第5話

 004 ꕤ︎︎ 戦端を 開く
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2026/08/14 03:07 更新




あなたに手を引かれるまま、教会を出て草むらを進む。

鬱蒼と生い茂る雑草と、周囲の目から隠すように生えた木々の間を通っていく小さな背中を、見つめていた。

繋がれた自分の左手を見て、手から腕を目で辿れば、二の腕につけた腕章が目に入る。

それから、進む先に人の多い表通りが近付いていることに気が付いて、思わず言葉が口をついて出た。
西園寺 羽京
──待って
西園寺 羽京
この格好でいるのは、まずい
立ち止まると、するりと手は離れていく。

僕の手が離れると同時に彼女は千空の手も離して、僕を振り向いた。

腕章に手をかけて外し、シワがつかないよう丁寧に折り畳んでから、上着の内ポケットにしまいこんだ。

腕章には、誇りも思い入れもなにもない。

ただ、もしも外したことが軍の誰かにバレたとき、その理由を勘繰られるのが面倒だからだ。

僕が腕章を外すのを見て、千空がわずかに目を眇める。

警戒心を薄く乗せたなかに、意外そうな色が見えた。
石神 千空
ほーん、ずいぶん潔く
看板下ろすじゃねえか
西園寺 羽京
軍人なんて、ひとりで歩いてても
目立つんだよ
西園寺 羽京
それが君たち引き連れてたら
余計に目立つでしょ
軍帽を外し、かわりに上着の内ポケットに押し込んでいたキャスケットを取り出す。

雑に入れたせいで少しシワの寄ったそれを伸ばしてから被り、ツバを深くまで下ろした。

僕の顔は、スタンリーほど有名なわけではない。

けれど国内ではそれなりに顔を知られている方なので、念には念を入れて、と言うやつだ。

脱いだ上着を軽く畳んで、その内側に軍帽を隠して左腕にかける。

そうすれば、左側にある刀は隠すことができる。

ついでに銃の入ったホルダーも左に寄せて、「ところで」と声の調子は変えないまま口を開いた。
西園寺 羽京
君はどこ所属なの?見た感じ、
統一軍の服装じゃないけど
千空が被っている軍帽には、僕のもののように西諸国の紋章はない。

そのデザインも見たことがなければ、軍帽を被っているくせに腕章もない。

我が国の統一軍は、かつて複数に分かれていた西側諸国をすべて統一してつくられた、国内唯一の軍だ。

僕も中将であるからには、各隊の制服の違いなんかも把握している。

そのなかに、千空のような服装のものはない。
石神 千空
ククク、面白ぇ
素性を探るような僕の問いに焦るでもなく、千空は喉を震わせるようにして笑った。

僕よりは年下だろうに、ずいぶんと落ち着いている。

焦るべき状況で焦らないのは、その状況を理解できない頭の足りない者と、焦る必要のない頭のキレる者の二択だ。

恐らく千空は、後者なのだろう。
西園寺 羽京
(嫌だなぁ……)
頭のいい人というのは、突拍子もないことを言い出すから苦手だ。

──「わかった、それなら僕を君たちのどちらかが殺せばいい」。

そんなことを得意げに言った幼い顔が、脳裏に浮かぶ。

僕やスタンリーよりもずっと賢い癖に、変なことを思いつく。

あのときのスタンリーの顔は怖かったなぁ、と思い出した。

そんなことを考えながら、ポーカーフェイスを保つ。

──迫る追手、目的の少女、そして目下最大の邪魔者である僕。

ここでこのまま油を売っていれば、やがて追手がやってくる。

戦闘に慣れていない彼はもちろん、不用意な殺しをしたくない僕からしても、それは望むところではない。
石神 千空
……三すくみ、ってわけか
西園寺 羽京
理解が早くて助かるよ
彼を見据える目はそのままに、薄らと口角を上げて見せる。

千空は、しっかりと理解しているはずだ。

僕とここで戦うことになるのが、今一番避けるべきだということを。
石神 千空
……俺は、ただの科学者だ
石神 千空
てめぇらと仲良しこよしの
東国のな
西園寺 羽京
ただの科学者?
自分でも、ずいぶん訝しげな声が出たと思った。
西園寺 羽京
そんな人間が、死体の転がる
教会で──
「死体探しをしてたの?」

そんな言葉を、飲み込んだ。

西諸国はあくまでも、秘琴あなたを死亡として片付け、その旨の報告のみを東国に送った。

千空が本当に東国の人間だろうとなかろうと──あなたの目の前で、その言葉を言うべきではないと思った。

代わりの言葉を考え、何事もなかったかのような声で舌に乗せる。
西園寺 羽京
もっとマシな冗談を言いなよ
石神 千空
……さぁ、どうだかな
千空は、否定も肯定もしない。

──ただひとつ、気になることがあるとすれば。

千空が僕に使った催涙ガス。

あれを噴射する催涙弾の形状も、僕は見たことがなかった。

あそこまで軽量かつ小型のものは、今の西諸国の技術ではつくれない。

千空の独学か、もしくは本当に東国の科学者なのか。

けれど、だとすると辻褄は合う。

優秀な兵を育てて戦地に送り続けた西諸国に対し、東国の武器はその圧倒的な科学力だ。

東国のつくった兵器に、一体どれほどの命が散らされたか。
西園寺 羽京
(……だとしても)
西諸国も同じくらい、東国の兵や民を殺したのだから、なにも言えない。

戦争とは、そういうものだ。

より多く、より惨くその命を奪ったほうが、勝つ。

戦争は、戦場は、人間をただの獣に変えるものだ。
秘琴 あなた
──さて、話はまとまりまして?
それまで黙っていたあなたが、その言葉とともに千空と僕の手を当たり前のように取る。

堕ちかけていた思考が現実に引き戻され、一瞬だけあなたのことを認識しかねる。

だけど、僕の右手を掴む小さな手に、その存在を思い出した。

その手も、大きな袖から覗く手首も、華奢な肩も、どれも人を殺めたことのある人間のそれではなかった。

そのはずなのに、僕は彼女が洗練された動きで人を殺めるところを、しっかりと見ている。
秘琴 あなた
あなた方と、それから私も、
利害は一致している
秘琴 あなた
それで、十分ですわ
秘琴 あなた
それじゃあ、行きましょうか
僕たちの手を引いて、あなたはまた歩き出す。

緩くウェーブのかかった青い髪が揺れて、木漏れ日に照らされる。

暗いところで見たあなたの髪をまるで深海のようだと思って、けれど照らされたときに見えたのは、戦場で見上げた悔しいくらいの快晴の色だった。
西園寺 羽京
行く、って、どこへ……
秘琴 あなた
──私の場所へ
振り向いて笑ったその表情は、幼い少女のあどけなさが浮かんでいた。

無邪気な笑みに、胸が痛む。

──彼女を連れて帰ったら。

その先を考えて、目の前の笑顔がくすんで見えた。
秘琴 あなた
私の居場所は、西でも、
東でもございませんもの













やがてあなたは、表通りから遠く離れたところにある廃墟の前で足を止めた。

僕らを追う気配は、もう既にない。

壁の塗装は剥がれ、ヒビが入り、ところどころが崩れている。

割れた窓から見える中には、天使の梯子のように光が差し込んでいるのが見えた。

かつてはなんの変哲もない一軒家だったであろうそれに、天窓があるとは思えない。

恐らくは、天井に穴が空いているんだろう。

強く引けば壊れてしまいそうな扉を開けて、軽やかな足取りであなたは建物のなかに入った。

僕と千空も、それに続く。

入ってすぐ、僕は足元を見た。

隣にいる千空に気付かれない程度のステップを踏んで、足音を聞く。
西園寺 羽京
(広い、空間?)
秘琴 あなた
──ようこそ、私の新しい隠れ家へ
僕がそれに気づいたときには、既にあなたはしゃがみこんで床板に手をかけていた。

床板の一部が、軋んだ音を立てて持ち上がる。

その先に広がっていた地下へと続く細い階段に、僕は内心で驚いている。
石神 千空
お嬢様の隠れ家にしちゃあ、
ずいぶん物騒だな
秘琴 あなた
あら、ただのお嬢様ならとっくに
捕まっておりますわ
千空に、あなたはからかうように言葉を返す。

僕たちを振り向いたその表情は、どこか自慢げだった。

白い頬が、ほんのりと嬉しそうに赤く色づく。
西園寺 羽京
……ここを、前から?
秘琴 あなた
えぇ、目をつけておりましたの
──戦争のとき、ここへ来たことはなかったし、記録でもここは見たことがなかった。

だから恐らく、戦時にシェルターや保管庫として使われていたわけではない。

普通の家にあった、普通の地下室。

統一軍の目の隙間を通り抜けていくような場所を、よく見つけたものだと思う。

偶然か、それともわざとか。

偶然だとすれば運が良すぎるし、きっと狙ってのことなんだろう。

あなたを先頭に、千空を挟み、僕が最後尾で地下へと降りていく。

僕に背を見せて行くことを少し躊躇っていた千空だが、先に階段を降りていたあなたに「早く来なさいな」と急かされ、降りていった。

地下に広がる空間の広さは、降りる前に音の反響で想像していたとおりだった。

生活に必要な一通りの家具が最低限、設置されている。

そこにある椅子に、あなたがゆっくりと腰掛けた。
石神 千空
……で、わざわざ俺らをここまで
連れてきた理由はなんだ
千空がくいっと頤(おとがい)を上げて、あなたに発言を促した。

千空を見たあなたが、待っていたと言わんばかりにその目を細める。

きゅう、と縦に長い瞳孔が縮まって、蜂蜜色が蕩けるようだった。
秘琴 あなた
私は、ただ逃げているだけでは
ありませんの
秘琴 あなた
──みんな、私を欲しがる
秘琴 あなた
ずっと、ずぅーっと前から
甘く誘うような、幼い声。

それでもその最奥にある、怒りのような、諦めのような感情を、隠しきれていない。

真摯な声が鼓膜を打って、思わず目の前の少女を見つめていた。
秘琴 あなた
私がいるというだけで、西も東も勝手に
均衡を崩してしまうほどにね
──数百年だ。

西と東の戦争が続いていたのは、数百年。

それが終わる理由が、年端もいかぬ少女だった。

それだけで、その異質さが浮き彫りになる。
秘琴 あなた
……けれども、私はまだ
知らないのです
西園寺 羽京
知らない?
秘琴 あなた
えぇ
僕が聞き返せば、小さく頷いたあなたは、その小さな手を胸の上に重ねた。

耳を澄ませば、とくん、とその心臓が跳ねる音がする。
秘琴 あなた
〝どうして、私なのか〟
彼女に眠る、東と西が喉から手が出るほどに欲しがったその〝価値〟。

僕も、そして千空もきっと、それを知らない。
秘琴 あなた
おかしな話でしょう?私自身は、
私の価値を知らないのです
そう話すあなたは、どこか自嘲しているようにも見えた。

伏せられたまつげの下で、蜂蜜色が昏く沈む。

けれど次の瞬間、僕たちを見上げた瞳には光が宿っていた。

心の底から嬉しそうで──けれどどこか、悪戯を成功させた子供のような楽しさを含んだ表情。
秘琴 あなた
だから──私、王子様を
探しておりましたの
石神 千空
あ"?
西園寺 羽京
王子?
突然、どこからともなく飛んできたファンタジーな単語を思わず繰り返した。

僕たちの怪訝な反応に、けれどあなたはその瞳を輝かせたまま、言葉を続ける。
秘琴 あなた
それは、私を塔から連れ出して、
護ってくださる方ではありません
秘琴 あなた
私の隣で、国に──世界に、
剣を向けられる方です
それはまるで、世界に向けた宣戦布告だった。

王子様に守られることを望む姫ではない。

その手で己の望みを掴み取る、刃のように研ぎ澄まされた意思。
秘琴 あなた
死んだことにされた私が
生きている意味を決めるのは
秘琴 あなた
──私ですわ
生きている、意味。

それを決める、誰か。

──お前たちが生きるのはなんの為か。

ヘルメットを被り、その体格に見合わない銃を抱えて並ぶ子供たち。

怒鳴るように問いかけられた、その言葉。
西園寺 羽京
(我らが命をその糧に、東の躍進を
撃ち止め、我が国に勝利を捧ぐため)
喉が痛くなるくらいにそう叫んで、ビリビリと震える空気に、頭が揺れたのを覚えている。

戦争のなんたるかも理解していない子供にそんなことを叫ばせるような大人に、僕は吐き気がしていたんだった。

──目の前で勝ち気な笑みを浮かべた少女と、薄汚れて諦めきった目をした子供の姿を頭の中で比べてみる。

内心、僕は小さく笑っていた。













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