第5話

5 それだけなのに
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2022/07/05 14:13 更新
あれだけ赤黒く染まった空が晴れていく。戦いは、終わったらしい。 聖地が、こんなにも血生臭く、屍の蔓延る地になってしまった。魔物の死骸、剣士や魔術師の死体、見てて吐きそうだった。大地が揺れ、少しずつ少しずつ高くなっていく。ハイリア様が、空高くへ大地を浮かべるのだと。魔の手が伸びないように。ロアを抱き、地上を見下ろす。血染めの大地、動かぬ鎧たち、その中に、緑の…。
仲間たちが彼へと手を伸ばす。彼を呼ぶ声は、私には入ってこない。彼も、その手に応える様子もない。ばか、ホントばかねあなたは。そうやって、いつも私やロアに無茶をさせようとする。地上が浮かび、まだ数メートル。凡人が降りたら怪我するかも。でも、無謀でいい、どうなろうといい。私は、空へと旅立とうとする大地からロアを抱きしめ飛び降りた。あまり俊敏ではないから、倒れてゴロゴロと転ぶ。でもそのおかげで怪我は擦り傷くらいだし、ロアも無事。あなたさん何してんだ、なんて天から聞こえるが、あなたの声など知らない、放っておいてほしい。


「…ばか、あなたお前…」

「やだ、一番ばかな人にばかって言われたわ。」


瓦礫にもたれるリンクの胸にロアを抱かせ、私は空いた手でリンクの体を抱き寄せた。リンクから流れた命の海が、私の服を赤く汚す。未だ止まらぬ血、リンクの体に力がなく、とても重い。リンクの手が、空を探る。きっと目なんて、ろくに見えてないのかもしれない。私はその手を優しく取って、強く強く握りしめた。指先が、氷のように冷たい。ばかなのはあなた。また、私たちと離れ離れになるつもり?言っとくけど、私身内ってものに執着してるのよ。二度ならず三度までも、身内をなくす気はさらさらないのよ。リンクの鼻をギュッとつまむ。いつもはやめろよ、なんて笑ってくれるのに、リンクは何もしてこない。


「…何で、空に……いかなかったんだ……」

「…旦那のこと置いてく嫁がいますか。あなたがいないのなら、平和に暮らしても意味ないのよ。…一緒にいて当たり前なの。私たちは…家族なんだから…。」


私は、あなたのそばに居られるなら地獄でも喜んで暮らすわよ。リンクの冷たい手を頬に当てる。リンク、わかるかなぁ、あったかいでしょ私の顔。慣れないことして汗かいてるの。心臓もドキドキしてる。涙だって、止まらないの。リンクの手にたくさんたくさん頬ずりをする。あっためたくて、冷たくなって欲しくなくて、強く握って押し付けた。お願い、死んじゃいや。リンク、生きて。私たちまだこれからでしょう。ロアだって小さいのよ。あなたがいないとこの子はどうするのよ。使命なんて、知らないわよ。剣士である前にあなたは私の夫でしょう、この子の父親でしょう。護るべきもの、履き違えてんじゃないわよ。リンクの唇にキスを落とす。どうにか生きて欲しくて、でも何もできなくて、ただただ彼の重い体を抱きしめた。この人を、どうにも失いたくなかった。


「…ろあ、ないてるよ…っ、はやく、あやしてあげなさいよ……あ、あなたっ、い、いちどでもこのこのこと、だ、だいたことあったぁ…!?」


目を開けて、そんな、ちゃんと首起こさないと肩こるよ。ロアの泣く声は大きくなるが、リンクの手はロアから滑り落ちてだらりと地面に垂れている。リンク、リンク、お願い、神様、あなたの為に彼は命を捧げたの。ずっと、私の願い聞いてたでしょう。国を護った勇者の伴侶の願い、聞こえてないはずないわよね。どれだけ私が思っていたか、知ってるでしょう。お願い、彼を救って、彼を…。もう切るほど長くない髪。ぷつり、一本髪を切り、リンクの左手の薬指に結びつけた。


「リンク、リンク…」


見たことのない女性、けれど聞き覚えのある声。なんとなく、察した。この人が、わたしがずっと祈りを捧げてきた神なのだと。ぽつり、ぽつりと語り始める女神様。私と同じように、リンクを想い、涙を流して。
マスターソードとか、リンクが未来永劫剣の持ち主だとか、わからなかった。でも、リンクがこの女神のように、ハイリアの大地と民を愛していたのは、ああ確かに、あなたはいつもそうだったと、思わせた。この女神は、ずっとリンクが苦痛の渦中にいたことを見ていたのだと、ずっと、身を切られるように同じく苦しんだ、らしい。苦しむだけ?導くだけ?何にも,してないじゃない。ただ、女神を責めることはできなかった。命を惜しまぬ道を選び、果てたのはリンク自身だ。この女神を責めたら、リンクの選択を無駄にするように思えて、何も言えなかった。


「…あなた」

「…何。」

「貴女の願い、しかと私に届いていました。…何も施すことが出来ず、至らぬばかりで申し訳ないと、悔いておりました。」


別に今更、そんなこと謝られても。私の願いは、偶然であれ神の施しであれ、叶ったのだ。きっと話は別。今はただ、最愛の人を亡くした事実が、どうにも受け入れられない。女神が見初めた魂だから、女神に連れていかれてしまったのか、という感さえあった。今まで信じ祈りを捧げてきた女神が、今はどうにも信じられない。


「…貴女には、辛い思いばかりをさせてしまったと…。せめて、私からの償いをさせてください。次、転生するときも、彼の元に居られるよう……」


亡き夫の胸に抱かれる娘を撫で、女神を静観した。次、転生する時、とは、どういうことなのだろうか。白痴な私にはさっぱりわからなかった。彼のそばにまた、いることができるなら、彼とともに笑いあえることが確かなものになるならば、私はそれを望もうと思う。私はまだ、あなたのものでありたかった。

「貴女の強い祈りに、私に一つの想いが芽生えたのです。きっと、魔の者は再び、聖三角を狙って必ずや復活するでしょう。聖三角が、二度と悪しき者の手に渡らぬよう、貴女に、護って貰いたい、と…。」

「…そんな事、望んじゃいない、私はただ…。」

「…きっと魂が導き合います。また巡り会えますよ、大丈夫」

柔らかく微笑んで、前にかがんで口から黒く光る珠を吐き出す。そうして、私の胸に、押し付けた。私は、何も許しちゃいないのに。意に反して受け入れる私の体の器。何も変わったことはないが、風が撫で視界に入る毛先が、ああ、黒いなと漠然と思った。

「私がずっと見守ってきた、聖三角の、最後の一つ。彼女が、三代女神から受け継いだ、誰にも知られるのことない最後の鍵を…」

彼女の手から浮かび上がった黒い三角形。彼女が私の手を取り、そっと離せば、私の手の甲に、焼きついていた。いつの日もハイリアの民に、彼に、麗しい御加護がありますように、どうか、この最後の聖三角を、貴女に。私は、手のひらに浮かんだ黒い逆三角形を、静かに見つめた。


「…かの者の封印を強めるために、私の魂をより清めなければなりません。…私の魂の黒き部分を、貴女に授けました。私の魂は洗練され、空の安寧は長きに渡り続き、そしてまた巡り合うでしょう。」


女神様の魂が半分になった今、彼女は神としては存在することが出来ないという。彼女は、また勇者の魂とともに、人として、彼と二人で生まれてこようと、そう言い残して静かに消えていった。

嵌められた。悟る。しかし悟るにはあまりにも遅すぎる。女神の言葉に漸く、二人が来世で巡り合うための操作をされたのだと気づく。なんて邪な、なんて狡猾な…想いに漬け込まれ、要らない穢れを言葉巧みに売りつけられただけではないか。待てと手を伸ばすも、最早あの女神は、あの女はどこにいるかも分かりはしない。

彼の忘れ形見を抱き、私は時の神殿を後にする。約束された未来。けれどどうにも飲み込めない。結局貶められ、彼の運命を女神に奪われてしまう。どうして、私にはいつもハッピーエンドはこないのだろう。私はただ、彼とともに在りたかっただけなのに。

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