〈mark side〉
(マーク…マーク…!)
冷水を浴びたかのごとくハッと意識を取り戻す。
長い長い眠りについていたかのような気分だった。
後頭部がキンキンと痛む。
起き上がろうと杖を探した…が、見当たらない。
それどころか、なんとなく身体が軽い。
思うように上半身を動かせることに気づいた。
俺は目を見張った。
実験の時に羽織っていた上着の袖から、
しなやかな筋肉に包まれた腕が出ていたのだ。
骨張り横隔膜すら浮いて見えていた腹にも、
分厚いブロックのような筋肉がついている。
ずっと待ち望んでいたその瞬間。
俺は杖なしで、自力で立ち上がった。
ふらつくことなく地に足をつけ、
俺は湧き上がる興奮に心から震えた。
死にかけていた自分の身体のあちこちに、
生きる嬉しさが駆けめぐるのが分かる。
幸せな気持ちを噛み締めていたとき、
不自然に口元が濡れているのに気づいた。
指で拭うとそれは、
知らないうちに吐いたのか…?と不思議に思いつつ、
自分がいる場所がおかしいことに今更ながら気づく。
なんで俺は今、船のボイラー室にいるんだ…?
健康になった自分の足で船内を歩き回る。
だが生きる喜びはいつしか違和感に変わった。
あなたの下の名前も、チソンも、港で会った傭兵たちもいない。
俺だけが、この船の中で動いていたのだ。
なんで誰もいないんだ?
なんで…こんなに静かなんだ…
その疑問はラボに入った瞬間に弾け飛んだ。
目の前の光景を受け止められない。
背中に、額に、冷や汗が伝う。
無惨に食い殺された傭兵の肉体が、
あそこに、こちらに……8体も転がっている。
ガラスが飛び散った実験室の近くに、
あなたの下の名前が倒れているのを見つけた。
すぐさま駆け寄り意識の有無を確認する。
同じく倒れたままのチソンに近付く。
肩を叩き名前を呼ぶと、うっすら目を開いた。
よかった…とホッとしたのも束の間、
チソンは俺の顔を見るやいなや、
顔を強張らせ「うわぁっ」と怯えたように
尻もちをついたまま後ずさりした。
何も覚えていない…俺は黙って頷いた。
チソンは恐ろしそうに頭を振った。
俺は急いで船のパソコンの前に立つ。
チソンは近くにあったブランケットを、
気を失ったままのあなたの下の名前の身体にかけた。
キーボードを打つ手が震える。
液晶に映っていたのは、間違いなく
傭兵を襲い食い殺している俺だった。
傭兵の断末魔、
あなたの下の名前の叫び声、
構わず襲いかかる獣のような男。
その時俺は、ボイラー室で自分の口元に
血がついていたのを思い出した。
あれは俺じゃなくて、あの遺体の…?
そう考えた途端、急に吐き気がした。
思わずテーブルの奥に走り嘔吐する。
しかし口から出てきたのは、
消化しかけの紅く染まった血肉だった。
恐ろしくなった。
俺は本当に、人を食べたんだ…。
人の血肉を食らい、生を取り戻した。
人命を救う医者である俺が、8人も人を殺した。
俺は考える間もなく通信機に手を伸ばした。
ガチャン、とチソンに無線を切られた。
…たしかに、それはそうだ。
研究をしていたのは俺だけど、
実際に投与を行なったのはあなたの下の名前だ。
でも…と言いかけたが、
チソンは俺の言葉を待たずに
荷物をまとめ始めた。
チソンは黙って頷いた。
チソンの強く真っ直ぐな眼差しに、
大きくなったな…と場違いなことを考えた。
まだ納得しきれないような表情で、
チソンは渋々頷いた。
俺は実験器具や私物、日記をバッグに詰め込む。
部屋を出る前に俺はあなたの下の名前のもとに跪いた。
ひんやりした額にそっと手を添える。
荷物を肩に担ぎ、チソンと地下へ降りた。
カンカンカンと足音が船内に響く。
チソンが叫んだ方へと走る。
鎖やロープをテキパキと外し、
小型船の操縦部を確認していた。
チソンがぎょっと目を見開く。
驚くのも無理はない。
たった今俺が、モニターを目の前で殴り壊したからだ。
チソンが激しく動揺したまま頷き、
急いで小さく狭い船に乗り込んだ。
操縦桿を握ったチソンは心なしか頼もしく見える。
その瞬間、バシュッと大海原に放り出された。
血肉の香りが一切しない、
心地良い潮風がサアッと全身を撫でる。
チンケな船の何百倍も大きい船を見ながら、
俺たちは沖合を背に陸へと向かった。
遠目に港が見えてきた頃、
俺は上着の中に荷物をねじ込んだ。
不安そうなチソンの肩に優しく手を置く。
終始泣きそうな顔のチソンに向かって小さく頷き、
俺は冷たく暗い海面に飛び込んだ。
次回からFBI職員として、あの2人が登場します✨️
お楽しみに!














編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。