・CPなし
暗闇の中、唯一光るスマホに目を細める。明るさを下げてよく見ると、一件の通知。
『生きたい』
たった四文字の言葉が、この上なく嬉しかったことだけは確かだ。
荒い息と共にドクドクという心拍音が伝わる。時折どっくんと荒くなるのは酸素を大量に求めるためか、それとも。
目の前のドアノブに手を伸ばす。破壊するほどの勢いで回し、開け放った先。
「キリンさん!」
やっぱりここにいた。最近キリンはハックとタブーの目を盗んでは命を絶とうとする。だから絶対に目は離さないようにとタブーと決めた。決めたのに、キリンが寝たと思い込んでハックは少し席を外してしまったのだ。その間にキリンは屋上へと足を運んだ。
「…ハックかぁ」
間延びした声にほっとしつつ、気は緩めずにキリンの説得にかかる。
「危ないっすよ、戻って」
「お前は否定しないでくれるか」
踏み出しかけた足をピタリと止める。「否定?」と問うと、キリンはこちらを見ないまま語り出す。
「誰かがそれは努力じゃないって言っても、俺が努力だって言えば認めてくれるか。それは逃げだって言っても、逃げてもいいって言ってくれるか。誰かが責めてきても、お前は責めないでいてくれるか」
「そんなの……当たり前じゃないっすか」
声が震えているのは泣いているからか。顔が見えないから分からない。
「…でも離れていくだろ?」
新しく友達が出来て。卒業して。就職して。結婚して。子供が生まれて。老いて、死んでいく。そんな目まぐるしく回る日々の中で俺はいないんだろ?
キリンの全てを諦めたような震えながらも乾いた声に、眉にシワを寄せた。そんなの──────分からないだろ。
「いつか俺の存在は風化してくんだ。俺は『キリン』っていう記憶になって、忘れ去られる。虚しいじゃないか。誰の記憶にも残らないで、誰にも愛されなくて、何のために生きていくっていうんだ?」
生きるってそんなもんでしょう。喉まで出かかった言葉を飲み込む。こういう時に言う正論ほどゴミのようなものはない。
「周りに誰もいないまま、消えるように死ぬのは嫌なんだ。だから、今なら……お前らがいるだろ?」
気づけばつかつかと近寄って、手すりに座っていたキリンを引きずり下ろしていた。「いてぇな」と睨むキリンに以前までの恐ろしさはない。ただ──────悲しさが宿った瞳で、ハックを睨みつける。
「死にたきゃ死ねばいいっすよ。俺は止めないっす」
よく、「死にたい人に生きてと言うのは生きたい人に死ねと言うことと同じだ」という言葉を目にする。それすらもハックはキレイ事だと思うが。でも、それに引っ張られている訳では無いが死にたいなら死んでもいいんじゃないかとハックは思う。
「だって、死にたいって本気で思うほど悩んで傷ついて苦しんできたんでしょう。否定しないでくれるか?するわけないでしょ。ずっとそばで見てきたのに、」
死んで欲しくないなぁ。そんな思いが胸を掠める。一度言葉を切って呼吸を挟んだ。
「誰かに言われて決めたわけじゃないことに、どうして俺が口を出すんすか。出せるわけないでしょう。…でも、それでも俺は……」
本音を話そう。心の底を、誰でも持っている闇を見せてくれた人に上辺ばかりで伝わるわけが無い。キリンは全力でぶつかってくれた。なら、ハックは──────
キリンが抱えている重さを少しでも分けて貰えるように、抱きしめるだけだ。
「キリンさんに生きていて欲しい。矛盾してるっすけど。死にたいと思うなら死ねばいい、そう思うことに変わりはないっす。でも……あんただけは違くて、」
キリンに対しても「死にたい?死ねばいいんじゃない?」と他の人と同様に言えるかと聞かれれば、ハックは首を横に振るだろう。誰だって、大切な人に死んで欲しくないと思う。自分が貫き通したい思いと、誰かを大切に感じる想いとが喧嘩しあって、自分自身でもなんて言えばいいか分からない。だから全部言ってしまうことにした。めちゃくちゃな文章でも、矛盾した言葉でも、少しでも届いたらという思いで。
「他人が『生きて』って言って『じゃあ生きる』って言えるほど、キリンさんの気持ちが軽くないことが分かってるから軽々しく生きて欲しいなんて言えない。でも、別の自分はキリンさんに生きて欲しいって叫んでるんすよ。自分でも気持ち悪くて、よく分からなくて──────だって、命なんて人間が簡単に分かっていい問題じゃないから。分からないからこそ、生きたいと思う人も死にたいと思う人もいる。命を粗末にするなって言う人もいれば、生きている方が地獄だと思う人もいる」
ずっと笑っていても、馬鹿なことを言っていても、裏の顔までは見えない。もしかしたら自分の何気ない一言で誰かを傷つけているかもしれない。それはまた自分もそうだ。誰かが何気なく言った一言が、何年も何十年も胸に刺さり続ける。表面上に現れないからこそ、心の傷は深くなりやすいのだ。
「口に出す人も、仕舞い込む人も、同等の『死にたい』を抱えているかもしれない。もしかしたら、口に出す人の方が沢山抱えているかもしれない。人の心は自分自身も分からなくなる時があるから、俺にキリンさんを推し量ることは出来ないっす。だから、無責任極まりないことは十分承知してるっす。それでも、無責任でも、キリンさんの心に何一つ届いてないとしても──────俺はキリンさんに生きて欲しいって、何度でも言うと思うっす」
未来で幸せになる保証は無い。でも、だからと言って地獄だと思っている今が一生続く保証もないのだ。今だけで幸せになれる『かもしれない』未来を捨てないで欲しいのだ。
「きっと生きていた『方がいい』っすよ。死んだら…もう会えないじゃないっすか」
光のない瞳でキリンはハックを見つめる。痛ましい。どうしてハックはこんなに状態になってしまうまで放っておいたのだろう。こんなクズの言葉、届かなくてもおかしくは無いか。頬にそっと手を添える。ビクリと動いた体にほんの少し傷ついた。
「押し付けるつもりは毛頭ないっす。こんな言葉だけで伝わるとも思ってないっす。でも、俺がこう思ってるんだってことを知らないままキリンさんに選択して欲しくない。孤独だと思い込んだまま選択して欲しくない。今だけで未来を捨てて欲しくない。俺の気持ちを知って、少しでもキリンさんの未来が変わればって思って……」
真っ暗闇の瞳がぐにゃりと歪み、パリついた肌に再び細い涙が伝う。
──────届いた。
「全部本音っす。一切言葉を選んだりしてないっす。ただ、思ったことを言っただけ。これが俺の本心っす……ねえ、キリンさん」
「生きていてくれませんか?」
口が緩やかな曲線を描いた後、嗚咽が漏れ出る。歪んだ眉、キツく閉じた目。ボロボロと大粒の涙が溢れるのを、「泣かないでくださいっす」と拭いながらハックも泣いた。
キリンを見守る時間が来て、ハックと同じように慌てて屋上まで来たタブーに連れ立ってキリンは去って行った。
「…よかった」
滲む視界で二人を必死に追いながらそう呟く。後からどんどん流れ出す涙を拭っていた袖がびちゃびちゃになり、上を向く。橙に染まる高い空を涙が乾くまで眺めていた。
「……帰るっすか」
今日はタブーがキリンと泊まる日だ。ハックの用は済んだから、そろそろかえろう。
これから先、キリンは何度今日のことを思い出すだろう。
辛くなったら?ひとつの思い出として?ハックを思い出す時ついでに?
どれでもいい。どんな形でもいい。思い出して、少しでも『生きよう』と思うための気力になれたら、と思う。
出来れば、ハックの足跡なんて辿らないで欲しい。二度と後ろを振り向かないで欲しいとも。はっきり言って存在そのものが『異端』なキリンの歩く道が容易いものでは無いことははっきりしている。それでもハックやタブーを導いてくれたように、道がないのなら新しい道を作りながら歩いて欲しいのだ。
カーテンで覆われ電気ひとつついていない真っ暗な部屋の中で、スマホが光る。LINEが来たようだ。
『生きたい』
たった四文字。でもその四文字は、ハックがキリンから一番聞きたかった言葉だ。
「…本当に良かった」
タブーにもきっと話しただろうし、タブーも話しただろう。きっとキリンはもう大丈夫だ。
どうか、助けを求めるということを忘れないで欲しい。たまには甘えたっていいのだ。一人で生きていける人間なんていない。いずれ孤独感で押し潰されてしまう。
どうか、「生きたいんだ」と叫ぶ声を止めないで。
自分で選んだ最善の道を進んで。思ったことを押し留めてしまわないで。立ち止まってしまってもいい、ただ生きてさえいれば。
……最後にひとつ。
キリンさんが弱音を吐いてくれた時、不覚にも良かったと思った













編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。