第8話

#8
269
2018/03/05 14:25 更新
日は沈みかけ、辺りが薄暗くなってしまった頃。それでも僕は薫さんを待ち続けていました。

いつもの特等席の窪みに座ると、上から桜の花びらが鬱陶しいくらいに降ってきます。




「あはは。まだいたんだ。」

聞きたかった声がついに耳に届きました。反射的に上げた目線の先、月明かりを浴びて薫さんが立っていました。

「薫さん、来ないかと思ってました」

「人混みは苦手でね」

僕の隣に腰を下ろしながら話す薫さんの言葉を聞いて、何かがおかしい、と思いました。

人混みと言っても、夕方まで残っていた野次馬は路上にポツポツと佇む程度でした。
よく考えれば、薫さんの存在を知っているのは僕だけなんじゃないか。
僕がいて、他の人が全くいない時にしか薫さんの存在を認識したことがないことを記憶を頼りに確かめました。

「薫さん……あなたは、」

「ねえ、何か言いたいことがあるんでしょう?」

言いかけた言葉を遮るように薫さんは問いかけました。

「時間がないの」

時間がない。
寂しそうな、悲しそうな顔でそう話す薫さんは最後に見た時よりも明らかにやつれていました。

「あのね、薫さん。僕、夢を見つけたんだよ。流石に植物博士は無理だけどさ、最後に会った時に、この桜を見て、植物を元気にできないのかなって考えて、それで、樹木医を目指そうかなって」

僕の言葉を聞いて、薫さんは顔を綻ばせてうんうんと頷きました。
それは最初に会った時のような元気さはなく、ゆっくりとした少し寂しそうな頷きでした。

「優樹くんならなれるよ。植物とお話できるもんね。」

「え?」

植物の言いたいことが分かる。
その奇妙な能力のことを薫さんに話しただろうか。
いや、気味悪がられると思って話していないはずだ。

「キミは桜木薫とはこの1年過ごしただけだと思ってるだろうけど、私はずっと見ていたよ」

薫さんが立ち上がり、月明かりの下へ歩き出す。
薫さんが離れていく。

「キミと自然に会話をしたかったとはいえ、無理をしすぎたみたい。
この桜もすごいでしょ。最後の力も使い切っちゃったけど、卒業プレゼントにはぴったりかなーって」

これ以上はいけない。
僕は薫さんを止めようとしましたが、こんな時に根に足を取られて転んでしまいました。
顔を上げた途端、一気に強風が吹き、桜の花びらで視界が遮られました。

一瞬だけ、最後に僕の目に映った薫さんは、ずっと抱えていた寂しそうな雰囲気を振り払って、明るく、とても美しく笑っていました。

風が止んで、花びらが落ち着くと、そこには、薫さん、桜木薫という“人”がいた事はまっさらに消されたように、ただの静寂が広がっていました。

「卒業、おめでとう。これからも頑張って」

どこからか、薫さんの声が聞こえた気がしました。
僕は、背後の桜の木に向かい直し、今年、いや、この中学に入ってからお世話になった“彼女”にお礼を言いました。

「ありがとう。あなたのことは忘れません」

僕の言葉を聞いたからか、“彼女”、桜の木は大きくその枝を風に震わせました。

プリ小説オーディオドラマ