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静かな呼吸、布が擦れる音、楽器を構えた空気の揺れる音。それすらも客席にまで聞こえてしまうのではないだろうかと思えるほどの静寂。ドクドクと血流が巡る指先が落ち着かない。心臓がザワザワとして、身体がふわふわと浮くような感覚。緊張、不安、そして、高揚感。様々な感情が渦巻き全身を駆け巡る。
今から演奏する学校の演奏が終われば、次は自分たちの番。
既に演奏を終えた学校の生徒の中には、演奏を終えて安堵している者。ミスを犯してしまい、自責の念にかられ泣き出す者。早朝から最終調整をしていたのだろう、客席で寄り添って眠る者。そして、審査員達の奏者を見定めるような目線。舞台袖からでも見える、感じる、それらの気配。自分たちが舞台に上がれば、それら全てを今以上に全身に浴びることになる。
近くにいる、今年の1年生でたった3人だけコンクールメンバーのA部門に選ばれた1人である水季。今までの地区予選、県予選、支部予選では緊張の”き”の字も感じられなかった自信家の彼だが、本選ともなれば流石に緊張しているみたいだった。少し、いや、かなり不安げな顔をしている。やはり先輩を差し置いてメンバーに選ばれたプレッシャーは、彼も抱いていたのだろう。
加えて彼は課題曲のソロパートまで任されている。不安に思わないわけが無いか。
あぁ、彼は強い。さっきまであんなに不安がっていたのに、緊張していない訳がないのに。笑って、強気な返事までできる。不安げな彼を勇気づけるために話しかけたのに、話しかけたこっちが勇気づけられてしまった。この会話が聞こえてたであろう周りの先輩方やもう1人の1年生である紫耀真も、彼の強さに背中を押されたのか纏っていたものが過度な緊張感から、適度な緊張感へと変わっていた。
”白尾の吹奏楽部の音の波に溺れさせる”……。
暴力的なまでな音の波。
幼少期から楽器に触れてきた者、中学時代に吹奏楽部に入って初めて楽器に触れた者。音楽の天性の才能がある者、音楽を異常なまでに愛し狂気的なまでに練習に明け暮れた者。始めた時期や、元から持つ”もの”はバラバラだが、皆音楽に、吹奏楽に、溺れていると表現するのが正しい気すらするほどに囚われ、呪われている。そんな狂気を孕む者たちが産み出す音の波。
前の学校の演奏が終わり、会場内は拍手が鳴り響いた。
僕たちの番が、来た。
ドクドクと血流が巡る指先が落ち着かない。心臓がザワザワとして、身体がふわふわと浮くような感覚。様々な感情が渦巻き全身を駆け巡る中、そこに不安はもう無い。あるのは高揚感だけ。
あぁ、早く、演奏がしたい。
早く、あの眩しすぎるスポットライトを浴びたい。
早く、会場内の全ての人間が僕たちに注目するあの高揚感を体感したい。
早く、はち切れんばかりの拍手の嵐を浴びたい。
早く、早く、早く!
こんなことを考える僕は、つくづく吹奏楽というものに呪われていると我ながら思う。まぁ、呪われていなければ今、この場に立っていないだろう。全日本吹奏楽コンクールに出場するほどの吹奏楽部員になんて、常人には到底理解できない程の音楽への執着が無ければなれないだろう。
──7番、私立白尾学園高等学校──
学校の名前が呼ばれた。誘導の指示がかかり、僕たちは極力音を立てずに、姿勢よく、素早くかつ慌てずに、各々の配置につく。客席にお辞儀を終え、こちらを向いた指揮者である顧問が指揮棒を構えた。先生が指揮棒を振り上げた瞬間、場内にブレス音が一斉に響いた。
最後の一音の余韻、管楽器奏者たちの酸欠気味の荒い呼吸音、観客のはち切れんばかりの拍手の音、ブラボーの声。
眩しすぎるスポットライト、薄く微笑む顧問の顔、僕たちの演奏に圧倒されたのかこちらをじっと覗き込む他校の生徒の顔、今年の会場が和井手県内だったこともあり応援に来てくれた仲間や保護者たちの顔。
凄まじい熱気。この場の誰もが僕たちの演奏に飲み込まれていた。僕たちが、この熱気を作った。最高に楽しい。最高に、気持ちがいい!
あぁ、気が狂ってしまいそう。
ステージ上で余韻に浸っていたいが、そんな間もなく次の学校の為にそそくさと舞台袖にはけて、楽器を片付けて、トラックに積まなければならない。僕たちは表彰式まで当然会場に残るが、楽器たちには一足先に学校に帰ってもらうことになっている。
楽器をトラックに積み終え、少し疲弊している僕たちに部長が、そう声をかけた。自身の楽器を積み終えた他パートの先輩方や、応援に来てくれていたパートの仲間や先輩方が手伝ってくれたものの、パーカスは使用する楽器が大きく量も多い。正直、写真撮影なんてする気力、僕には残っていなかった。それに、正直なところ2、3年の先輩方に囲まれて1年生が写るなんて、僕にとってはなんだか居心地が悪かった。別に先輩方と仲が悪いわけではない。寧ろちょっとした軽口なら叩ける程には良好な方だとも思う。パート内も、パートの垣根を超えても。
あぁ、水季はすごいな。本当に、敵わない。折角話題を逸らそうとしたのに、胸の内を見透かされてる。その上、こうして僕が先輩方に混ざりやすいよう誘導してくれている。
パン!と1回手を叩いて、部長は話を切り替えた。”選抜落ちたメンバーに面目ない”、か……。
確かに学年に囚われて自分の実力を卑下してしまうのは、僕が選抜で蹴落としてしまった先輩方の血のにじむ努力を踏みにじっている最低な行為だったかもしれない。部長の言った通り、うちの部活は実力至上主義。そこに学年は関係無い。ただ築き上げて、磨き上げてきた実力のみで、たった55の席を取り合うのだ。100を優に超える部員同士で。しかも、そこから更にパート毎に設けられる人数は限られてくる。とてつもなく狭き門と言えるだろう。そんな過酷な道を進もうとする者たちの中で、きっと、学年なんて演奏においては僕以外誰も気にしていないのだろう。選抜で蹴落としたパートの先輩方も、選抜メンバーの今この場にいる先輩方も、同級生たちも。学年に囚われていたのは、僕だけ。
あぁ、なんだか馬鹿らしくなってきた。
どうして僕はたかが1、2年の差で引け目なんて感じているんだろう。そんなもの、誤差でしかない。ただ、たまたま熱心に打ち込めたもので周囲に認められて今この場にいるのだ。素直に、堂々としていればいいじゃないか。
なんだか、身体が軽くなった気がする。
選抜に選ばれてからずっと、正体の分からないモヤモヤしたものを抱えていた。今思うとそれは、ありもしない周囲からの嫉妬に怯えて焦燥に駆られていた不安な気持ちだったのかもしれない。
僕はもっと、心の底から堂々としていていいのかもしれない。だって、こんなにも先輩や仲間は優しいのだから。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。