第2話

二、西の都
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2023/12/02 12:43
東西関係緩和のために設置されたこの縁談は計画的に進められている。
最初に三日、そして十日、一ヶ月と、滞在する期間を少しずつ伸ばしていって友好関係を築こうというものだ。
従者に運ばれ、半日かけて往くので今回の実際の滞在期間は二日と言っても良いだろう。
朝顔姫、そして菊乃、椿は、駕籠に揺られて旅を始めている。
「お嬢様、体調は如何ですか?」
菊乃が聞く。
石竹色の鮮やかな単を着た朝顔姫はすました顔をした。
「だいぶ良いわ。そんなに気にしないで」
「そう言われましても、気になるものです。ねえ椿様」
突然話を振られ、黙っていた椿は居づらそうにする。
「そうですね…お嬢様、駕籠の揺れは大丈夫ですか?」
「乗り物酔いには強い方よ。この話はお終い!」
パチンと手を叩き、強制的に話を終わらせると、菊乃は面食らったように何も話せなくなってしまった。
「そういえば、菊乃と椿って同じ楓家よね。二人は血縁関係ではないの?」
「お嬢様、一口に楓家と言ってはいけませんよ」
楓家の者は例外を覗いて皆産まれてから死ぬまで落葉松家に仕えることになっている。
ただ菊乃の言っているように楓家と言っても一つの血を継いでいる訳ではなく、楓と他の家の間から産まれた子、楓同士で産まれた子など多数見受けられる。
中でも両親共々楓として産まれた子は、特別な特徴を持っている。
「私は楓と別の家の者の間に産まれたのでその特徴を持っていませんが、椿様は持っているようですね」
「特徴?」
朝顔姫が聞くと、椿はこくりと頷いた。
菊乃は楓の名だが、母は楓では無いらしい。
「碧い目でございます。お嬢様」
朝顔姫はそう言われて、二人の顔を見比べた。
椿の特徴と思っていた碧眼は、いわば楓の紋章のようなものだったのだ。
「なるほどねぇ。綺麗な瞳だもの」
朝顔姫が言うと、椿は照れ臭そうに頭を下げた。
菊乃は駕籠の出窓をちらりと覗く。
「お嬢様、ご覧下さい。西の都でございますよ」
菊乃に言われ、朝顔姫は出窓を覗いた。
東の都とは違い、少し中華風な見た目である。
踊り子は客の前で楽しそうに舞いを踊り、商人たちはてきぱきと仕事をこなす。
街中が活気で溢れていて、とにかく民衆の皆が楽しそうだと、少し見ただけでも感じた。
だがその中でも一層目を引くのは、後宮である。
東の都とは違い、色とりどりで鮮やかな城が目に入る。
「綺麗…」
朝顔姫の口から、思わず声が零れた。
見惚れてしまったが、今からこの後宮に入るというだけでも身震いするような思いだ。そしていずれ妃になるのだと考えるだけで、最早想像もつかなくて笑えてくる。
城の前で駕籠を降りると、そこには待ち構えていた一人の侍女がいた。
「お待ちしておりました」
老女は落ち着いた口調で言った。
「山茶花家が侍女頭、花雪でございます」
菊乃にポンっと腰を押され、ハッとして朝顔姫も礼をする。
「落葉松家の朝顔でございます」
「朝顔姫様でございますね。早速ですが、此方へどうぞ」
そうして花雪が大きな門を通す。
三人は黙って花雪の後ろを着く。西の後宮は庭園が美しく、今も庭師たちがせっせと働いていた。
「綺麗な庭園でございますね」
「当主の水仙様は西洋に渡った際、美しい景色に惚れ惚れとし、後宮を西洋風の庭園にするとお決めになられました」
「西洋?」
朝顔姫は瞳をきらきらと輝かせて言った。
その様子に花雪は少し不思議に思いつつも、話を続ける。
「水仙様は西洋に渡り、薬学を嗜んでおられましたので」
流石の貴族様だ、と朝顔姫は思う。
普通の人が職にするために必死に学ぶものを、貴族は嗜むだけに学ぶのだから。
そのための行動力は凄まじいものだ。
廊下を抜け、大きな離れに入る。
「此方が朝顔姫様方の停泊する御部屋となっております、華の間でございます」
客間ではありながら、流石の財力である。
奥行きがあり、広々とした畳の部屋に、西洋風の柔らかな腰掛けや机が並べられている。
「今日は特にやるべきことはありませんのでゆっくり旅の疲れをお癒しください。明日は昼、お見合いとなっております」
花雪はそう言って丁寧に礼をし、去っていった。
三人だけになった後、朝顔姫は庭園に惚れ惚れとした様子でいた。
その妖艶たる表情に、菊乃は心配そうな顔をする。
「お嬢様…表情を緩めすぎでございます」
「…ああ、ごめんなさい。あまりにも綺麗で」
幼い頃から身体が弱く、外に出る機会も限られていた。
それに東の城は西よりも庭園に力を入れていたわけでもなかった。だからこそ、初めて見る景色にドキドキと胸を高鳴らせているのだ。
「菊乃、他の庭園を見て来ては駄目?」
「駄目でございます。花雪様にここで疲れを癒してと言われましたでしょう?それに、お嬢様は疲れが翌日にうんと出る類の方でございます。明日が本番ですのに、今疲れを溜めないでくださいませ!」
あまりにも菊乃が凄まじい剣幕で言うものだから朝顔姫は引き下がった。
「わかったわよ…それじゃあ、離れの中にある厠に行くだけ!それだけ許して!」
「厠でございますか?それなら全然いいですが…」
なぜ厠に行くだけでこんなにも許可を求めるのだろうと少し不思議に思ったが、その答えはすぐにわかった。
朝顔姫は身体の内側から嬉しさが込み上げたように、満面の笑みで廊下を駆け出した。
厠の近くの庭園に行くつもりだろう。流石の菊乃もそこまで追いかけられるはずなく、ため息をついた。
「本当に…困った人ですね」

廊下を歩くだけでも桜の花が散らばっていて、心がわくわくと踊った。
実際、厠に行きたいというわけでもなかったが、言ってしまったことなので一応厠に行ってから庭園をうっとりと眺めた。
桜の木に、小池が佇んでいる。
小池の水面に疎らに散らばった桜の花が、絵画のようでとても美しい。
朝顔姫は行儀悪くも足袋のままで下に降り、しゃがみこんで水面を眺めた。
(ああ…水ってこんなにも綺麗だったかしら。桜の花ってこんなにも綺麗だったかしら)
瞳に映るもの全てが新鮮に思えて、まるで新世界に訪れたような気分だった。
その顔は姫なんてものではなく、ただの平凡な町娘のようだった。
ゆっくりと流れる時間の中に、それを遮るように砂利が踏まれる音がして振り向く。
朝顔姫の瞳に映ったのは、桜よりも小池よりも美しい、まさに麗しの貴公子といったものだった。
軽く人知を超えてしまうような美しさに、言葉が出なかった。
絵本の中から飛び出してきたような、真っ白な肌と艷めいた長い髪、少しくすんだ黒色の、大きく突き刺すような真っ直ぐな瞳。体格が良く、とても頼もしい身体付き。
見惚れる、と言ったところだろうか。
朝顔姫はしばらく動けなかった。じっと、貴公子を見つめていた。
「…そこで何をしている?」
貴公子は薄い桃色の唇で喋った。
声も玲瓏で美しい、なんて思っている場合ではなかった。確実に不審がられている。
「も、申し訳ございません!桜が綺麗だったので、つい…」
朝顔姫が急いだ様子で立ち上がると、貴公子はゆっくりと朝顔姫に近づいてきた。
そして何も言わずに空中を舞う桜の花を手に取り、朝顔姫の髪にくっつけた。
真顔な彼の表情が、柔らかく綻んだ。
「君は美しいな」
貴方の方が、なんて言えず口を噤んだ。
頬が紅潮していく。
「鬼婆が怒るだろう。さっさと帰ることだ」
鬼婆とは、花雪のことだろうか。終始真顔だった彼女のことだ。怒ったら途轍もなく怖いのだろうと容易に想像がつく。
貴公子はスっと振り向き、後ろ姿を見せて去っていく。
「あ…貴方は」
思わず朝顔姫が言うと、貴公子は顔だけ振り向かせた。
言葉の意図がわかっておらず、不思議そうな顔をしている。
「申し訳ありません…お名前をお聞きしたくて」
朝顔姫が聞くと、彼は真顔で答える。
「霞の君」

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