朝。
梟谷学園の体育館。
昨日の騒ぎが嘘だったかのように、いつもの朝が戻っていた。
木葉秋紀は大きく欠伸をした。
木葉は苦笑する。
けれど。
赤葦は気づいていた。
木葉が時々、自分の胸元を確認していることに。
そこには。
三つの名前がある。
《Auctor Folia》
《Folia Cadentia》
そして。
《Folia Aeterna》
昨夜から。
それらは一度も消えていない。
「木葉!」
木兎が走ってくる。
いつものやり取り。
木葉は笑った。
――少なくとも。
表面上は。
その日の練習が終わった後。
赤葦が一冊の古い記録帳を持ってきた。
木葉は記録帳を受け取った。
表紙には。
古い文字で、
**『ヴァンピール発症記録・特異事例』**
と書かれている。
ページをめくる。
一枚。
二枚。
三枚。
そして。
赤葦の指が止まった。
### 『被験者――K・A』
### 年齢――幼年
### 血統――不明
### 真名――封印
### 禍名――未発症
### 特記事項――
### **「永名」の兆候を確認。**
木葉の手が止まった。
「さらに」
赤葦が次のページを開く。
そこには。
小さな絵が描かれていた。
黒い猫。
木葉の顔から。
一瞬で笑みが消えた。
木葉は紙に触れる。
黒猫。
幼い木葉が。
いつも一緒にいた猫。
名前は――
木葉が頷く。
「普通ですね」
木葉は少し笑った。
指が震える。
記憶が。
また蘇る。
幼い木葉。
夜。
雨。
泣いている。
黒猫が。
木葉の前に座っていた。
その瞳が。
一瞬だけ。
赤く光る。
幼い木葉は首を傾げる。
黒猫が鳴く。
そして。
木葉の胸元へ。
小さな前足を当てた。
**光。**
幼い木葉の周囲を。
緑色の葉が舞う。
その中心で。
黒猫が。
人の声で言った。
「――眠れ」
現在の木葉が息を呑んだ。
赤葦が驚く。
木葉は首を振る。
記憶が。
さらに深くなる。
『秋紀』
誰かが呼んでいる。
『あなたは、忘れなさい』
『この名前も』
『この力も』
『この夜のことも』
幼い木葉が泣いている。
『大丈夫』
『あなたは、何も悪くない』
『……』
『あの子は――』
声が途切れる。
そして。
『あなたを守った』
木葉は目を開けた。
体育館が静かだった。
その名前を。
もう一度。
口にする。
赤葦は頷く。
赤葦が記録を示す。
木葉は黙り込んだ。
木葉が顔を上げる。
赤葦は答えなかった。
ページをめくる。
最後の一文。
『使い魔クロ――所在不明』
木葉の顔が固まる。
木葉は紙を握った。
声が震える。
赤葦が即座に遮った。
赤葦はもう一度言った。
そのとき。
体育館の外から。
**ニャァ。**
という声がした。
全員が振り返る。
木葉だけが。
ゆっくり立ち上がった。
もう一度。
**ニャァ。**
木葉が走り出した。
赤葦たちも追いかける。
体育館の裏。
誰もいない。
木葉は周囲を見回す。
すると。
校舎の屋根。
そこに。
一匹の黒猫が座っていた。
木葉と目が合う。
赤い瞳。
黒猫は。
じっと木葉を見る。
そして。
屋根から飛び降りた。
「危ねぇ!」
木葉が手を伸ばす。
しかし。
猫は軽やかに着地し。
木葉の足元を通り過ぎる。
木葉が追いかける。
木兎たちも走る。
黒猫は。
校門を抜け。
路地へ。
さらに。
古い建物の間へ。
木葉は夢中で追った。
黒猫が振り返る。
その瞳が。
赤く光る。
木葉が止まる。
黒猫の周囲に。
黒い葉が舞う。
いや。
違う。
その葉は。
黒ではない。
**白い。**
一枚の白い葉が。
木葉の手のひらへ落ちる。
その瞬間。
声がした。
『秋紀』
『大きくなったね』
『うん』
木葉の目が大きくなる。
『やっと思い出してくれた』
声が震える。
『ずっと近くにいたよ』
『本当』
「じゃあ何で姿を見せなかった」
『あなたが、まだ自分を許せていなかったから』
『私が戻れば、あなたは過去を見ることになる』
『だから待っていた』
木葉は。
しばらく黙っていた。
そして。
黒猫を見る。
『ないよ』
『それは、私が忘れさせたから』
『あなたを守るために』
木葉は唇を噛んだ。
『うん』
『うん』
黒猫は。
小さく鳴いた。
『ごめんね』
木葉はしゃがみ込んだ。
そして。
そっと手を伸ばす。
黒猫が近づいてくる。
その頭に触れた瞬間。
木葉の胸元が光った。
《Auctor Folia》
《Folia Cadentia》
《Folia Aeterna》
三つの名前。
その隣に。
新たな文字が浮かぶ。
《Folia Memoria》
赤葦が息を呑む。
男の声がした。
全員が振り返る。
昨日のヴァンピールだった。
木葉が睨む。
男は黒猫を見る。
男は静かに言った。
木葉の表情が変わる。
男は続けた。
木葉の目が見開かれる。
男は黒猫を見る。
一拍。
黒猫の瞳が。
強く赤く光った。
木葉が呟く。
誰も答えない。
ただ。
黒猫が。
悲しそうに鳴いた。
そして。
木葉の頭の中に。
最後の記憶が流れ込んだ。
幼い木葉。
その前に。
一人の少年が立っている。
木葉より少し年上。
赤い瞳。
黒い髪。
そして。
笑っている。
『秋紀』
幼い木葉が笑う。
『兄ちゃん!』
――兄。
『約束したよね』
『うん!』
『俺が絶対、秋紀を守る』
『……ほんと?』
『本当』
少年は木葉の頭に手を置く。
そして。
小さく笑う。
『だから――』
少年の目が。
赤く染まる。
『俺のことを、忘れて』
木葉が現実に戻る。
膝から力が抜ける。
赤葦が支える。
木葉は震えていた。
初めて。
その言葉を口にした。
目の前の黒猫を見る。
黒猫は。
ただ静かに。
木葉の手に頭を擦りつけた。
遠く。
どこかの建物の屋上。
一人の男が。
その光景を見ていた。
赤い瞳。
そして。
胸元に浮かぶ。
三つの名前。
男は小さく笑う。
その手には。
一枚の黒い葉。
風が吹く。
黒い葉が舞う。
その瞳が。
木葉を見つめる。
男は呟いた。
木葉は知らない。
自分のヴァンピール化の始まり。
真名の封印。
禍名の発症。
そして《永名》の誕生。
その全ての中心に。
**一人の「兄」がいたことを。**
そして。
その兄が。
今も。
木葉を守ろうとしていることを。
















編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。