伊黒がその場を去り、静寂が戻った森の影。
寿々は、伊黒が残していった羽織を深く被り、じっと夜を待っていた。
しかし、そこへもう一人の足音が近づいてくる。
荒々しく、落ち葉を踏みしめる音。
現れたのは、風柱・不死川実弥だった。
彼は任務の帰りに偶然この場所を通りかかり、木陰にうずくまる「不自然な塊」を見つけた。
それが、自分が最も嫌悪する「あの鬼」だと気づくのに時間はかからなかった。
実弥は苛立ちを隠さず、大股で寿々に歩み寄る。
彼にとって、鬼は等しく滅ぼすべき悪だ。
お館様の許しがあろうと、その根源的な憎悪は消えない。
実弥は、寿々の頭を覆っている伊黒の羽織を無理やり剥ぎ取ろうと、その端を乱暴に掴んで跳ね上げた。
寿々の悲鳴に近い制止は間に合わなかった。
羽織が捲れ上がり、昼の微かな反射光がその下に隠されていた姿を露わにする。
実弥の動きが、凍りついたように止まった。
掴みかかろうとした手の指先が、目に見えて震え始める。
そこにあったのは、最強の鬼としての威厳など微塵もない、無残に崩壊した「肉」だった。
日光に焼かれた寿々の細い腕は、ドロドロに溶け、赤黒い肉芽が絶え間なく蠢いている。
再構築が追いつかないほど深く焼かれた傷口からは、
未だにジリジリと肉が焼ける嫌な音と共に、白い煙が細く立ち上っていた。
実弥は言葉を失った。
彼は誰よりも鬼の生命力の醜悪さを知っている。
だが、目の前の少女の腕は、再生の喜びなど感じさせないほどに痛ましく、
ただ「絶え間ない拷問」をその身に受け続けているように見えた。
寿々は焼けた腕を隠すように、ボロボロと崩れる自分の皮膚を必死に抱え込み、震える瞳で実弥を見上げた。
その声は、かつて実弥が守れなかった、
そして自分を庇って死んでいった「人間」の家族が上げた悲鳴と、あまりにも似通っていた。
実弥の脳裏に、凄惨な過去の記憶がフラッシュバックする。
鬼を憎み、鬼を殺すために生きてきた。だが、自分たちが守るべき正義の裏側で、
自分たちの仲間であるはずの隊士が、これほどまでに残酷な手段でこの少女を殺そうとした。
実弥の声は、地を這うように低く、怒りで震えていた。
寿々を斬るために伸ばしたはずの手は、
今は怒りと、自分でも整理のつかない「同情」に近い何かで、固く握りしめられていた。
実弥の声は、これまでに寿々が聞いたどの柱の声よりも冷たく、そして鋭かった。
彼は剥ぎ取った羽織を、今度は乱暴ながらも光を遮るように寿々の上へ投げ戻すと、
そのまま振り返ることもなく森の出口へと歩き出した。
その背中からは、周囲の木々が震え上がるほどの凄まじい「怒りの匂い」が立ち上っている。
産屋敷邸のほど近く、隊士たちの待機所。
そこには、寿々を東の地へと追い回した鴉を操り、
ほくそ笑んでいた数人の隊士たちが集まっていた。
彼らが卑劣な成功に酔いしれ、酒を酌み交わそうとしたその時。
ドォォォンッ!!
建物の扉が、枠ごと吹き飛んだ。
爆風と共に踏み込んできた男の姿を見て、隊士たちの顔から一気に血の気が引く。
実弥の瞳は血走り、顔中の傷跡が怒りで真っ赤に浮き出ている。
彼は一歩、また一歩と、獲物を追い詰める獣のような足取りで近づいた。
実弥が隊士の一人の胸ぐらを掴み上げ、そのまま壁に叩きつけた。
みしり、と壁にひびが入る。
実弥の怒号が屋敷を震わせる。
実弥の頭をよぎるのは、森の影でドロドロに焼け爛れながら、
自分を「人間」だと思って信じようとしていた寿々の、あの絶望した瞳だった。
鬼である彼女が規律を守り、命を懸けて戦っている裏で、
守られる側の人間が規律を汚し、私刑を楽しんでいる。
その構図が、実弥の正義を根底から逆なでしていた。
その夜、待機所からは明け方まで、風柱による凄絶な「再教育」の悲鳴が絶えることはなかった。
実弥は、彼女を救うために動いたのではない。
ただ、己の信じる「鬼殺隊」という誇りを汚した者たちを、許せなかったのだ。













編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。