第9話

夕暮れの霹靂
1,018
2021/08/23 04:00
(なまえ)
あなた
えっと……?
 学校を出てすぐの歩道で「あなたが『あなたちゃん』?」と声をかけて来たのは、有名な女子校の制服を着た女の人だった。
 しなやかな黒髪が風に揺れて、夕日に照らされたその姿に目を奪われる。
(なまえ)
あなた
(きれい……)
 女の私でも見惚れてしまいそうなほどの美人さん。
 だけど、いくら記憶をたどってもこんなきれいな人、知り合いにはいない。
 そもそも、会ったことがあれば覚えてないわけないと思うんだけど……
(なまえ)
あなた
(それに『あなたちゃん』って……)
 頭によぎるのはこの前の、ファンの子たちとのことで。
(なまえ)
あなた
あの、失礼ですが……
お知り合い、でしたっけ……?
小夏
小夏
いいえ、はじめましてよ。
私は池宮小夏いけみやこなつ
よろしくね『あなたちゃん』
 目を細めて美しく笑う彼女から、あからさまな強い敵意は感じない。
(なまえ)
あなた
(でも、やっぱり……)
 こんな人が私を訪ねる理由なんてひとつしか考えられない。
(なまえ)
あなた
渡辺先輩のこと、ですか
小夏
小夏
……ええ。話が早くて助かるわ
 ごく、とつばを飲みこむ。
小夏
小夏
あなた、時雨と〝恋人ごっこ〟
なんてしてるんだってね
(なまえ)
あなた
……!
 池宮さん……はどこで聞いたのか、恋人ごっこのことを知っているみたいで。
小夏
小夏
……悪いことは言わないから、
そんな馬鹿なことは
やめたほうがいいわ
(なまえ)
あなた
……別れろってことですか
小夏
小夏
まぁ、そうね……。
無理してるならなおのこと
 嫌な汗がじっとり湧き出る。
(なまえ)
あなた
(私と先輩とじゃ釣り合わないって
 こと、だよね……)
 ……他校にも先輩のファンがいることは知ってた、けど。
(なまえ)
あなた
(この人も先輩のことが、
 好きなのかな)
 彼女と自分とを比べて、もやもやした気持ちが胸を覆っていく。
 その時、手元のくまが目に入って、カバンの持ち手をぎゅっと握った。
 今までの私ならここで怖気づいていたかもしれない。でも……。
 ——先輩の隣に立って恥ずかしくない人になりたい、から……!!
 自分に自信をもって堂々と「好き」って言えるように……
 そのためには自分が変わらなくちゃ。
 目の前をまっすぐに見つめて、一歩踏み出す。
(なまえ)
あなた
……嫌です、お断りします
(なまえ)
あなた
先輩のこと、
ちゃんと知らないあなたに
そんなこと言われる
筋合いありませんからっ!
 はーっと大きく息を吐く。
 声が震えて、指先も冷たくて、立ってる感覚が薄い。
 不格好だけど、でも、初めて人に対して自分の思ってたことを口にすることができた。
 やっと、自分の気持ちを萎縮せずに伝えられた。
時雨
時雨
あれ、どうしたの?
 先輩……!
 いつかのように私のところへ駆け寄ってきてくれるかもしれない。
時雨
時雨
こんなとこにいるなんて
珍しいね、なっちゃん
 淡い期待を裏切るように、先輩が、目の前の池宮さんを呼ぶ。
時雨
時雨
用があるなら
うちに来ればいいのに
小夏
小夏
はぁ……。
昨日連絡したでしょう?
 随分と気心が知れた様子で話す二人は、どこからどう見ても美男美女で、お似合い、で。
(なまえ)
あなた
(あ、れ……?)
 あたまが、まっしろになる。
 二人がなにか話しているけれど、なにも頭に入ってこない。
 ぐるぐるめまいがして、足元がおぼつかなくて、何もかもが崩れてゆく心地がする……。
(なまえ)
あなた
(あ、やば……
 きもちわるい、かも)
 貧血を起こしたように意識が遠のいて、傾いた体を力強く支えられる。
時雨
時雨
——ちゃん、
あなたちゃん!
(なまえ)
あなた
は、
 先輩の声で意識が呼び戻される。
 目の前には先輩の顔があって……。
(なまえ)
あなた
!??
 息が止まりそうになる。
時雨
時雨
顔赤いよ、大丈夫?
 こつん、とおでことおでこがくっつく。
(なまえ)
あなた
なっ、ななな何を!?
 あまりの近さに息をのむ。このまま呼吸が止まって死んじゃいそう……!
時雨
時雨
少し熱いな……。
今日ぼーっとしてること
多かったし……
(なまえ)
あなた
せんぱ、せんぱい……!
(なまえ)
あなた
(そりゃ、そんなに
 近づかれたらない熱も
 上がるでしょうね……!!!!)
 今日ずっと浮かない気分だったのも相まって本当に体調の心配をされたみたい、だけど……。
(なまえ)
あなた
(いくらなんでもこれは……
 刺激が強すぎるから!!!!)
小夏
小夏
こら時雨
 ぺしっと先輩を小突いた池宮さんが、ぐいっと先輩と私を引き離す。
小夏
小夏
急にそんなことしたら
びっくりさせちゃうでしょう
小夏
小夏
しかも道のど真ん中で。
何考えてんのよ
時雨
時雨
そうだった。
ごめんね、あなたちゃん
時雨
時雨
ずっと一緒にいたのに
気づいてあげられなくて、ごめん
(なまえ)
あなた
いえ、大丈夫……です
 二人のやり取りを見ていると元気がなくなる。
 だから、別に、体調が悪いわけじゃない。
時雨
時雨
なっちゃん、俺あなたちゃんを
保健室まで連れて行くから
ちょっと待ってて
(なまえ)
あなた
……一人で平気です
時雨
時雨
ほんとに……?
 こく、と頷く。
 仲がよさそうに話す二人を見ているのがつらくて、見ていられなくて、逃げるようにその場を後にした。