第44話

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2026/02/19 22:44 更新






意識が浮上した時、最初に感じたのは冷気と、波に揺られる不快な感覚だった。
 重い瞼を開けると、そこは鉄格子に囲まれた薄暗い空間だった。


「……う……」

「あなたさん!? 気がつきましたか!?」


 焦燥感に満ちた声と共に、誰かの手が私の肩に触れた。
 目が慣れてくると、目の前にコビーの顔があった。
 彼の手足には手錠がかけられ、私の手首にもずっしりと重い感覚――海楼石の手錠が嵌められていた。


「よかった……! ずっと目を覚まさなくて……怪我の具合はどうですか? 寒くないですか?」


 コビーが私の顔を覗き込み、額に手を伸ばしてくる。
 いつもの、過保護で優しいコビーだ。
 でも、その優しさが今の私にはチクリと痛い。
(……ダメだ)
 私は反射的に、ビクッと体を後ろに引いてしまった。


「……え?」


 コビーの手が空を切る。
 彼は驚いたように目を丸くし、それから少し傷ついたような顔をした。


「……あなたさん? どうしたんですか?」

「あ、ごめん。……ちょっと、びっくりして」


 私は膝を抱えて、コビーから少し距離を取るように座り直した。
 違う。コビーが嫌いなわけじゃない。
 でも、あの女ヶ島での叫びが――「僕には心に決めた人がいますから」という言葉が、呪いのように耳に残っているのだ。
(これ以上甘えたら、コビーに迷惑がかかる。……コビーには大事な想い人がいるのに、幼馴染の私が距離感もわからずベタベタしてたら、その人に悪いし……)
 私は勝手に気を使って、勝手に壁を作った。
 コビーは困惑している。なぜ私が目を合わせないのか、なぜ距離を取るのか、全くわかっていない様子だ。


「ゼハハハハハ!! お目覚めか、海軍の英雄と便利屋姉ちゃん!!」


 不意に、鉄格子の向こうに巨体が現れた。
 四皇・黒ひげだ。ニヤニヤしながら私たちを見下ろしている。


「黒ひげ……!! ここはどこだ!!」


 コビーが立ち上がり、鉄格子に食らいつく。


「俺の船、サーベル・オブ・ジーベック号の船倉だ。安心しろ、もうすぐ俺たちの楽園『ハチノス』に着くぜ」

「ハチノス……海賊島……!」

「お前らは俺の大事な交渉材料だ。……英雄コビーの命と、そっちの姉ちゃんの『パスパスの実』。海軍(サカズキ)がどっちにどれだけの値を付けるか、見ものだなァ!!」


 黒ひげが高笑いをして去っていく。
 再び、重苦しい沈黙が檻の中に満ちた。
 ここは四皇の本拠地へ向かう船。脱出は不可能に近い。
 海楼石のせいで私は無力な少女だし、コビーも手錠で拘束されている。
 絶望的な状況だ。だからこそ、余計に「邪魔しちゃいけない」という思いが強くなる。


「……あなたさん」


 沈黙に耐えかねたように、コビーが口を開いた。
 彼は座ったまま、じり、と膝を進めて私に近づこうとする。


「さっきから、様子が変です。……僕、何かしましたか?」

「してないよ」

「じゃあ、なんで避けるんですか? なんで目を合わせてくれないんですか?」


 その声は必死だった。
 暗がりでもわかる。彼は今、捨てられた子犬のような顔をしている。


「……別に」


 私は視線を床に落としたまま、ボソボソと言った。


「コビーには……その、大事な人がいるんでしょ?」

「は?」

「ハンコックの前で言ってたじゃん。『心に決めた人がいる』って」


 口に出すと、胸がズキズキ痛んだ。
 でも、言わなきゃ。


「だから……私なんかがベタベタしてたら、悪いかなって。これからは同僚として、適切な距離を保とうと思って……」

「…………」


 私が言い終わると、コビーは絶句して固まった。
 数秒の沈黙。
 そして。


「……はぁぁぁぁぁぁぁ…………」


 コビーが、両手で頭を抱え、地の底から響くような長〜〜〜い溜息をついた。
 それはもう、呆れと疲労と絶望が入り混じった、魂の抜けるような溜息だった。


「……え、なに? なんでため息?」

「……あなたさん。貴女って人は……」


 コビーが顔を上げる。
 その顔は、怒っているような、泣きそうな、そして「どうしてくれようか」と言いたげな複雑な表情だった。


「本当に、心の底から……バカなんですか?」

「はぁ!? 気を使ったのにバカって何よ!」

「バカですよ!! 大バカ者です!!」


 コビーが叫んだ。
 そして、手錠が掛かったままの両手で、私の肩をガシッと掴んだ。


「ひゃっ!?」

「いいですか!? よく聞いてください!」


 コビーの顔が近づく。
 鼻先が触れそうな距離。眼鏡の奥の瞳が、剣幕で私を射抜いている。


「僕に『心に決めた人』がいようがいまいが! 貴女が僕の『相棒』である事実は1ミリも変わりません!!」

「で、でも……その人が嫉妬したら……」

「しませんよ!! というか、させるもんか!!」


 コビーが声を荒らげる。


「貴女は僕の背中を預ける唯一のパートナーです! ロッキーポートでも、あの頂上戦争でも、ずっと一緒に死線を越えてきたんです! ……それを『遠慮』なんてふざけた理由で、勝手に距離を置くなんて許しませんよ!?」
 コビーの手が、痛いくらい強く私の肩を握りしめる。
「僕がどれだけ貴女を大事に思ってるか、まだわからないんですか!? 貴女に避けられるのが、黒ひげに捕まるより怖いって言ってるんです!!」


 ――ドクン。


 その言葉の熱量に、私は圧倒された。
(……そっか)
 恋愛感情とか、そういうのは別として。
 コビーにとって私は、代わりの利かない存在なんだ。
 それがわかっただけで、冷え切っていた胸の奥が、カッと熱くなった。


「……わかった。わかったよ、コビー」


 私は力が抜けて、コビーの胸にコテンと頭を預けた。


「ごめんね。私、バカだった」

「……はい。本当に、鈍くて手のかかるバカです」


 コビーが脱力したように私の頭に顎を乗せる。


「……はぁ。胃が痛い。貴女のせいで寿命が縮みます」

「ごめんってば。……でも、よかった」

「何がですか?」

「コビーに嫌われたんじゃなくて、よかった」


 私がへらっと笑うと、コビーは「……たくもう」と呆れながら、でも優しく私の頭を撫でてくれた。
(……心に決めた人、かぁ)
 一体どんな子なんだろう。
 きっと、私みたいにガサツじゃなくて、賢くて綺麗な人なんだろうな。
 ちょっとだけ胸がチクリとするけど、今はまだ、この特等席(相棒のポジション)を譲る気はない。
 
 だって、この温もりを知ってるのは、世界で私だけだもん。


「……ここから出たら、一番高いお肉奢るから許して」

「当たり前です。デザートもつけさせますからね」


 私たちは暗闇の中で寄り添った。
 物理的な距離はゼロ。
 でも、心の距離はまだ「最強の相棒」止まり。
 コビーの長い長いため息の意味に、私が本当に気づくのは、まだずっと先の話だ。
 その頃。
 海軍支部G-14では、二人が拉致されたという知らせを受けたヘルメッポが、サングラスを叩き割ってブチ切れていた。


「あいつらを……俺のダチを返せェェェェ!! 待ってろコビー、あなた!! 今すぐ助けに行くからなァ!!」


 SWORDの反撃が、今始まろうとしていた。

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