第32話

送信、1秒前
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2026/02/11 13:34 更新
ホテルの部屋も
もう慣れてきた。

——なのに。
ナオちゃんの声だけが、
まだ耳の奥に残ってる。

鍵を閉めた瞬間、
「一人になった」って音がした気がして、
思わず息を吸い直す。

ベッドにバッグを置いて、
コートを脱いで、
メイクポーチを開いて


——そのまま、手が止まった。
あなた
(……あ)

洗面所でメイクを落とす。

ファンデが落ちて、
目元が薄くなっていくにつれて、
笑顔も一緒に流れていく感じがした。
あなた
(私…)
あなた
(強いって思ってたんだけどな)

ホテルの照明は、
やさしい色をしてるのに、
今日は少し冷たい。


ベッドに腰掛けて、スマホを手に取る。


通知は、ない。


当たり前なのに、
それが胸に引っかかる。
あなた
(…セイトくん)
あなた
(今ごろ、コンビニかな)
あなた
(適当に塩焼きそばとかで済ませて)
あなた
(ソファでお腹だしたまま寝落ちして)
あなた
(充電器、ちゃんと刺さってるかな……)

——だめだ。

考えないって決めたのに、
気づいたら、全部セイトくんの生活だ。


ふと、社長の言葉が
頭の奥でよみがえる。
社長
「もう慣れた?」

この一言で、我に返れた。

あの時の私は、

居候の立場なのに、
彼の生活に踏み込みすぎてた。

あの居心地のよかった場所は
私には相応しくない。

そう思って出てきたはずなのに。

なのに。

ベッドに横になって、
天井を見上げた瞬間——

ふいに、
あの時の感覚だけが蘇った。



ツアー中、倒れてしまった日のこと。

はっきり覚えてるわけじゃない。
輪郭も、表情も、全部が曖昧で。

それなのに。

抱えられてた感覚だけが、
不自然なくらい、確かで。

揺れも、
体温も、
腕の力も。

怖くなかった。

むしろ、
そのまま目を閉じてもいいって
思えたことだけ、覚えてる。

その中で名前を、呼ばれた気がした。

ちゃんと聞こえたわけじゃないのに、
近くにいた気配だけが、
妙にあたたかくて。

それが、
声みたいに残ってる。

腕を伸ばした記憶も、
誰かの服を掴んだ感触も、

どこまでが本当で、
どこからが願いだったのか、
もう、分からない。


そして——

唇に残る、違和感。


触れられた記憶なのか、
触れられたかっただけなのか。

分からないまま、
胸の奥に残ってる。
あなた
(……都合の良い、夢)

そう。
あれはきっと、夢。

そう思わないと、
前に進めない。


それでも。

胸の奥に残る、
あの近さ。
あの温度。
あなた
(……ちゃんと話さないと)

答えが欲しいわけじゃない。
責めたいわけでもない。

ただ、
このまま曖昧に終わるのが、
一番嫌だった。


トーク画面を開いて、
何度も文字を打っては消す。



《元気?》
違う。


《ごめんなさい》
…違う。


《急に出ていって》
——これも違う。



そして、
一番嘘のない言葉だけを残す。
あなた
《話したい事ある》

送信ボタンの上で、
ほんの一秒、指が止まる。


スマホを持つ手が、少し震える。

……怖い

でも、
あなた
(今送らなかったら、ずっと後悔する)

深呼吸して、もう一度画面を見つめる。


指を送信ボタンの上に置く。
ほんの一瞬、止まった。

でも、私は決めた。

——送信。

画面に表示される、
小さな既読マークを待たないまま、
スマホを伏せた。

胸の奥が、きゅっと鳴る。
あなた
(……これでいい)

強がりでも、
間違ってても。

今の私は、
ちゃんと前を向いてる。

ホテルの静けさの中で、
そっと目を閉じた。

微かに瞼に光が入ってきたことで
既読がついたことがわかった。
SEITO
《……今から、家来れる?》

少し間を空いて、
SEITO
《マグカップ、置いてってたやろ》

……ずるい。

それ、理由にしてるの、分かる。

でも、
逃げ道作ってるのも、分かる。

それがセイトくんだ。
あなた
《じゃあ、取り行こうかな》

指が自然にそう打ってた。

元彼の時とは、全然違う。

あの時は、
行きたくもなかった。
終わった関係の残骸を片付けに行くだけだった。

でも今は——
セイトくんは、違う。
あなた
…早く会いたいな

本当に、それだけ。

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