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第4話

8
2023/05/28 11:37
今日は何も変わりのない日常だった。
ーーただ、1つの事を除けば。
その日はいつも通りに出社して、仕事をして、
帰ってきた。毎日、こんな日常が続けばいいな、と
思いながら、私服に着替えようとカッターシャツに
手をかけた。
その時だった。インターフォンが鳴ったのだ。
今日は特に誰とも約束はしていないし、配達も
頼んでいない。もしかして、怪しい物を押し売り
するセールスマンだろうか、と、最近周りから
聞かないことを想像する。
だが、その予想は大きく外れた。
俺の顔を見たその目から、涙が零れ落ちた。
動揺していた俺に「落ち着け」と慌てて命令をし、
宮澤を家に上げることにした。このままでいたら、
肌寒いこの季節だと風邪を引く。

ーーというのは建前で、俺が宮澤を泣かせたと
疑われるのは癪だったからだ。
どうにか宮澤を泣き止ませて、落ち着かせた。
犠牲になったいくつものハンドタオルや
バスタオルは、後で洗濯するとしよう。
有島綾翔
有島綾翔
……それで、どうしたんだ?
宮澤が泣くって事は、何か余程の事が
あったのだろう?
宮澤春夜
宮澤春夜
……
宮澤は話す事を躊躇っているように見えた。
俺の予想だが、『余程の事』というのは宮澤に
とって人生を左右する位大きな問題だと思う。
有島綾翔
有島綾翔
無理に話す事はないぞ。気持ちが
落ち着いたなら、帰るか?
宮澤春夜
宮澤春夜
帰りたくないです
即答された。この前、俺に謝って来た時の
「無事仲直り、そしてお終い」という訳には
いかなかったんだよな。宮澤が帰る時、
一瞬だったが、まるで地獄に行く時のような目を
していた。実際、地獄に行く人なんて見た事も
聞いた事もないが。
宮澤春夜
宮澤春夜
……本当は話す事が怖いです。けれど、
有島さんになら、話せる気がします
そう言って宮澤は、大きく息を吸った。そして、
ゆっくり、ゆっくりと口を開いた。
宮澤は、親から虐待を受けているらしい。肉体的、
というのはほぼ無いが、精神的なものが多かった。

まだ物心ついていない頃から、母親には

「春夜、貴方は全ての事において完璧なのよ、
そうよね?」

と言われ、父親には

「この位の事、春夜なら出来るぞ、なあ?」

と、圧をかけられていたらしい。
だからか、宮澤が仕事を完璧に出来るのは、と、
1人で勝手に納得した。
宮澤春夜
宮澤春夜
だから、色々な感情を教えてくださった
宮澤さんには本当に感謝しています。
何を言っても、伝わらない位
宮澤はあまり『感情』というものを知らなかった
らしい。だから、『感情』を俺に与えられて、
世界が一気に変わったと言っていた。
有島綾翔
有島綾翔
そっか……良かった
気がつけば、俺の目からも涙が溢れ出ていた。
宮澤春夜
宮澤春夜
はい、本当に……良かったです
それからは2人で暫く涙を流していた。
哀しいからじゃない、そう思うと安心して、
涙が更に溢れ出た。
有島綾翔
有島綾翔
それで、何故俺の家に?
宮澤春夜
宮澤春夜
……思い出したんです。だから、家には居ずらくて
有島綾翔
有島綾翔
そうか……
宮澤春夜
宮澤春夜
今日は、有島さんと一緒に居たいです
えっ、それって、宮澤とお泊まりするって事か?!
一瞬、ドキッとしたけど、嬉しさが勝った。
有島綾翔
有島綾翔
いいぞ。寝床も借りていけ、……明日も
仕事があるから、今日はゆっくり休め
宮澤春夜
宮澤春夜
ありがとうございます、では、
お言葉に甘えて……
そう言うと、宮澤は眠りに落ちた。相当、
泣き疲れたんだな、と思いながら、俺も眠りに
落ちる事にする。
今日は、何も変わりのない日常だった。
ーーたった1つの事を除けば。

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