・タブハク
いまさっき気づきました。スランプですねぐへへへへ
ハックが亡くなった。交通事故だった。
雨で視界が悪い中を信号が変わる前にと猛スピードで突っ込んできた車に撥ねられたのだった。
即死だった。あんなに人が吹っ飛ぶところなんて、この先一度も見ることは無いだろうというくらい。
そして何も出来ずただ突っ立っていた自分に心底腹が立った。恐ろしいと地面に根付いてしまったように動けない自分も。「救急車…っ!」「キャー!!」と叫ぶ人々の声がやたらうるさくて目を閉じた。
夢なら醒めろ。お願いだから醒めてくれ。
キツく目を閉じて念じても醒めない。なんて悪趣味な。
──────……結局これが夢だなんて都合のいいことはなく、数時間後にハックが亡くなったと連絡がきてやっと現実なのだと知った。
「タブー」
これはキリンの声か。随分久しぶりに聞いた気がする。
「タブー」
聞こえているんだから話を進めてくれればいいのに。
「おいタブー聞こえてんのかよ!」
殴るほどの勢いを有してキリンが胸倉を掴む。タブーは抵抗しない。
「いい加減にしろよ、ショックなのは分かる!でもいつまでそうしてんだよ!お前まで死んだらどうすんだよ!!」
なんて身勝手な言い分だ。ハックは独りで死んでしまった。寂しいだろう。こちらとあちらを隔てる川は冷たいだろう。それなのに、生きているこちらは死ぬことを恐れて醜くも争っているのだ。
でももう反撃するほどの元気もない。
「…それでもいいかもな」
そう言うと、キリンはざっくり傷ついた顔をした。手を離し、部室を後にする。「二度とそんなこと言うな」という言葉を残して。
「……いいじゃねえか…それで…………」
ハックがいない世界でひとり生きていくなんて、なんて孤独なことだろう。寂しいことだろう。手を伸ばせば触れられた手は、唇は、もう二度と触れられない。遠い空の彼方へ昇ってしまった。
「ハック…」
ハックが亡くなってから何枚も絵を描いた。全部ハックの絵。でも、全部生きたハックじゃない。ハックの訃報を受けてから病院にたどり着いた母のように生気が抜け落ちている。受け入れたくないその現実を、身体はジワジワと受け入れ始めている。やめろと怒鳴って筆を置いた。
……葬式はいつだった。明日か。あの日以来、ハックの顔を見ていない。遺族じゃないから当たり前と言えば当たり前だが。認めたくはないが、明日を逃してしまったら二度と会うことは叶わない。
「嘘だろ…なぁ……」
独りごちても、「嘘っすよ」なんて返してくれる後輩はもういない。視界が滲んでいくのが憎らしくて、キャンバスに布をかけた。
斎場に漂う空気に息が詰まりそうだ。同級生だからと呼ばれた人々はハックの母やタブーやキリンような面持ちではない。呼ばれたから来た、冥福は祈るがそこまで。そんな気持ちが見え隠れしている。腸が煮えくり返りそうだ。
滞りなく進み、別れ花を手向けるために席を立つ。なかなか動けずにいたタブーの腕をキリンが引っ張り上げ、無理矢理棺へと歩かせた。
タブーがようやっと花を手向ける覚悟を決めた頃には、ハックの周りは花でいっぱいになっていた。
「…ハック」
誰にも気づかれないくらい小さな声で呟く。隣にいたキリンだけは気づいたようで、ポンと背中を軽く叩いてきた。涙が出かけて唾を飲みこんだ。……ハックの両親の前では泣かないとキリンと約束した。
耳元に少しスペースがあったのでそこにそっと手向けた。副葬品に手紙を入れた。
……別れ花に囲まれたハックは、死んでしまったのだと実感させるのと同時に酷く美しかった。
布をかけたキャンバスを退かして新たなキャンバスを置く。無我夢中に描き進めた。
今まで描いてきた中で一番美しいハックを描くために。そして、いつまでもハックに縋ってばかりいる自分と決別するため。タブーがいつまでも縋っていては、八ックもきっと逝くに逝けない。
ハックとタブーは、もう同じ世界に生きていないのだ。
ボタボタと滴る涙を拭うこともせず、ひたすら筆を進める。一秒でも早く、別れるために。ハックがこちらを気にせず笑えるように。
「ハックっ…」
何度も名前を読んだ。送り出そうとしているのに名前を呼ぶなんて矛盾しているが、そうでもしなければタブーが壊れてしまいそうだったから。
ハックはタブーが追いかけるように死ぬことなんて望んでいない。そんなことしようものならあの世で二度目の死を迎えることになるだろう。
それに、キリンが葬式前に言ったあのセリフの意味も今ならわかる。
『いい加減にしろよ、ショックなのは分かる!でもいつまでそうしてんだよ!お前まで死んだらどうすんだよ!!』
キリンもまた耐えられないのだ。ハックが亡くなって、崩壊寸前なのだ。そこに追い討ちをかけるようにタブーまで死んだら。キリンはきっと立ち直れない。ヤルミナティーは全滅になる。
キリンのために生きる。ハックもきっとそう願うだろう。共倒れるよりそっちの方がよっぽどいい。
完成した絵を眺める。涙が止まらない。あのハックには酷く劣るが、それでも美しく描けたと思う。流石、流石──────
流石、オレ様の自慢の恋人だ。
「うわあああああああああ!!」
叫ぶように泣いた。我慢していた分を全て絞り出すように。自分の中に悲しみを残してしまわないように。
そして、もう二度と悲しさに囚われた恋人を描かないように。
今日ばかりはリア充サークルも壁を蹴っ飛ばしてこなかった。それをいいことに、キリンがすっ飛んでくるまで泣き叫んだ。
「いいのか?」
キリンが気遣うように問う。タブーは笑って答えた。
「いい」
紐で縛った何枚ものキャンバスを大学近くのゴミ収集所へと捨てに来た。全部ハックを描いたものだ。
「ずっと持ってたらハックが心配するだろ」
気づかないうちにタブーの思考は死んだハックが中心になっていた。キリンはあえてそれを指摘することはしないでいた。それはもうタブーの考え方になってしまっているし、キリンを置いていってしまうことはないと分かったから。
「それに、灰になった方が高く昇れるだろ」
ハックが死んでから一度も見なかった笑顔を浮かべながら言う。
「…なら自分で燃やしちまえばいいんじゃねえのか?」
「通報されるじゃねえか」
一応考えはしたらしい。
「なに今更気にしてんだよ、それ以上のことしてたくせに。それにバレなきゃ犯罪じゃねえよ」
そう言うとタブーはやっと「…だな」と言った。
チリチリと音を立てながら橙の炎がキャンバスを燃やしていく。キリンは無表情で、タブーはほうけた顔で見守っていた。
「……なあ、キリン」
おもむろにタブーが口を開く。「なぁんだ?」と油断していた口は情けない声を発した。
「ありがとな」
珍しい。真っ先にそう思った。言ったらぶっ飛ばされるので黙る。
「あぁ、まあ…グランドマスターだし、な?」
カッコつけてそう言うと、「そうだな」と無表情で返してきた。
「おい今のツッコむところだぞ」
「そうか?」
「そうだよ!」
くだらねえ。肩の力が抜ける。「そろそろか」と呟いたタブーが予め用意しておいた水を火にかけた。
「濡れちまったけど」
「乾かして残ってるやつを撒く」
タブーは満足そうに頷いた。もう吹っ切れたのだろうか。
「キリン」
「あ?」
「墓参り行こうぜ」
「コンビニは?」
「行く」
葬式後なかなか墓参りに行こうとしなかったタブーだが、色々と整理がついてきたらしい。絵を燃やしたのは決別を完全なものにするためかと思ったが、整理の中の一つだったようだ。
コンビニでチョコポールを買って墓参りに行く。諸々こなしたあと、「ちょっと外してくれねえか」とタブーがお願いしてきたので少し離れたところで墓周りのごみ拾いをして待った。
「ハック、久しぶりだな」
ハックの骨が埋葬されているとは言え、目の前にあるのは石だ。ぎこちなさがタブーの声を固くする。
「なかなか来れなくてごめんな」
ハックは「気にしてないっすよ」と言うだろうか。それとも「遅いっすよ!」と怒るのだろうか。どちらにしてもありそうだ。
「オレ様、もうお前を描くのやめようと思うんだ」
怒るだろうか。忘れないでと泣くだろうか。忘れるつもりは無いが。
「お前は前を向けって言うだろ、多分。だからとりあえず歩こうと思う。でもお前のことは絶対忘れない。最後に一枚だけ描こうと思ってんだ。完成したら見せに来るぜ。それは燃やさないで取っておく」
どれだけ悲しもうと消失感に苛まれようと、時間は経つ。時間が経てば、人は歩き出さなければいけない時が来るのだ。タブーの歩き出さなければならない時はきっと今なのだ。
「今もすきだ。だいすきだ。少し遠回りしてからそっち行くから…」
待ってて欲しい。待てなくてもいいけど。目移りしても…しょうがないと思うように努力する。待てる時まで待っていて欲しい。
「愛してる」
涙が一筋、頬を伝った。丁度キリンが戻ってきて、タブーの肩を叩いた。
「帰るか」
連れ立って帰った。家に着いた瞬間にタブーは絵に取り掛かり、昼夜問わず完成まで描き続けた。
そうして描きあげた絵は、今まで描いてきた中で最高の出来だ、とタブーは言う。
そこに描かれたのはタブーが愛してやまない恋人で、タブーの行く末を温かく見守ってくれるような柔和な笑みを浮かべていたという。













編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。