サンシャインタウンのエレベーターに乗る。昼過ぎのせいかあまり人がいない。
63階までノンストップであがれば、軽く耳の奥がつまる。
ドアが開いてフロアに降りると、しん、と静まりかえっていた。このビルには300以上のオフィスが入っているはずだけど、なんの音もしない。けれど何万という人が存在する圧だけは感じた。
エレベーターホールにフロアの案内図があり、それを見るとたくさんの会社の名前が並んでいた。
ところが中にひとつだけ、空白になっている部屋がある。それが6311、つまり冬堂さんがアプリに残していた数字。場所は廊下の突き当たりだった。
わたしはホールから出て左右に長く続く廊下を見た。右の突き当りには窓、左の突き当りにはドア。
廊下を歩くとわたしのローファーの足音がやけに響く。わたしはいつも磨きこんでいる自分のローファーに目を向けた。
最初はスニーカーを履いていたわたしだが、「えらい人に会うこともあるので」と冬堂さんが靴を買ってくれた。柔らかな黒い革の靴で、足を入れただけで大人になったような気分だった。
すごくお値段がよかったので最初はびびったが、冬堂さんが「靴だけは妥協しちゃだめだ」と教えてくれた。
わたしは知ってると答えた。
そう言ってわたしの足に合う靴を時間をかけて選んでくれた。他人にこんなに親切にされたことがなかったわたしは、涙が出そうだった。
その冬堂さんの身になにかあったら……。
つきあたりの部屋のドアの前についた。やはりドアのプレートには6311と数字が打たれているだけで、社名などなにも書かれていない。
ノックしようと手をあげると、内側でガチャリ、とロックが外れる音が聞こえた。そしてすうっとドアが開く。
私は一度大きく息を吸って部屋の中に入った。
部屋の中は真っ暗だった。窓のブラインドが全部降りているからだ。そして中にはなにもない。会社ならデスクやイスや棚なんかあるだろうに。
がらんとした室内にはただ一つ、いや、一人か。ひじかけつきの椅子の上に座った冬堂さんだけ。
わたしは部屋の中に駆け込んだ。冬堂さんは椅子の上でぐったりとした様子でうつむいていた。肘掛けに両腕を、胸と腰にもロープを回され、背もたれに縛り付けられている。
言いながらわたしは冬堂さんを拘束しているロープをほどこうとした。だけど固くて指でひっぱっても解けない。
だが周囲を見回してもなにもない。
わたしは冬堂さんが縛り付けられたままの椅子を、背もたれを持ってガラガラと押し始めた。このまま廊下を過ぎてエレベーターに乗ってしまおう。このフロアはいやな感じがする。
部屋の外までもう少し、というところで、バタンとドアが閉まった。
そのドアの前に、見知らぬ男がいた。三つ揃いのスーツに英国紳士のようなつばのある帽子。いや、外国人なのか、暗い部屋の中でもわかる白い肌に彫りの深い顔立ち。
男は答えず一歩こちらに近づいた。
また一歩、二歩、と近づいてくる。背中がぞくぞくと怖気だった。この感覚はあれに似ている。タクミに吸血されるときと。
見知らぬ男を見てタクミを思い出すなんて。
もう腕を伸ばされたら捕まるところまで近づいた。わたしは持っていたバッグに手を突っ込むと、痴漢撃退スプレーを取り出した。
わたしはそれを相手の顔に向けた。にんにくととうがらし成分の入ったスプレーが白皙の面に勢いよく噴出される。
男は顔を覆って床の上に倒れた。まるで殺虫剤がかかった虫のように、ぐるぐると床の上で回り足をバタバタさせる。
わたしはその隙に横を通ってドアを開けた。
男が顔を押さえ立ち上がろうとする。わたしは振り返るとそいつの股間を狙って、思い切り蹴り上げた。
さっきとはまた様子の違う悲鳴を上げ、男が倒れる。さすが冬堂さんの選んでくれたローファー。履き心地は柔らかいのに造りは頑丈。
わたしは勢いよく冬堂さんの乗った椅子を押して廊下に出た。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。