間が経つのを待つことにした。

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