あなたに手を引かれるまま、教会を出て草むらを進む。
鬱蒼と生い茂る雑草と、周囲の目から隠すように生えた木々の間を通っていく小さな背中を、見つめていた。
繋がれた自分の左手を見て、手から腕を目で辿れば、二の腕につけた腕章が目に入る。
それから、進む先に人の多い表通りが近付いていることに気が付いて、思わず言葉が口をついて出た。
立ち止まると、するりと手は離れていく。
僕の手が離れると同時に彼女は千空の手も離して、僕を振り向いた。
腕章に手をかけて外し、シワがつかないよう丁寧に折り畳んでから、上着の内ポケットにしまいこんだ。
腕章には、誇りも思い入れもなにもない。
ただ、もしも外したことが軍の誰かにバレたとき、その理由を勘繰られるのが面倒だからだ。
僕が腕章を外すのを見て、千空がわずかに目を眇める。
警戒心を薄く乗せたなかに、意外そうな色が見えた。
軍帽を外し、かわりに上着の内ポケットに押し込んでいたキャスケットを取り出す。
雑に入れたせいで少しシワの寄ったそれを伸ばしてから被り、ツバを深くまで下ろした。
僕の顔は、スタンリーほど有名なわけではない。
けれど国内ではそれなりに顔を知られている方なので、念には念を入れて、と言うやつだ。
脱いだ上着を軽く畳んで、その内側に軍帽を隠して左腕にかける。
そうすれば、左側にある刀は隠すことができる。
ついでに銃の入ったホルダーも左に寄せて、「ところで」と声の調子は変えないまま口を開いた。
千空が被っている軍帽には、僕のもののように西諸国の紋章はない。
そのデザインも見たことがなければ、軍帽を被っているくせに腕章もない。
我が国の統一軍は、かつて複数に分かれていた西側諸国をすべて統一してつくられた、国内唯一の軍だ。
僕も中将であるからには、各隊の制服の違いなんかも把握している。
そのなかに、千空のような服装のものはない。
素性を探るような僕の問いに焦るでもなく、千空は喉を震わせるようにして笑った。
僕よりは年下だろうに、ずいぶんと落ち着いている。
焦るべき状況で焦らないのは、その状況を理解できない頭の足りない者と、焦る必要のない頭のキレる者の二択だ。
恐らく千空は、後者なのだろう。
頭のいい人というのは、突拍子もないことを言い出すから苦手だ。
──「わかった、それなら僕を君たちのどちらかが殺せばいい」。
そんなことを得意げに言った幼い顔が、脳裏に浮かぶ。
僕やスタンリーよりもずっと賢い癖に、変なことを思いつく。
あのときのスタンリーの顔は怖かったなぁ、と思い出した。
そんなことを考えながら、ポーカーフェイスを保つ。
──迫る追手、目的の少女、そして目下最大の邪魔者である僕。
ここでこのまま油を売っていれば、やがて追手がやってくる。
戦闘に慣れていない彼はもちろん、不用意な殺しをしたくない僕からしても、それは望むところではない。
彼を見据える目はそのままに、薄らと口角を上げて見せる。
千空は、しっかりと理解しているはずだ。
僕とここで戦うことになるのが、今一番避けるべきだということを。
自分でも、ずいぶん訝しげな声が出たと思った。
「死体探しをしてたの?」
そんな言葉を、飲み込んだ。
西諸国はあくまでも、秘琴あなたを死亡として片付け、その旨の報告のみを東国に送った。
千空が本当に東国の人間だろうとなかろうと──あなたの目の前で、その言葉を言うべきではないと思った。
代わりの言葉を考え、何事もなかったかのような声で舌に乗せる。
千空は、否定も肯定もしない。
──ただひとつ、気になることがあるとすれば。
千空が僕に使った催涙ガス。
あれを噴射する催涙弾の形状も、僕は見たことがなかった。
あそこまで軽量かつ小型のものは、今の西諸国の技術ではつくれない。
千空の独学か、もしくは本当に東国の科学者なのか。
けれど、だとすると辻褄は合う。
優秀な兵を育てて戦地に送り続けた西諸国に対し、東国の武器はその圧倒的な科学力だ。
東国のつくった兵器に、一体どれほどの命が散らされたか。
西諸国も同じくらい、東国の兵や民を殺したのだから、なにも言えない。
戦争とは、そういうものだ。
より多く、より惨くその命を奪ったほうが、勝つ。
戦争は、戦場は、人間をただの獣に変えるものだ。
それまで黙っていたあなたが、その言葉とともに千空と僕の手を当たり前のように取る。
堕ちかけていた思考が現実に引き戻され、一瞬だけあなたのことを認識しかねる。
だけど、僕の右手を掴む小さな手に、その存在を思い出した。
その手も、大きな袖から覗く手首も、華奢な肩も、どれも人を殺めたことのある人間のそれではなかった。
そのはずなのに、僕は彼女が洗練された動きで人を殺めるところを、しっかりと見ている。
僕たちの手を引いて、あなたはまた歩き出す。
緩くウェーブのかかった青い髪が揺れて、木漏れ日に照らされる。
暗いところで見たあなたの髪をまるで深海のようだと思って、けれど照らされたときに見えたのは、戦場で見上げた悔しいくらいの快晴の色だった。
振り向いて笑ったその表情は、幼い少女のあどけなさが浮かんでいた。
無邪気な笑みに、胸が痛む。
──彼女を連れて帰ったら。
その先を考えて、目の前の笑顔がくすんで見えた。
やがてあなたは、表通りから遠く離れたところにある廃墟の前で足を止めた。
僕らを追う気配は、もう既にない。
壁の塗装は剥がれ、ヒビが入り、ところどころが崩れている。
割れた窓から見える中には、天使の梯子のように光が差し込んでいるのが見えた。
かつてはなんの変哲もない一軒家だったであろうそれに、天窓があるとは思えない。
恐らくは、天井に穴が空いているんだろう。
強く引けば壊れてしまいそうな扉を開けて、軽やかな足取りであなたは建物のなかに入った。
僕と千空も、それに続く。
入ってすぐ、僕は足元を見た。
隣にいる千空に気付かれない程度のステップを踏んで、足音を聞く。
僕がそれに気づいたときには、既にあなたはしゃがみこんで床板に手をかけていた。
床板の一部が、軋んだ音を立てて持ち上がる。
その先に広がっていた地下へと続く細い階段に、僕は内心で驚いている。
千空に、あなたはからかうように言葉を返す。
僕たちを振り向いたその表情は、どこか自慢げだった。
白い頬が、ほんのりと嬉しそうに赤く色づく。
──戦争のとき、ここへ来たことはなかったし、記録でもここは見たことがなかった。
だから恐らく、戦時にシェルターや保管庫として使われていたわけではない。
普通の家にあった、普通の地下室。
統一軍の目の隙間を通り抜けていくような場所を、よく見つけたものだと思う。
偶然か、それともわざとか。
偶然だとすれば運が良すぎるし、きっと狙ってのことなんだろう。
あなたを先頭に、千空を挟み、僕が最後尾で地下へと降りていく。
僕に背を見せて行くことを少し躊躇っていた千空だが、先に階段を降りていたあなたに「早く来なさいな」と急かされ、降りていった。
地下に広がる空間の広さは、降りる前に音の反響で想像していたとおりだった。
生活に必要な一通りの家具が最低限、設置されている。
そこにある椅子に、あなたがゆっくりと腰掛けた。
千空がくいっと頤を上げて、あなたに発言を促した。
千空を見たあなたが、待っていたと言わんばかりにその目を細める。
きゅう、と縦に長い瞳孔が縮まって、蜂蜜色が蕩けるようだった。
甘く誘うような、幼い声。
それでもその最奥にある、怒りのような、諦めのような感情を、隠しきれていない。
真摯な声が鼓膜を打って、思わず目の前の少女を見つめていた。
──数百年だ。
西と東の戦争が続いていたのは、数百年。
それが終わる理由が、年端もいかぬ少女だった。
それだけで、その異質さが浮き彫りになる。
僕が聞き返せば、小さく頷いたあなたは、その小さな手を胸の上に重ねた。
耳を澄ませば、とくん、とその心臓が跳ねる音がする。
彼女に眠る、東と西が喉から手が出るほどに欲しがったその〝価値〟。
僕も、そして千空もきっと、それを知らない。
そう話すあなたは、どこか自嘲しているようにも見えた。
伏せられたまつげの下で、蜂蜜色が昏く沈む。
けれど次の瞬間、僕たちを見上げた瞳には光が宿っていた。
心の底から嬉しそうで──けれどどこか、悪戯を成功させた子供のような楽しさを含んだ表情。
突然、どこからともなく飛んできたファンタジーな単語を思わず繰り返した。
僕たちの怪訝な反応に、けれどあなたはその瞳を輝かせたまま、言葉を続ける。
それはまるで、世界に向けた宣戦布告だった。
王子様に守られることを望む姫ではない。
その手で己の望みを掴み取る、刃のように研ぎ澄まされた意思。
生きている、意味。
それを決める、誰か。
──お前たちが生きるのはなんの為か。
ヘルメットを被り、その体格に見合わない銃を抱えて並ぶ子供たち。
怒鳴るように問いかけられた、その言葉。
喉が痛くなるくらいにそう叫んで、ビリビリと震える空気に、頭が揺れたのを覚えている。
戦争のなんたるかも理解していない子供にそんなことを叫ばせるような大人に、僕は吐き気がしていたんだった。
──目の前で勝ち気な笑みを浮かべた少女と、薄汚れて諦めきった目をした子供の姿を頭の中で比べてみる。
内心、僕は小さく笑っていた。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。