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第3話

月夜とめがね 3
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2023/08/01 11:00
少女
私は、町の香水製造場こうすいせいぞうじょうにやとわれています。毎日、毎日、白ばらの花からとった香水をびんにつめています。そして、夜、おそく家に帰ります。今夜もはたらいて、ひとりぶらぶら月がいいので歩いてきますと、石につまずいて、ゆびをこんなにきずつけてしまいました。私は、いたくて、いたくてがまんができないのです。血が出てとまりません。もう、どの家もみんなねむってしまいました。この家の前を通ると、まだおばあさんが起きておいでなさいます。私は、おばあさんがごしんせつな、やさしい、いいかただということを知っています。それでつい、戸をたたく気になったのであります。
と、かみの毛の長い、美しい少女はいいました。
 おばあさんは、いい香水のにおいが、少女のからだにしみているとみえて、こうして話しているあいだに、ぷんぷんと鼻にくるのを感じました。
おばあさん
そんなら、おまえは、私を知っているのですか。
と、おばあさんはたずねました。
少女
私は、この家の前をこれまでたびたび通って、おばあさんが、窓の下で針しごとをなさっているのを見て知っています。
と、少女は答えました。
おばあさん
まあ、それはいい子だ。どれ、そのけがをした指を、私に見せなさい。なにかくすりをつけてあげよう。
と、おばあさんはいいました。そして、少女をランプの近くまでつれてきました。少女はかわいらしい指を出して見せました。すると、まっ白な指から赤い血が流れていました。
おばあさん
あ、かわいそうに、石ですりむいて切ったのだろう。
と、おばあさんは、口のうちでいいましたが、目がかすんで、どこから血が出るのかよくわかりませんでした。
おばあさん
さっきのめがねはどこへいった。
と、おばあさんは、たなの上をさがしました。めがねは、目ざまし時計のそばにあったので、さっそく、それをかけて、よく少女のきず口を、見てやろうと思いました。
 おばあさんは、めがねをかけて、この美しい、たびたび自分の家の前を通ったという娘の顔を、よく見ようとしました。すると、おばあさんはたまげてしまいました。それは、娘ではなく、きれいな一つのこちょうでありました。おばあさんは、こんなおだやかな月夜の晩には、よくこちょうが人間にばけて、夜おそくまで起きている家を、たずねることがあるものだという話を思いだしました。そのこちょうは足をいためていたのです。
おばあさん
いい子だから、こちらへおいで。
と、おばあさんはやさしくいいました。そして、おばあさんはさきに立って、戸口から出てうらの花園はなぞのの方へとまわりました。少女はだまって、おばあさんのあとについて行きました。
 花園には、いろいろの花が、いまをさかりと咲いていました。ひるまは、そこに、ちょうや、みつばちが集まっていて、にぎやかでありましたけれど、いまは、葉かげでたのしいゆめをみながらやすんでいるとみえて、まったくしずかでした。ただ水のように月の青白い光が流れていました。あちらのかきねには、白い野ばらの花が、こんもりとかたまって、雪のように咲いています。
おばあさん
娘はどこへ行った?
と、おばあさんは、ふいに、立ちどまってふりむきました。あとからついてきた少女は、いつのまにか、どこへすがたを消したものか、足音もなく見えなくなってしまいました。
おばあさん
みんなおやすみ、どれ私もねよう。
と、おばあさんはいって、家の中へはいって行きました。
 ほんとうに、いい月夜でした。

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