18歳から26歳。
高校、大学、そして社会人になってからの4年間。
そのほとんどを家族より長く一緒に過ごしていれば、
嫌でも相手のことを知るようになる。
好きな食べ物、嫌いな食べ物。よく聴く曲。
眠そうな日の表情。機嫌がいいときの笑い方。
緊張しているときに出る癖。
誰にも気づかれないような小さな変化だって、
気づこうと思わなくても目に入る。
8年という歳月は、それだけ長い。
だからジミンは知っている。
あなたがどれだけ親しくなった相手に対しても、
一定の境界線を引くタイプだということ。
誰よりも優しいくせに、
自分は誰にも寄りかかろうとしないこと。
けれど、知っていることと踏み込めることは別だった。
長い時間を共に過ごしたからといって、
相手の心に入る許可を得られるわけではない。
だからこそ、近くにいることを許されているだけで
十分だと、自分に言い聞かせてきた。
言い聞かせてきた、はずだった。
4月
aespaのメンバー達は海外公演へ向かうため、
早朝の空港を歩いていた。
出発を告げるアナウンスとキャリーケースの車輪が転がる音が絶え間なく響くなか、彼女たちの周囲だけは
別の熱を帯びていた。
待ち構えていた記者たちからカメラのレンズが一斉に向けられ、少し離れた場所ではファンたちが名前を呼びながらスマートフォンを掲げている。
見慣れた光景だった。
何百回と経験してきたはずなのに、人の波に
囲まれる感覚だけはいつまで経っても慣れない。
たまたま隣を歩いていたあなたは、
そんな喧騒にも表情を変えない。
声をかけられれば穏やかに微笑み、
歩幅を乱すことなく前を向いている。
その横顔を見ていたときだった。
前方で人の流れが不自然に揺れた。
誰かが急いでいたのか、それとも押された拍子だったのか、理由まではわからない。
ただ、その動きがあなたのすぐ近くを
かすめるのが見えた。
危ない、と頭で認識するより先に体が動く。
ジミンは咄嗟にあなたの腕へ手を伸ばし、
人波から遠ざけるように自分のほうへ引き寄せた。
静かな声だった。
空港のざわめきに紛れてしまいそうなほど小さな一言
なのに、不思議とそれだけがはっきり耳に残った。
機内でもたまたまジミンの隣になったあなたは、
離陸して間もなく目を閉じていた。
あなたは長時間のフライトではよく眠る。
ただ、それは大抵映画や本を
ひとしきり楽しんだ後のことだった。
そう思ったものの、今回のツアーの忙しさを考えれば
不思議なことでもなかった。
寝られるときに寝ておこう。
そう思ってジミンもシートに深く身を預けるが、
意識はなかなか沈んでいかなかった。
パリに着いた翌日。
朝から行われたリハーサルはスムーズに終わった。
ホテルの駐車場で一同が車を降りたその時。
ふと後方にいたあなたが声を上げた。
マネージャーに確認を取るような穏やかな口調。
その声を聞きつけたミンジョンがぱっと振り返る。
あなたは2人へ視線を向け、小さく笑う。
ほんのわずかに困った色が混じったようにも見えた。
そんな中、えりが何気ない調子で口を開く。
すると今度は2人の興味がそちらへ向いた。
さっきまで散歩に乗り気だった2人の意識が
あっさり移ったことに、えりは肩をすくめて笑う。
マネージャーから、位置情報を共有すること、
日が落ちる前には戻ってくることを約束に、
あなたは一人での外出が許可された。
その声に、ミンジョンとニンニンは小さく歓声を上げる。
あなたは優しく微笑んでから、
反対方向に歩き出した。
ジミンは荷物を置いてソファへ身を沈める。
頭に浮かんでくるのは、やっぱりあなたのことだった。
リハーサルでも特に変わった様子はなかった。
無かったはずなのに、何かが引っかかっている。
言葉にしようとすると、途端に輪郭を
失ってしまうような曖昧な違和感だった。
ポケットから取り出したスマートフォンと数分間
にらめっこをしたあと、小さく息を吐いてから
マネージャーの連絡先を開いた。
マネージャーから送られてきた場所は、
ホテルからほど近い庭園だった。
検索をかけてみれば、パリで最も古い歴史を持つ庭園の
一つらしく、画面に映る写真にはどこまでも続く緑と
整然と並んだ並木道が広がっている。
こんな広い場所で、本当に見つけられるだろうか。
そんな不安を抱きながら、ジミンは部屋をあとにした。
ジミンが声を掛けると、帽子で顔を隠すようにして
整備された芝生の上に寝転がっていたあなたが
ゆっくりと顔を向けた。
あなたは驚いた様子もなく、静かに頷いてから
再び視線を空へ戻す。
ジミンが隣に腰を下ろしてから、
しばらく2人は言葉を交わさなかった。
頭上では木々の葉が風に揺れ、遠くから
人々の話し声がかすかに聞こえてくる。
そんな穏やかな沈黙を破ったのはあなただった。
ぽつりと落ちた声は、風に溶けるように静かだった。
あなたはジミンと目を合わせてから、
ゆっくりと口を開いた。
拍子抜けするほどあっさりした口調だった。
まるで大したことではないとでも言うような話し方に、
ジミンは思わず眉をひそめる。
短く、素直な謝罪だった。
その声に迷いはなかった。
ジミンを心配させまいと適当に取り繕った言葉じゃない。
だからこそ、ジミンの胸の奥には
言いようのないもどかしさが募る。
そこで言葉が途切れる。
ゆっくりと身を起こしたあなたとジミンの間を
風が通り抜けた。
絞り出した声は情けないほど震えていた。
あなたの口からこぼれた言葉に、
ジミンは返事をすることができなかった。
誰にでも同じように気を配り、
同じように手を差し伸べる人だった。
ジミンは少しだけ迷ってから、小さく問いかける。
あなたは一瞬目を瞬かせ、それから視線を逸らす。
珍しく言葉を探しているようだった。
ジミンはまっすぐあなたを見つめる。
安堵を含んだような、優しい目をしていた。
少しの沈黙のあと、静かに放った言葉。
ただ事実を伝えるような口調だったのに、
嬉しさと同時に、泣きたくもなった。
あなたは何も言わなかったが、
その代わりに少しだけ肩を寄せる。
本当に少しだけ。
他の人なら気づかないほどの距離だった。
けれどジミンには、それだけで十分伝わった。
ジミンが睨むように見れば、あなたは柔らかく笑った。
先に立ち上がったあなたが、
ジミンに向かって右手を差し出す。
引き上げられるように立ち上がったジミンは、
すぐにあなたの隣に並んで歩き始めた。
物理的な距離は何も変わっていない。
けれど、2人の間にあった見えない境界線だけが、
ほんの少しだけ柔らかくなっていた。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!