sm side
そこまで読んで、僕の指が止まった。
息がうまく吸えない。ページをめくる手が震える。
これは全部、リノさんの三年間
リノさんが僕を探してくれた時間
そんなことさえ知らずに僕は
視線を落とすと、すやすやと眠っているリノさんがいる。
こんな近くで、こんなに無防備で、僕を信じて眠っている。
僕は、探してもいなかったのに
リノさんを覚えてすらいないのに
胸の奥が、自分への嫌悪感に支配されている。
震える手で、そっとノートを閉じる。
それ以上は怖くて読めなかった。
ーー
朝になり、太陽の光が差し込む部屋の中で、僕は静かに立ち上がった。
リノさんはまだ眠っている。
触れたくて手を伸ばすけど、衝動を押さえて、手を引っ込めた。
‥だめだ
いまリノさんと話したら、きっと全部顔に出る。
自分への嫌悪感を、この純粋なリノさんにぶつけてしまうかもしれない。
テーブルの上にメモを置く。
「カフェのオープン準備があるので戻ります。
ゆっくり休んでください」
それだけ書いて、部屋を出た。
ーー
カフェに戻っても、仕事に集中できなかった。
ミルを挽く音、カップの触れる音、全部が遠く感じる。
いつも通りに言うけど、自分の声が自分じゃないみたい。
頭の中には、あのノートの言葉ばかり浮かぶ。
“スンミンは俺を探してないから”
違う、と否定できない紛れもない真実。
僕は何も覚えていなかった。
でも、それで仕方ないと済ませていいのか分からない。
深く息を吐く。
その時
カラン
ドアベルの音で、反射的に顔を上げる。
リノさんだった。
少し急いで来たのか、髪が乱れていて、息も少し上がっている。
僕と目が合った瞬間、リノさんの目が、ほんの少しだけ揺れる。
安心したような、でもどこか不安そうな。
ゆっくり近づいてくると同時に、僕の心臓がまたうるさくなる。
……どうする
何も知らないふりをするのか
それとも
名前を呼ぶと、リノさんは小さく頷いた。
そして、ポケットからメモ帳を取り出して、書く。
「朝、いなかったからびっくりした」
その文字を見た瞬間、胸が痛む。
そんな不安な顔をさせるつもりじゃなかった。
けど、口がうまく動かない。
思っていたよりも、冷たい声が出た。
自分でも驚くくらい。
数秒の沈黙のあと、またゆっくり書く。
「邪魔しないから、ここにいてもいい?」
まっすぐ、僕を見る目
また、突き放すような言い方になる。
最低だと分かってるのに止められない。
リノさんは目を伏せて、小さく頷いた。
ーー
リノさんはコーヒーを飲み、ただ静かに座っている。
時々、こちらを見る視線を感じるけど
僕は見ないようにした。
見たら、また冷たい態度をとってしまいそうで。
……三年間も探してやっと会えた相手に、
こんな距離を置かれるなんて普通は耐えられるのか?
手が止まる。
もう無理だ。
顔を上げると、リノさんと目が合った。
その瞬間
リノさんが立ち上がって、こっちに来た。
メモ帳を取り出す手が、少し震えているのが見えた。
「俺、何かしちゃった?」
違う、リノさんは全く悪くない。
リノさんの瞳が、わずかに揺れる。
「じゃあ、なんで」
書きかけて、止まった。
言葉を選んでいるのが分かる。
その沈黙が、痛い。
僕は視線を逸らした。
言えない
あの三年を見たなんて
僕が、何も覚えていないなんて
こんなにも、リノさんと僕の過ごしてきた日々の重さが違うなんて。
絞り出すように言う。
最低な言葉だ
でも、整理もつかないままリノさんに対して繕って話すことはできないと思った。
しばらくの沈黙のあと
カサッ
紙の音がした
視界の端で、リノさんが何かを書いて、そっとカウンターに置いた。
顔を上げる前に、足音が遠ざかる。
カラン
ドアベルの音が鳴る。
行ってしまった
慌てて紙を見ると、そこには
「ごめん」
それだけ
胸が強く締めつけられる
違う、謝るのは僕の方なのに
でも、追いかけたいけど、足が動かない。
僕はまだ、全て受け止めることが出来なかった
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編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。